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ウクライナ選手はパリで笑った。戦時下の五輪、祖国に届けた希望 犠牲甚大も「決して諦めない」大舞台で見せた底力

47NEWS / 2024年9月21日 10時0分

パリ五輪の開会式で、セーヌ川をパレードするウクライナ選手団=7月、パリ(共同)

 2022年3月4日、北京冬季パラリンピックの開会式で行進するウクライナ選手団に笑顔はなかった。約1週間前の2月24日、ロシアのプーチン大統領がウクライナへの「特別軍事作戦」開始を宣言し、全面侵攻が始まっていたからだ。国の存亡すら危ぶまれる状況で北京にたどり着いた選手の表情は悲壮感に満ちていた。
 あれから2年半。いまだに戦争が続く中、ウクライナの140人の選手がパリ五輪に参加した。2021年の前回東京大会を上回る3個の金メダルを獲得し、今なお戦禍にさらされる国民に希望を届けた。
 現地の取材で最も印象に残ったのは、ウクライナの選手に笑顔が見られたことだ。開会式の船上パレードで、競技場で、表彰式で―。メダルを取っても険しい表情を崩さなかった北京パラリンピックの選手たちとは対照的だった。一体何が、戦時下のオリンピアンをほほえませたのか。(敬称略、共同通信ロンドン支局 飯沼賢一)

 ▽もの悲しく響く国歌


北京冬季パラリンピックの開会式で、入場行進するウクライナ選手団=2022年3月、北京(共同)

 五輪・パラリンピック期間に合わせ、武力紛争を控えるよう呼びかける国連の「五輪休戦決議」をロシアは3度ほごにしている。2008年8月8日の北京夏季五輪の開会式当日、ロシアはジョージア(グルジア)に侵攻し、軍事衝突が始まった。ロシアで開催されたソチ冬季五輪直後の2014年3月には、ウクライナ南部クリミア半島に軍事介入し強制的に併合した。
 そして2022年。北京冬季五輪直後、パラリンピックを控えたタイミングでのウクライナへの全面侵攻。ウクライナのパラリンピック選手団は家族や知人を祖国に残し、バスで国境を越えた。隣国ポーランド、スロバキア、オーストリアを経てまずはイタリアへ。そして北京に到着した後、ウクライナ・パラリンピック委員会のスシケビッチ会長は「爆撃から逃れてバスで国境を越えた。大会に参加できること自体が奇跡だ」と語った。車いすの自身は、座席で眠ることができずバスの通路で横になった。
 この北京パラリンピックで、ウクライナは国別で2位の11個の金メダルを含む計29個のメダルを獲得した。金メダル数とメダル総数、いずれも冬季のウクライナ史上最多となる大躍進だった。表彰式で流れる国歌「ウクライナは滅びず」の歌詞は、争いに勝ち、統治権を獲得するという内容。国家存続の危機にさらされ続けた歴史と、大国ロシアから攻撃を受ける現状に重なった。荘厳だがどこかもの悲しいメロディーに、表彰台に立った多くのパラリンピアンが涙した。


北京冬季パラリンピックの選手村で、ロシアの侵攻に抗議するグリゴリー・ボウチンスキー。左はウクライナ・パラリンピック委員会のスシケビッチ会長=2022年3月、河北省張家口(共同)

 ノルディックスキー距離オープン10キロリレーで金メダルを獲得した後、グリゴリー・ボウチンスキーは険しい表情で語った。「国のために勝利しないといけなかった。そしてウクライナ人はこの戦争に勝たないといけない」。2年半がたった今も、ボウチンスキーが誓った勝利は見えていない。

 ▽ボイコットの危機

 記者は北京パラリンピックの取材後、ウクライナに3度出張した。昼夜問わず空襲警報が鳴り、無人機(ドローン)が飛来する。従軍した息子を失った母親、両親を亡くした子ども。父親が占領地に取り残され離散した家族。戦争は全てのウクライナ人を苦しませ続けている。
 パリ五輪を目指すアスリートも苦境に立たされた。選手やコーチら3千人以上が従軍し、500以上のスポーツ施設が破壊された。犠牲となったスポーツ関係者も400人以上に上る。


ロシアの攻撃で破壊されたウクライナ北部チェルニヒウのスタジアム=2022年4月(ゲッティ=共同)

 侵攻後、ロシアと同盟国のベラルーシは主要な国際大会から排除された。ウクライナ選手の多くは海外に拠点を移し、異国の地で五輪出場に向けた練習や大会出場を続けた。
 しかし、侵攻開始から1年が経過した2023年3月、国際オリンピック委員会(IOC)は、ロシアとベラルーシの選手を個人資格の中立選手として大会に復帰させるよう勧告した。「いかなる選手もパスポートを理由に大会参加が妨げられてはならない」というのが理由だった。


インタビューに応じるウクライナ・オリンピック委員会のフトツァイト会長=2023年8月、キーウ(共同)

 ウクライナは激しく反発した。ウクライナ・オリンピック委員会のフトツァイト会長は、ロシアとベラルーシ勢のパリ五輪出場が認められるのであれば、ボイコットも辞さない構えを見せた。自国の選手に対し、ロシアとベラルーシ勢が出場する大会への出場を禁じ、違反した場合は処罰を検討するとも主張した。
 かたくなにも思えるフトツァイトの胸の内は複雑だった。自身もフェンシングの元選手で、五輪金メダリストでもある。2023年8月、キーウ(キエフ)で真意を聞くと「五輪は人生を賭けて目指す舞台だ。辞退は考えられないという選手の気持ちは痛いほど分かる」と本音を漏らし、こう続けた。「ウクライナ国旗はパリに掲げられ、国歌が流れるだろう。ただ、それまでにやらないといけないことがある」。何としてもロシアとベラルーシをパリ五輪から排除するという決意だった。

 ▽愛国の剣士


東京五輪の女子走り高跳びで健闘をたたえ合うヤロスラワ・マフチフ(左)とマリア・ラシツケネ=2021年8月、国立競技場

 ウクライナ選手の思いは共通していた。五輪に出場したいが、ロシア選手とは競技したくない―。陸上女子走り高跳びのヤロスラワ・マフチフは侵攻が始まった後、ライバルで友人だったロシアのマリア・ラシツケネとの関係を絶った。東京五輪ではラシツケネが金、マフチフが銅。競技後には抱き合い、健闘をたたえ合った仲だった。マフチフは、ラシツケネが侵攻について沈黙したことに不信感を募らせた。
 フェンシング女子のオリガ・ハルランは2023年7月の世界選手権で、ロシア出身のアンナ・スミルノワに勝利後、握手を拒否して失格となった。
 その翌月、ハルランにインタビューした。「ウクライナを血で染めた国の選手と握手しないのは当然のこと。後悔はしていない」と語り「世界に自分の思いを伝えられたことを誇りに思っている」と胸を張った。


インタビューに応じるオリガ・ハルラン=2023年8月、キーウ(共同)

 インタビューが終わった後、「これが私の思いです」。そう言って見せてくれたのは、腕に刻んだウクライナの地図のタトゥーだった。ロシアに併合されたクリミア半島を含む全土奪還まで戦うという意志を込めたという。祖国を思う気持ちと芯の強さ、まさに愛国の剣士だ。IOCは、パリ五輪予選を兼ねる世界選手権で失格となり、五輪出場が危ぶまれたハルランに特例でパリ五輪出場を認めた。
 一方で、走り高跳びのマフチフのライバル、ラシツケネは2023年5月、国際大会からの引退を宣言した。「続けたいけど、もう希望は持てない」とうつむいて涙ぐみ、五輪連覇を断念する無念さをにじませた。

 ▽祖国にささげる金メダル


フェンシング女子サーブル団体で金メダルを獲得したオリガ・ハルラン=8月、パリ(ロイター=共同)

 ウクライナが正式にパリ五輪参加を表明したのは2024年5月のことだ。ロシアとベラルーシ勢は国を代表しない個人の中立選手(AIN)としての参加が認められ、フトツァイトが訴えた完全排除とはならなかった。開会まで約2カ月に迫っており、参加可否の決定をそれ以上遅らせることができない事情もあった。派遣選手は140人と、夏季五輪としてはウクライナ史上最少となった。ウクライナ・オリンピック委員会の幹部は「攻撃が続く中、参加できるだけで奇跡だ。選手団の勇気をたたえたい」とコメントした。
 迎えた7月26日の開会式。激しい雨が打ち付けるセーヌ川の船上パレードでは、チームメートとはしゃぎ、白い歯をみせるハルランの姿があった。
 ハルランの活躍は想像を超えるものだった。サーブル個人3位決定戦で韓国選手にリードを許すも、7連続ポイントで逆転。驚異的な粘りでウクライナのパリ大会初メダルを勝ち取った。直後の取材に「国と兵士、戦争で五輪に出られなかった仲間のために戦った」と思いを語った。
 女子サーブル団体では、最年長のエースとしてチームを引っ張った。決勝の韓国戦では、チームの得点の約半数を稼ぎ、決勝のポイントも決めた。勝負が決した瞬間、観客席のフトツァイトは立ち上がり、歓喜のおたけびを上げた。
 会場のグランパレに国歌の「ウクライナは滅びず」が響いた。表彰台のハルランは目を真っ赤にしながらも、笑みを浮かべた。17歳だった2008年の北京夏季五輪から積み上げたメダルは計6個。「ウクライナのために戦ってつかんだ金メダル。これまで以上に価値がある」と感傷に浸った。


パリ五輪の陸上女子走り高跳びで優勝したヤロスラワ・マフチフ=8月、パリ郊外(共同)

 走り高跳びのマフチフは大会直前の6月にイタリア・ローマでの欧州選手権で優勝。7月には世界記録を37年ぶりに更新して大舞台を迎えた。結果は金メダル。「もっと高く跳べた」と記録には満足しなかったが、「ウクライナよ、金メダルを持って帰るよ」と笑顔を見せた。競技後に、ウクライナの記者からクロワッサンを贈られて跳びはねるマフチフ。手渡した女性記者は「彼女はパン好き。特にクロワッサンに目がない22歳の英雄よ」とたたえた。

 ▽ウクライナは負けない

 総動員令が出ているウクライナでは18~60歳の成人男性は原則出国できず、パリで現地観戦するウクライナ人は多くなかった。マフチフの父親もウクライナにとどまった。国民は、テレビの前やパブリックビューイング(PV)で選手の活躍を見守った。


凱旋門の前でパリ五輪閉会式の中継映像を見るウクライナからの旅行客=8月、パリ(共同)

 キーウ在住のヤーナ(20)はフェンシング女子の試合をテレビ観戦した。「決勝の最後の5分は心臓が止まるほどの緊張感があった。勝ってマスクを脱いだハルランは、今までで一番美しかった」。同じくキーウに住むオレクサンドルは「選手は国の強さの象徴だ。国民に希望と誇りをもたらしてくれた」と喜んだ。
 ウクライナが世界にその存在と強さを示したパリ五輪は終わった。パリで聞く「ウクライナは滅びず」は、北京大会の時とは違う印象を持った。歌詞の一節に「運命はほほえむ」とある通り、ウクライナに希望を届けるメロディーに思えた。
 ハルランは言った。「私の国は決して諦めない。負けることはあり得ない」。2年半の戦闘の中で深めた勝利への決意こそが、ウクライナ選手の強さと笑顔の源泉になっていた。

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