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決意、迷い、失望、充実感―五輪に挑んだ21歳の卓球エース、コメントから垣間見えた心の内

47NEWS / 2024年9月20日 10時0分

団体準決勝でスウェーデンに敗れ、崩れ落ちる張本

 パリ五輪の卓球男子、団体戦準決勝での出来事だった。自らの敗戦でチームの敗北が決まると、張本智和(21)はコートに膝をつき、立ち上がれなかった。
 試合後には憔悴しきった様子でインタビューに応じた。そして、ある強い言葉で追い詰められた心境を明かした。それは、大会にかける「覚悟」の裏返しの表現でもあった。
 張本は3種目に出場。いずれもメダルを手にすることはできなかった。ただ、大会を終えるときにはその口調はすがすがしささえ感じさせるものに変化していた
 張本のコメントは試合ごとにトーンが変わった。五輪にかける決意、失望、迷い、そして充実感。彼の紡いだ言葉をたどり、エースの重責を担った21歳の戦いを振りかえる。(共同通信=浅田佳奈子)

 ▽勝利へのこだわり


混合ダブルスで北朝鮮ペアと対戦する張本(右)

 「内容よりも結果が求められるのが五輪だと思う。勝つことが全て」。張本は東京五輪に続く2度目の大舞台にこんな決意で臨んだ。勝負へのこだわりはずっと持ち続けてきたものだ。
 幼い頃から負けず嫌いだった。幼稚園の年長で腕試しに受けたテストの点数は6割ほど。家に帰り「分かるようになりたい」と号泣した。小学校に上がるとテストや宿題はほぼ満点。「100点を取らなきゃ意味がない」との思いで、幼い頃から結果にこだわった。
 もちろん卓球でも常に勝利を目指し、年代別の全国大会を6連覇。10代前半で国内外の数々の最年少優勝記録を更新し、一躍世界のトップ選手に名を連ねた。
 張本家の家訓は「一に健康、二に勉強、三が卓球」。早稲田大人間科学部通信教育過程に進学後も、国内外での試合や練習の合間に勉強を欠かさず、落とした単位はゼロ。「勉強で考える力を養えたことが卓球に生きている」と文武両道が躍進を促してきた。

 ▽混合ダブルス 負けを引きずらない


混合ダブルスで敗れた張本(左)

 五輪の重みを初めて知ったのは、18歳で挑んだ3年前の東京大会だった。活躍が期待されたシングルスは序盤で敗退。団体で銅メダルをつかんだが、日本勢初の金メダルを混合ダブルスで獲得した水谷隼(35)、2大会連続で団体メダルに貢献した丹羽孝希(29)のベテラン2人に引っ張られた結果だった。
 東京大会後、水谷は引退、丹羽は国際大会から退き、張本がエースの看板を背負ってきた。追われる立場になると、重圧から格下選手に敗れる試合も目立った。苦しみながら20代を迎えた。
 パリ五輪は混合ダブルス、シングルス、団体の順で競技が進んだ。混合ダブルスの結果は初戦敗退。だが、次のシングルスに敗戦を引きずっている様子はなかった。

 ▽シングルス にじむ充実感


シングルス準々決勝で敗れた張本

 シングルスでは今大会金メダルの樊振東(はん・しんとう)(中国)と準々決勝で対戦した。3―4の大接戦を繰り広げ、満員となった会場の現地ファンからは「ハリモト」コールが湧き起こった。試合後のコメントには充実感がにじんだ。「負けた試合の中では満足できる結果」
 最後の種目の団体戦で順当に勝ち上がる中、混合ダブルスの負けをシングルスに引きずらなかった理由を明かした。「混合ダブルスで負けても、シングルスで無理に取り返そうとは思わない。シングルスで負けても、団体戦で倍頑張ろうとは思わないっていう気持ちでここまできて、それがすごく良かった」。これまでの敗戦で得た教訓だった。

 ▽団体戦準決勝 もう力が残っていない


団体準決勝の敗戦後、座り込む張本

 迎えた準決勝のスウェーデン戦は、また別の思いで試合に臨んでいた。勝ちにこだわりすぎない自分と、結果にこだわる自分。この日の張本の選択は後者だった。「全力で勝ち切る。ここだけは自分の信念を曲げて、ここで燃え尽きてもいいって気持ちでやりたい」。強い覚悟がにじんでいた。
 3勝すれは決勝行きが決まる試合。エース対決は快勝したが、2―2で迎えた最終試合で逆転負けを喫した。2―0の優勢から巻き返され、コートに崩れ落ちて額を付けた。
 「死んで楽になるんだったら死にたい。こんな思いをするぐらいだったら」
 コーチや仲間に背中をさすられ、声をかけられてもしばらく立ち上がれない。生死に関わる言葉を使うほど、パリに懸けてきた思いは大きかった。「もう本当に力が残っていない。でも、やるしかない、と言うしかない」。まだ3位決定戦が残っていた。

 ▽団体戦3位決定戦 これがスポーツの素晴らしさ


団体3位決定戦で敗れ、仲間と肩を組む張本(左から2人目)

 今大会最後の試合となった3位決定戦。中一日でコートに立った。エースの目には、輝きが戻っていた。地元フランスに敗れ3大会連続の表彰台を逃したが、張本は最後まで懸命にボールを追い、コートで躍動した。
 試合の後に張本はこう語っている。「今まで僕が勝ってきた試合の裏でも、負けて涙をのんできた選手がたくさんいる。負けがあるから勝った時にうれしい。悔しさがある分だけ、喜ぶ人がいる。これがスポーツの素晴らしさなのかな」

 ▽アスリートにできること


シングルスでプレーする張本

 張本にとって「戦い続ける意味」はずっと自らに問い続けてきたことだ。
 仙台市出身で、小1の時に東日本大震災を経験した。以前には次のようなコメントを残していた。「スポーツがなくても人は生きていける。自分がメダルを取ることで誰かの命を救えるとも思っていない」。自身も被災者だからこそ、その現実を受け止めてきた。
 一方で、アスリートに励まされた思い出も彼の中で大きな意味を持つ。東日本大震災の翌年、同郷の福原愛さん(35)がロンドン五輪女子団体の銀メダルを手に、張本の通う小学校を訪れた。つらい現実の中でも、メダルに触れて感じた明るい気持ちが鮮明に心に残った。
 パリ五輪前には、能登半島地震の被災者への思いも口にしていた。「少しでも喜んでくれる人がいるなら、そのためにも頑張るのが役目」
 五輪本番では各国のエースと激闘を繰り広げたが、勝利にあと一歩が遠かった試合も多く、悔しさが残った。その上で最後に出した答えは「僕たちができるのは、頑張り続けることしかない」。さらなる成長を誓い、エースの歩みは続く。

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