袴田さん58年訴えた「無罪」なるか(下) 「あなたも当事者に」「姉弟の奇跡」。再審判決を前に、3人の思い
47NEWS / 2024年9月25日 10時30分
半世紀以上前の1966年に静岡県で一家4人が殺害された事件を巡り、死刑が確定した袴田巌さん(88)の裁判をやり直す再審で、静岡地裁が9月26日午後2時から判決を言い渡す。
実際に冤罪被害に遭った人や、袴田さんと同じように無罪を訴える人―。再審をさまざまな立場から見つめた3人に、判決を前に思いを聞いた。(共同通信=平川裕己、柳沢希望)
▽侮辱され自白を迫られた。「あなたも当事者になり得る」―コンビニ窃盗事件の冤罪被害者土井佑輔さん(33)
取材に応じる冤罪被害者の土井佑輔さん=2024年8月、大阪府泉大津市
2012年、身に覚えのないコンビニ強盗容疑で逮捕され、その後窃盗罪で起訴された。逮捕されたのはミュージシャンとしてメジャーデビューを2カ月後に控えていた時。若い頃やんちゃをして警察のお世話になったこともあったが、事件の日は友人と実家のテレビでサッカーを見ていた。アリバイがあり「すぐ帰れる」と考えた。
弁護士の助言で黙秘した。黙るだけなら余裕だと思ったが、捜査員は机をたたき「警察なめんな。とことん苦しめたる」と怒鳴った。「変なやつしかいない」「質の低い女」と家族や交際相手を侮辱した。「友人も親もおまえがやったと言ってる」とうそをつき自白を迫った。
覚えていないだけで、やったのかも、認めれば楽になると思った。自殺願望も湧いたが、母親が袴田さんを紹介した本を差し入れてくれた。逮捕後何十年と闘い続ける袴田さんの存在を知り、思いとどまった。302日間の勾留で人生は大きく変わった。元プロボクサーの袴田さんは人一倍メンタルが強いはずだが、いったんは自白した。捜査機関は精神、肉体とも徹底的に破壊しにくる。
プロボクサー時代の袴田巌さん=1961年(無実の死刑囚・袴田巌さんを救う会提供)
デビューが決まっていたグループは解散。仲間の夢も壊れた。自分は逮捕から2年後、アリバイが証明され一審で無罪となったが、ずっと獄中にいた袴田さんの絶望は計り知れない。再審無罪になれば終わりではない。
捜査に外の目が入らないから人をごみ以下のように扱う。決めつけ捜査や密室の取り調べが冤罪を生む。まずこれらをなくすことが重要だ。自分の場合、真犯人が見つかったが、時効で立件されなかった。捜査が間違っていたら、新たに捜査を尽くす必要もある。
無罪確定後、歌や講演を通じて冤罪の問題を訴えている。世間は袴田さんの話を昔のことと思うかもしれない。でも、普段使うコンビニで何の前触れもなく逮捕され、当事者になり得る。身近な問題だと知ってほしい。
▽「外に出たらまたボクシングをやる」。拘置所で共に過ごした6年間―狭山事件で無期懲役が確定した石川一雄さん(85)
取材に応じる、狭山事件で無期懲役が確定し再審請求中の石川一雄さん=2024年7月、埼玉県狭山市
1963年に埼玉県狭山市で女子高生が殺害された事件で逮捕・起訴され、一審で死刑判決を受けた。1969年ごろから6年ほど袴田さんと東京拘置所で共に過ごした。確定しているか未決かに関係なく、死刑判決を受けた者は「四舎」2階に集められていた。当時は収容者同士、ある程度自由に交流できた。
袴田さんのことは「いわちゃん」と呼んでいて、互いの無実を信じ合う仲だった。事件の話を詳しくしなかったが、「俺も犯人にでっちあげられた」と言っていた。ずっとシャドーボクシングをしていて「外に出たらまたボクシングをやる」と口にしていた。運動場に出たらコンクリートの壁に向かってパンチして、手が真っ赤になっていた。すぐ無実が判明すると思って鍛えていたのだろう。
死刑囚は運動場などで知り合い、仲が良かった。刑務官は普段草履だが、執行を告げる時は革靴をはく。シーンと静まりかえったフロアにコツコツという音が響く。いわちゃんは刑が確定してから毎日、自分の部屋の前で足音が止まらないか不安だったと思う。
執行前、死刑囚は皆にあいさつした。「これから執行です。さようなら」「頑張ってね」と言われた時、強く握手したが何も返せなかった。1974年、わたしは控訴審判決で無期懲役となり、2階から別の場所へ移った。それまで何人も見送ったが、いわちゃんは、もっと多く見送っただろう。
東京拘置所の独居房。約3畳の居室の奥に洗面台と洋式便器が設置されている。窓の外には仕切りがあり外の景色は見えない=東京・小菅
2014年、静岡地裁決定で釈放されたいわちゃんに再会した。「石川さん、コロコロしていたよな」と言ってきた。会話が通じない時もあったが、久しぶりで感慨深かった。「石川さんのお父さんか」とも語りかけてきた。独房に両親の写真があったのを、見ていたのだろう。
自分もこんな年になった。1994年に仮釈放され、第3次再審請求中だが、時間があまり残されていない。いわちゃんが再審で無罪判決を受けたら、次は自分が無罪になる番だ。
▽弟の生命力と姉の信じ抜く力が生んだ奇跡―ドキュメンタリー監督の笠井千晶さん(49)
ドキュメンタリー監督の笠井千晶さん=2024年8月、静岡県内
静岡県のテレビ局記者だった2002年、支援者が開いた「記者レク」で袴田さんを知った。「無実を訴えながら、死刑執行を待ち、獄中で生きる人がいる」と衝撃を受けた。
取材を始めた頃、袴田さんは再審請求中だったが動きがなく、世間の関心は乏しかった。直後に初めて会った姉ひで子さん(91)はもの静かで心細そうだった。袴田さんが家族に宛てた手紙を見せてもらった。黄ばんだ紙から家族を思いやる姿が垣間見え、興味がさらに湧いた。
袴田さんは拘禁反応のため、ひで子さんとも面会が難しくなっていた。過去に面会した人に会い、別の死刑囚が袴田さんについて記した手紙を取り寄せた。愛知県のテレビ局へ転職をしてからもひで子さんのもとに通った。
再審開始決定が出され、東京拘置所を出る袴田巌さん。右は姉のひで子さん=2014年3月27日午後5時21分、東京・小菅
2014年3月、静岡地裁が再審請求に対する決定を出す日は仕事の休みを取った。逮捕から48年ぶりに袴田さんの釈放が決まり、ひで子さんらと東京拘置所に迎えに行った。黄色いシャツを着た袴田さんは「よいしょ」と言って車に乗り込んだ。休憩のため地下駐車場に車を止め、姉弟は外に出てアクリル板を介さずに向き合った。この日のひで子さんはうれしそうとか、笑顔とか一言では表せないほど神々しかった。
それまで会えなかった袴田さんの実像を知りたくて、フリーになり浜松市に移り住んで取材を続けた。釈放後、拘禁反応のため家の中を歩き回るなどしていた。今はこうした行動はなくなったが、妄想の世界の中にいることは変わらない。取材を始めて22年。カメラを回した時間は400時間を超えた。
2人が元気なうちに無罪となれば、袴田さんの生命力とひで子さんの信じ抜く力が生んだ奇跡。今、撮りためた映像で「拳(けん)と祈り―袴田巌の生涯―」という映画を製作している。公開は10月の予定で、今度の再審判決を最後のシーンとするつもりだ。多くの人に過酷な運命を生きた2人の姿を見て、元気と勇気をもらってほしい。
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