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震災直後の書店で、子どもたちは1冊の雑誌を回し読みし、笑い声を響かせた ありがとう「伝説のジャンプ」―仙台の2代目店主、62年の歴史に幕

47NEWS / 2024年9月30日 10時30分

東日本大震災の直後に週刊少年ジャンプが読めると告知した塩川書店五橋店の張り紙=2011年3月28日撮影(提供写真)

 東日本大震災の発生直後、仙台市の小さな本屋で、子どもたちが1冊の「週刊少年ジャンプ」を回し読みした。物流が滞っていた中で、店主が偶然入手した貴重な最新号。大人気漫画「ONE PIECE」や「NARUTO―ナルト―」を楽しみに100人以上が集まり、笑い声をもたらした。
 誰かのためになりたいとの店主の思いから置かれた1冊は「伝説のジャンプ」と呼ばれるようになり、後に中学道徳の教科書にも取り上げられた。その本屋が2024年8月末、惜しまれながら店を閉じた。そんな「町の本屋」の物語を追った。(共同通信=堀内菜摘、大石祐華)

 ▽「子どもに絵本や漫画を」震災3日後に再開


閉店前の塩川書店五橋店=8月9日、仙台市青葉区


 店は仙台市青葉区の東北大片平キャンパスにほど近い「塩川書店五橋店」。1962年に創業し、2011年3月11日の震災当時でも既に半世紀近くの歴史があった。


塩川祐一さん=8月9日

 震災では店内が激しい揺れに見舞われ、棚から落ちた本が一面に散乱したが、電気は比較的早く復旧。「怖がる子どもたちに絵本や漫画を読んでもらいたい」。2代目店主の塩川祐一さん(61)が3日後に営業を再開した。夜遅くまで明かりがともる店には、先行きが分からず不安な時間を過ごす1人暮らしの人々が自然に集まってきた。

 ▽知人に譲り受けた1冊が「伝説」に


「伝説のジャンプ」が置かれていた棚=8月26日

 発生9日目の19日、少年ジャンプの発売日。塩川さんの店への配送は、当然なかった。そんな中、山形県へ食料調達に出かけた際に買った知人が「読み終えたから」と譲ってくれた。
 「少年ジャンプ読めます!! 一冊だけあります」
 店の張り紙を見た子どもたちがたちまち列をつくった。普段は立ち読みを注意する立場の塩川さんも「順番ね」「1人1作品ずつね」と歓迎した。
 子どもたちはお礼にと、手持ちの10円、20円を差し出してくれた。その合計は4万円ほどになり、後に津波の被災地域へ本を贈るプロジェクトに寄付した。
 塩川さんには忘れられない光景がある。津波で家を失い、自転車で2時間かけて来たという親子。子どもはジャンプを読んで喜び、母親はその姿を見て泣いていた。
 「子どもに心配させまいと、がむしゃらに動く母の強さをまざまざと見た」


子どもたちが回し読みした「週刊少年ジャンプ」(集英社提供)

 大勢が読んで印刷がこすれ、テープで補強された1冊。後に「伝説のジャンプ」と呼ばれ、今は出版元の集英社(東京)で保管されている。2012年には手塚治虫文化賞の特別賞が贈られた。

 ▽閉店の日、常連客が惜別の拍手

 その後の10年余り、既存の書店を取り巻く状況は書籍の電子化などで厳しさを増し続けてきた。塩川さんも売り上げの回復が難しく、閉店を決断。「無理してでも続ける価値がある」と医療事務の副業をしながら妻と二人三脚で切り盛りするのは限界だった。閉店が近くなっても、当時の子どもたちは来てくれていたという。
 今年8月31日、62年の歴史に幕を下ろした。「ずっとあるものだと思っていた」「お元気で」。常連客らが店を訪れ、別れを惜しんだ。営業を終えた午後8時ごろ、塩川さんは店の前に立って「父親の代から62年間、今日閉店を迎えます。本当にありがとうございました」とあいさつ。集まった人々から拍手が送られた。


最終日の営業を終え、常連客らにあいさつする店主の塩川祐一さん(右)=8月31日夜

 「幼い頃から来て青春の一部だった。寂しい」と話したのは、震災当時にティーンエージャーだった近所の女性会社員(28)。塩川さんは「お客さんと一緒に人生を歩めて良かった」と振り返り、明かりの消えた店先に立つと「明日からは電気がつかないんだな」としみじみ話した。
 入り口の両脇に飾られていたのはたくさんの花々。贈り主として「集英社販売部一同」「週刊少年ジャンプ編集部」「週刊少年ジャンプ漫画家一同」の名がつづられていた。

 ▽「人生が変わる一冊、どこかにある」


苦楽を共にした店での日々をつづった張り紙=8月26日

 かつてジャンプが読めると告知した店先には8月下旬から、苦楽を共にした店での日々をつづった張り紙が増えていき、8月31日の閉店時には約20枚に上った。
 「まわり道 より道 遠まわり そんな本屋人生でした」
 「人生が変わる 一冊の本 どこかの本屋の どこかの棚にある ひっそりと それと出会えるのは 本屋だけだ(きっと)」
 「精一杯やった!という気持ち!! ここまでだ!という気持ち もう少しというキモチ…」
 「これから 本を売る側から 本を買う側になる ちょっと ワクワク する」
 日本出版インフラセンターによると、10年間で閉店した書店は全国で約5千店に上る。塩川さんは「時代の変化とともに売る雑誌が減り、売り上げが落ちた。時代の波にあらがえなかった」と寂しげに語った。今後は書店の経営を退いても「紙の文化はなくならないし、なくしてはいけない」と願い、他の店には長く続けてほしいという。
 副業だった医療事務を9月から本職に切り替えた塩川さん。新たな仕事に向き合う心構えは「誰かのためになりたい」。震災下の仙台に多くの笑顔をもたらしたジャンプを店で読んでもらった時と変わっていない。

 ▽「つらかった日々が大事だった」。閉店して思うこと


閉店した塩川書店五橋店=8月31日夜

 9月14日、塩川さんは高校の同窓会に初めて参加した。今まで書店営業のために参加できていなかった。今は全国各地で暮らす友人らには「よくやったね」「お疲れさま」とねぎらわれた。閉店のニュースは全国に広がり、日本中から感謝の手紙や連絡が相次いでいるという。
 かつての店は本や本棚が片付けられ、次の店舗が入るように改修工事が進む。「変わっていくのはさみしい」。塩川さんはぽつりと話した。


看板が取り外され、改修工事が進む店舗跡=9月19日

 閉店後は本や客と向き合う時間がなくなった。空いた時間の使い方が分からず、知らない道をあてもなく歩いている。閉店前に「ワクワクする」と話していた本屋巡りを実際にやってみても、今は心が動かない。
 閉店して分かったのは「つらかった日々が大事だった」ということ。夜は医療事務の仕事に駆け付け、日中は目をこすりながら店に立って常連客と雑談を楽しんだ多忙な日々は様変わりした。「閉店を選択したことは『自分の人生にとって良かったか』。ずっと悩んでいくと思います」

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