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史上初、入獄した元法務大臣の河井克行氏が見た刑務所の世界 「次は良い大臣になるよ」その言葉の真意とは?

47NEWS / 2024年10月8日 10時30分

河井克行氏=9月、東京都渋谷区(小島健一郎撮影)

 首相官邸のレッドカーペットから一転、寒風吹きすさぶ四畳一間の独房へ―。2019年の参院選広島選挙区での買収事件で妻の河井案里氏とともに逮捕され、懲役3年の実刑判決を受けた河井克行氏(61)。法務大臣経験者が受刑者になった史上初めての事件で、昨年11月、仮釈放された。
 法務省のトップといえば、日本全国の刑務所のトップでもある。そんな法務大臣・副大臣を歴任した河井氏の目に、刑務所の中はどう映ったのだろうか。何か得がたい経験はあったのか。そして現在、妻・案里氏との関係は。
 今回、逮捕後初めて、共同通信のインタビューに応じた河井氏。「多くの気づきがありました。次、法務大臣になったら良い大臣になるよ」と、冗談とも本気ともつかないような言葉を口にする。真意を聞いた。(共同通信=武田惇志)

 ▽「刑務所は再犯生産工場」


2019年9月、天皇陛下から認証を受ける河井克行法相。左から2人目は安倍首相(いずれも当時)=皇居・宮殿「竹の間」(代表撮影)

 河井氏が収監されたのは、喜連川社会復帰センター(栃木県さくら市)の独房だった。半官半民の運営で、受刑者の社会復帰に力を入れる先進的な刑務所とされる。過去には、京都アニメーション放火事件を起こす前の青葉真司被告が、別事件で収容されていたこともある。
 かつて安倍内閣の一員だった河井氏だが、刑務官からは「河井!」と呼び捨てにされた。自由は全くなく、「用便に行っていいですか?」「移動願います!」「水道使用願います!」などと挙手しつつ、計17回も刑務官に大声で許可を請わないとトイレに行くことさえできなかった。
 割り当てられた刑務作業は、パソコンで作業報奨金を計算したり、官本などを整理したりする「図書計算工場」。河井氏はそこで他の受刑者たちと交流を持った。日々を共に過ごす中で、彼らのほとんどが、塀の外とのつながりを失っていることに次第に気づいたという。河井氏は言う。
 「妻が面会に来てくれると、工場の担当刑務官が『河井!』『面会!』と大声で告知するんです。でも、私のほかに面会のあった同衆(工場の同僚受刑者)って一人ぐらいでした。だから面会のたびに、彼らに悪いような気がしていましたね」
 また、妻・案里氏や国会議員仲間から頻繁に本を差し入れてもらい、獄中で870冊読破したという河井氏。だが、差し入れ本の確認作業で分かったのは、知人から差し入れがあるのはいつも自分ばかりだったことだ。


東京・霞が関の法務省旧本館

 そうした気づきから、次第にかつて自分が信じていた刑事政策に疑問を抱くようになったという。
 「刑事政策は、総じて厳罰化の方向なんですよ。厳罰化すれば犯罪が減る、抑止されるっていうね。僕も副大臣の時に役人からそう聞かされていましたが、実際に受刑者の立場になり、同衆の話を聞き、現実が見えてきた。皆、実刑判決を受けた段階で、塀の外とのつながりを失っているんです。もちろん、『そうなったのはおまえたちが罪を犯したからだ』と言われたら、それまでです。でもね、この人たちをずっと塀の中に閉じ込めておけるわけじゃないでしょ。刑期の長短はあるにしろ、いつかは社会に返すわけです。例えば、さっきJR山手線で、あなたの横に座っていた人が出所者だったかもしれないわけですよ。現に、出所者である僕自身、都内を自由に歩き回っていますよ」
 だが、手紙の発信も月に数度という制限があり、便箋も1回につき7枚までと決められている。河井氏自身、受刑中に回数制限で手紙の返信ができないまま、パーキンソン病だった父親を亡くしている。
 「これでどうやって社会とのつながりを回復しろと言うのだろう。そんな状態で何年も社会から隔絶されて、更生しろって言われても厳しい。僕は、妻をはじめとして応援してくださる方がいたので頑張ってこられましたが、普通の人には無理でしょう。ある受刑者が言っていましたよ、『刑務所は再犯生産工場ですね』と」

 ▽不条理の塊


インタビューに答える河井克行氏=9月、東京都渋谷区(小島健一郎撮影)

 「図書計算工場」での発見は、他にもある。獄中で資格を取得して社会復帰に生かそうと考える受刑者は多いが、肝心の本がないのだ。
 「受刑者から請求が来たら、資格関係の参考書や問題集を貸し出すんです。ところが簿記の問題集を見ると、相当古いし、3冊程度しかない。しかし当時の受刑者は約1400人いました。だから請求に対して、いつも『貸し出し中』と返事を書かざるを得ない。実に心苦しかったですよ。せっかく資格を取ろうと前向きな気持ちになっても、情報が得られないんですから」
 また、書籍は注文して購入することができるが、刑務所と契約している書店に注文すると、かなりの確率で「品切れ」だったという。
 「単行本は月に6冊を注文できるんですけど、6冊のうち4、5冊は品切れと返答される。つい最近、新聞に広告が載った本でさえね。だから、長くいる受刑者たちはあきらめてますよ。本を借りることも、買うこともできない。友達や家族からの差し入れもない。それで、出所後のことを考えろって言われても、外の情報が皆無で、一体どうやってできるんですか?不条理の塊ですよ」
 河井氏が思い出すのは、かつて法務副大臣時代、法務省の官僚から渡された書類に並んでいた「受刑者の心情に寄り添う」「受刑者の心情を理解する」などのうたい文句だ。
 「実態は全く違う。入所時に一度、職員との面談があっただけ。その後、心情を聞き取られることなんて全くありませんでした。それに、今の刑務官の人員数では、そんなことを求めても酷ですよ。現場はきっと、本省(法務省)に対して『じゃあ、あんたやってみろよ』と思ってるんじゃないかな」

 ▽幸せじゃなかった


インタビューで涙ぐむ河井克行氏=2024年9月、東京都渋谷区(小島健一郎撮影)

 計1160日間、塀の中で暮らした河井氏。独房では、常に不安がつきまとった。
 「自分の行く末が不安というより、家族と接触できないことが不安でした。妻は毎日のようにせっせと手紙を送ってくれましたけど、届くまでに時間がかかるし、僕の書いたものが着くまでにも時間がかかるんです。読み終えて返信していたら遅くなるから、読む前に出すんですね。だから内容の食い違いが出てくる。その時間差がもどかしかったですね。とりわけ妻が体調不良で倒れた時など、不安で仕方なかったです」
 外界から隔絶された独房では、昼間にラジオで耳にした「安倍晋三元首相が銃撃された」というニュースも実感が湧かないままだった。
 夜、案里氏から安倍元首相の死を知らせる電報を受け取り、ようやく現実の出来事と感じられたという。かつて自分を引き立ててくれ、腹心となって立ち働いた安倍元首相を失った河井氏は、独房でひたすら祈り続けることしかできなかったと振り返る。
 不安にさいなまれ、疑問を感じることも多かった獄中生活だったが、得たこともある。かつて週刊誌などでも報道された、自身のスタッフへのパワハラに関する痛烈な反省だ。
 「なんで、何回言っても分からないんだ!」。集団行進の際、歩行が遅れがちな高齢の受刑者に対し、刑務官がそう怒鳴ったのを聞いたときのことだった。
 「そのとき、はたと気づきました。自分も過去、同じ言葉を秘書やスタッフに吐いていた。分からないから分からないのに、『なんで分からないのか』と怒鳴っても答えようがない。人に対して厳しく当たる、つらく当たるってことがどれだけ人を傷つけるか。この立場になって、初めてよく分かりました」


2019年9月、広島市のホテルで開かれた政治資金パーティーで、ステージに立つ河井克行氏(右)と、妻の案里氏

 時に、眼鏡を外し、涙を浮かべながら取材に応じた河井氏。獄中体験は、広島県議に初当選した20代から、しゃにむに走り続けた政治家としての人生を振り返る契機にもなったという。
 「妻はずっと広島県議を務めていて、県知事選に出たり、参院選に出たりした。僕は衆議院議員で、いつ解散総選挙か分からず、常に気持ちが追い立てられていたと思います。これは国会議員になった人しか分からないと思うけど、頭の中はいつも、次の選挙のことでいっぱいなんですよ。さらに僕たち2人は、どちらかがいつも選挙が近いという、異常な環境の夫婦でしたから。やっぱり、幸せじゃなかったですね。僕は世襲でも官僚出身でもなくて、そんなに選挙、強くなかったし。だから結婚してから、二人そろって休んだ日はほとんどないんです。毎日ばたばたしてるのが充実していることなんだ、というふうに勘違いしていましたね」

 ▽十字架


河井氏の左手薬指に輝く指輪=2024年9月、東京都渋谷区(小島健一郎撮影)

 東京地裁は、河井氏が参院選で地元議員ら100人に現金を渡し、妻・案里氏への集票を依頼して公選法に違反したと認定。案里氏も一部を共謀したと判断され、当選無効になった。そのためか、事件後は離婚説なども取り沙汰された。しかし、昨年11月29日に仮釈放された河井氏は、東京都内で案里氏との生活を再開させた。
 「日本人全員が、『こんなばかな夫なんて捨てて別れた方がいいんじゃないか』って思ってたでしょうね。普通なら、離婚されても文句言えない立場ですよ。夫がばかなことを主導したおかげで、彼女も有罪となって議員辞職せざるを得なくなった。僕のことを恨んで当然です。妻がなぜ僕を捨てなかったのかって?それは、僕にも分かりません。妻は計り知れない人ですから」
 「逆説的かもしれないけど、2001年に結婚してから、今が一番、仲がいいんじゃないかな。国会議員時代は、平日は東京で、週末に広島の自宅に帰るだけだったからね。外国出張も多く、一緒の時間を過ごせた機会は本当に限られていたから。さらに逮捕後は3年2カ月、物理的に引き離されてしまいましたしね。だからか、仮釈放から1年近くたちますが『あなたが帰ってきてよかった』と、いまだによく言われます」
 仮釈放後、河井氏は地元・広島を訪れ、関係者に事件の謝罪をして回っている。今夏には、著書「獄中日記」(飛鳥新社)を出版し、刑務所での日々や、獄中で感じた課題をエッセー風に書きつづった。「今、苦しい思いをしている人たちにこそ、読んでもらえれば。特に、若い人たちに僕のしくじり経験から教訓を引き出してほしいですね」


河井氏の著書「獄中日記」(小島健一郎撮影)

 10月19日には、京都大で開かれる日本犯罪社会学会の年次大会に出席し、刑事司法の専門家らを前に自身の体験を語る予定だ。くしくも刑期満了の日で、「再犯率減少のために役立ちたい」と話している。
 現在は、政治家時代に訪れた国々に出張しては、外交・安全保障分野で貢献する道を模索している日々だという。
 「事件では、本当に多くの人にご迷惑をかけてしまいました。これは、生涯にわたって自分が背負い続ける十字架です。私益を求めるんじゃなくて、公(おおやけ)のために貢献する人生を生きる。それが、自分が背負っている十字架の意味だと考えています。とはいっても、昔のようにしゃにむにやるわけじゃない。川の流れに身を任せ、夫婦2人、楽しみながら生きたいですね」

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