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1964年の新潟地震、知っていますか? 液状化注目契機に、建物倒壊で26人死亡

47NEWS / 2024年10月16日 10時0分

一面焼け野原になった新潟市臨港町一帯=1964年6月18日

 新潟市中央区に住む近藤武夫さん(82)は60年前、市内の勤務先会社のロッカー室で突如、「経験したことがないくらい大きな揺れ」に見舞われた。建物は傾き、ひび割れた道路が目に飛び込んできた。製油所の石油タンクは出火し、黒煙が空を覆う。「こんなことが起きるのか」。その時、1964年6月16日午後1時過ぎ。建物約2千棟が全壊、26人が亡くなった新潟地震のことである。液状化現象が注目されるきっかけにもなった地震を、振り返る。(共同通信=渡辺敦、神部咲希)

▽地割れ、冠水、曲がった線路


地震でできた地割れ=1964年6月、新潟市(近藤武夫さん提供)

 近藤さんは、勤務先から家に帰って家族の無事を確認すると、「何が起きているのか」との好奇心から、家にあったカメラを手に、バイクで市内を駆け回った。何日かかけてフィルム2本分、写真70枚近くを記録した。


 撮影した白黒写真には大きく折れ曲がった電柱や、地割れの様子、津波で冠水したとみられる道路を膝まで漬かりながら歩く人の姿が写されている。その衝撃の大きさは今でも鮮明だ。


冠水した道路を歩く人たち。石油タンク火災の黒煙も見える=1964年6月、新潟市(近藤武夫さん提供)

 今では写真を趣味とし、アマチュアカメラマンとして活動する近藤さん。写真は長く自宅に保管していたが、2024年1月の能登半島地震を受け、新潟地震を振り返る機会にしたいと、6月に市内で写真展を開いた。会期の4日間で800人以上が訪れた。


展覧会で、来場者(左)に写真の説明をする近藤武夫さん=2024年6月、新潟市

 新潟市西区に住む阿部利男さん(85)も新潟地震の経験者だ。当時、市の保健所で診療放射線技師として働いていた。「桁違いの揺れ」に襲われたのは昼休憩後。窓から外をのぞくと、道路が割れ、水が噴き出している。
家族が心配で退勤し、自宅に向かって歩き始めると、電車もバスも止まっていた。真っすぐで遠くまで見えた線路も、曲がって先は見えない。「とにかく不気味だった」。後日同僚から聞いた話では、市中心部に架かる萬代橋は人でごった返し「津波が来る」とパニックになったという。
2時間後、約8キロ先の自宅にたどり着く。家族は無事だったが、液状化で家は基礎部分が破損し、傾いていた。当時の住宅は簡素な造りが多く、自宅の基礎もコンクリートなどでなく、木材と石で造られていたという。市からは半壊の判定を受け、建て替えた。

 ▽地震の規模は阪神大震災上回る


落ちた昭和大橋と燃え上がる昭和石油タンク=1964年6月16日

 新潟地震の震源は新潟県下越沖で深さは約34キロ、マグニチュード(M)は7・5を記録した。1995年の阪神大震災、2016年熊本地震の「本震」がM7・3だ。Mを比較すると、それらを上回っていた。


 新潟市では当時の震度階級で震度5を観測した。信濃川に架かる昭和大橋は崩落し、冒頭で触れた製油所のタンクは約2週間燃え続けた。
 気象庁によると、日本海側の各地に津波が押し寄せ、新潟県村上市では海面から約4・9メートルの高さで津波の痕跡が確認された。
 当時の国の資料によると、建物の全壊は最も多い新潟県で約1450棟、次いで山形県でも約500棟。一部破損は7万棟弱にも上った。液状化現象は新潟市内だけでなく山形県酒田市などでも起き、新潟市内では4階建ての県営アパートが横倒しになった。倒壊した建物の下敷きになるなどして、新潟県外も含め26人が犠牲になった。

 ▽能登半島地震でも同じ範囲が液状化


液状化現象で噴出した泥をかき出すボランティア=2024年1月、新潟市

 液状化現象が注目されるようになったのは、新潟地震からだと言われている。そして実は、新潟市では能登半島地震でも液状化が起きている。新潟大災害・復興科学研究所の卜部厚志教授(地質学)は「60年で2回目の被害だ。対策をしないと必ず繰り返すことになる」と強調している。


能登半島地震で被害を受けた自宅で、新潟地震の体験を振り返る阿部利男さん=新潟市西区

 前出の阿部さんは1989年、家を新築する際に二の舞いにならぬよう、家屋の下部に鉄筋コンクリートを全面的に入れる「ベタ基礎」を取り入れた。当時は最先端技術と言われたという。しかし、能登半島地震では新潟市西区は震度5強の強い揺れを観測し、同区を中心に液状化現象が発生。5人が暮らす阿部さん宅の床下でも地割れが起き、家全体が沈んだり傾いたりして全壊と判定された。


 国土交通省北陸地方整備局によると、液状化のメカニズムはこうだ。地中では砂の粒子が互いに結合し、その間を水が満たしている。強い揺れが加わると、結合していた粒子がばらばらになり、建物は水に浮いているような状態になる。その結果、建物は傾く。地下で圧力が高まり、逃げ場を失った水が泥と一緒に地表に噴き出る「噴砂」も起きる。
 卜部教授らの調査によると、新潟地震と能登半島地震で液状化したのはほぼ同じ範囲。信濃川の旧河道や、かつて水田だった場所を宅地造成した場所だった。北陸地方整備局が公表している「液状化しやすさマップ」でも危険性が高いとされていた地域だ。


新潟市西区の公園で液状化の原因調査をする新潟大の卜部厚志教授(左)=2024年3月

 卜部教授は「新潟地震当時は液状化に関する研究が進んでおらず、危険性が認識される前に宅地化された可能性がある」と話す。液状化は地下水位が高い場所で発生しやすいため、工事で水位を低下させたり、固い地盤を作るために地中に薬品を注入したりする方法があるが、費用が高く、合意形成に時間がかかるといった課題もある。卜部教授は「行政が主導して、街区単位で地盤改良をすることが必要だ」と訴える。
 
▽地震保険制度創設にも


炎を上げて燃え続ける昭和石油の重油タンクの消火作業=1964年6月18日、新潟市

 新潟地震は地震保険制度が創設されるきっかけにもなった。
 当時は損害保険業界が地震保険を創設するべく、制度設計を研究中だった。「損害保険料率算出機構」の「日本の地震保険」や国会議事録によると、地震3日後の6月19日の衆院大蔵委員会では、地震による建物被害が保険金支払いの対象とならないことが問題視された。当時の大蔵大臣田中角栄は制度創設について「速やかに善処する」と答弁した。その後の1966年に関連法令が施行され、地震保険は1966年6月1日に発売された。
 保険金額は現在、建物5千万円、家財1千万円が上限だ。損害保険料率算出機構のウェブサイトによると、加入率は右肩上がりに伸び続け、2022年は35%に達した。「日本損害保険協会」の担当者は「近年の自然災害の増加で防災意識が高まっているのではないか」と推測した。

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