79年目の慰霊 東京・高尾山麓のトンネル列車銃撃
47NEWS / 2024年10月4日 11時0分
【汐留鉄道倶楽部】JR中央線の高尾駅(八王子市)は、東京の都心から武蔵野を走り抜ける中央線電車(旧国電)の終着駅だ。線路はそのまま西へ続き、ここから先は特急「あずさ」など中距離列車にバトンタッチ、中央本線として山間に分け入って沿線の風景はがらっと変化する。
わが家の墓は高尾駅近くにあり、子どもの頃、お彼岸などの墓参りの際は、ここから西方向に出かけてちょっとした遠足気分を味わうのが楽しみだった。いまや訪日外国人にも大人気の高尾山は、1967年の京王高尾線開通で高尾山口駅が開業するまでは、この高尾駅がもっぱら観光の表玄関だった。
そんな、自分にとっては訪れるだけでわくわく感が湧いてくる高尾駅だが、かつて浅川駅と呼ばれていた昔、この駅を発車して西に向かった列車が大きな惨劇に見舞われた歴史があることを学んだのは、最近のことだ。
1945(昭和20)年8月5日(太平洋戦争が終結する10日前)、米軍による八王子市街地への大規模な空襲で不通になっていた中央線が、3日ぶりに開通した。午前10時半ごろ、電気機関車のけん引する8両編成の419普通列車が始発駅の新宿を出発、一路西を目指す。車内には山梨、長野方面の自宅や疎開先へ向かう一般の乗客や兵士が大勢乗り込み、立川、八王子を過ぎて正午前に浅川駅へ着いたときには満員だったという。
現場付近の上り線(当時は単線)を行く特急電車
12時15分ごろ、419列車は浅川駅を発車した。直前に空襲警報が鳴ったが、発車の判断をした。走り出した列車は南浅川と旧甲州街道に沿って緩やかな上り勾配をゆっくり走り、数分後には浅川駅からは2キロ余り、最初のトンネル、「湯の花(いのはな)トンネル」(全長180メートル)を通過するはずだった。惨劇はここで起きた。
走る列車めがけて米軍の戦闘機P-51(通称ムスタング)が降下して襲来、銃撃を始めたのだ。列車は先頭の機関車と客車2両の途中までが湯の花トンネルに入ったところでストップしてしまう。すると、トンネルの外に止まった残りの客車が標的となり、機銃掃射が繰り返された。
列車銃撃の現場となった湯の花トンネル入り口付近
執拗(しつよう)な攻撃により約40人がほぼ即死状態となった。騒ぎに気付いた沿線に住むたくさんの人々が救援にかけつけ、足場の悪い現場から多数のけが人を運び出し、さらに各地の病院に移送した。当時すでに東京・多摩地区も空襲被害などによって医療体制は逼迫(ひっぱく)しており、今回調べて知ったことだが、20キロ以上も離れた、私が通った中学校の隣にある保養院(現桜ケ丘記念病院)にまで重傷者が運び込まれていた。最終的にこの銃撃による死者は52人、けが人は133人との記録が残る。
現在、現場近くの線路脇には、死亡して名前が判明した44人の名を刻んだ「慰霊の碑」が建てられ、毎年この8月5日に、慰霊の集いが開かれている。惨劇の記憶を風化させまいと1984年に「いのはなトンネル列車遭難者慰霊の会」が立ち上がり、コロナ禍で行事は一時控えたが、今年も猛暑の中、静かに慰霊の集いが開かれた。集いといっても、来訪者は慰霊碑に花を手向け、それぞれで手を合わせるという静かで厳かなものだ。それでも入れ替わり100人近く集まったろうか。
犠牲者の名前が刻まれた慰霊の碑と献花台
現場付近を少し歩いてみたが、いま目立つのは中央道と圏央道が交差する巨大な八王子ジャンクションだ。湯の花トンネルがうがつ小さな尾根に覆いかぶさるように建設され、行き交う車の音が谷間に響く。線路は当時単線だったが、現在は上下複線となり、銃撃現場は上り線として使われているトンネルの高尾駅側の入り口付近だ。慰霊で訪れる人々は、トンネルが見える小さな踏切まで行き来して手を合わせていた。
列車に乗客として姉と一緒に乗っていたという90代の女性は、銃撃された際、とっさに2人とも車内の床に伏せたものの、姉は二度と起き上がらなかったという話を静かに語った。つらい思い出だ。
銃撃の現場となったトンネル方向を見つめる慰霊の集いの参加者。後方は高尾山
犠牲者の多くは現場の地元とは直接の関係はないわけで、地元の人が中心になった慰霊の集いを続けていくのは大変だろうと思う。それでも、続けていきたい、いかねばという思いが参列者の表情、言葉に満ちていた。
この一般人を無差別に狙った列車銃撃が世間でもあまり知られていないのは、同じような空襲による犠牲がこの時期各地で多数起きていたからなのではないだろうか。でも知れば知るほど、終戦の決断がもう少し早ければ、大切な命を少しでも救えたのに、との思いが残る。翌日の6日には広島、9日には長崎へ原爆が投下され、終戦を迎えたのは15日だった。
高尾駅1、2番線ホームの支柱に残る米軍機による銃撃痕
慰霊の集いの帰り道、高尾駅の1、2番線ホーム中ほどの支柱に今も残る機銃掃射の銃弾痕を確かめた。419列車銃撃より3カ月前の米軍機銃撃によるものだという。支柱には銃撃痕の場所を示す看板が掲示されており、すぐに分かったが、看板はいつ掲示されたのだろう。これまで幾度も利用してきたホームなのに気付かなかった。
☆共同通信・篠原啓一
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