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さよならマングース 絵と唄に生き続ける奄美の動物たち

47NEWS / 2024年10月24日 10時30分

フイリマングース

 鹿児島県の奄美大島でマングースが根絶されたというニュースが大きく報じられた。奄美には豊かな自然があり、貴重な生物の固有種も多い。特定外来生物マングースが駆除の対象になったのは仕方がない。だが、毒蛇ハブを退治する好敵手とおだてられ、その後一転して人間に追われる身となったマングースの悲しみに心寄せる人もいる。駆除がほぼ完了しつつあった時期に発表された一枚のCDと一冊の絵本は、そんな気持ちもひっくるめて、奄美の動物や伝承、習俗への優しい思いに満ちている。そこに描かれた奄美の自然とは。(共同通信=大木賢一)

 ▽落ちぶれ果てたマングース


CD「あまみの唄あそび RIKKIのくろうさぎはねた」

 CDは「あまみの唄あそび RIKKIのくろうさぎはねた」。奄美出身の歌手RIKKIさん(49)が12曲を歌っている。「唄あそび」とは、沖縄や奄美の弦楽器「三線(さんしん)」を使い、島の人々がお酒を飲んで楽しむ唄の駆け引きのことだ。

 10曲目に「悲しきマングース」という唄がある。
 奄美大島で最後のマングース1頭が捕獲されたのは2018年4月。CDがリリースされた2017年には、マングースの駆除はほぼ完了していた。
 曲はマングースを、ハブを退治にやってきた正義の味方だとうたう。人や家畜を守るため遠い異国から連れてこられたが、夜行性で活動時間の異なるハブとは戦わず、やがて希少動物を捕食するようになった。人間の態度は豹変(ひょうへん)した。
 〈おいらはマングース たちまち島のお荷物さ 厄介者と嫌われて 落ちぶれ果てたマングース〉
 詞を書いた元グラフィックデザイナーで絵本創作家の幸田哲弘さん(69)も奄美出身で、10代の頃、島で「ハブとマングースの対決ショー」を見た記憶があり、マングースには悪者と戦う正義のイメージが強かった。「それが絶滅させられるのはどうなのか。島民の救いの希望だった時期は確かにあり、奄美の文化史にマングースは欠かせない。そういうマングースの悲劇を言葉に残したかった」と語る。

▽妖怪と動物たち


絵本「あまみの唄あそび くろうさぎはねた」(海風社)

 CDには、もとになった絵本がある。同名の絵本「あまみの唄あそび くろうさぎはねた」(2011年、海風社)だ。当初はCDと同時発売のつもりだったが、CDだけ遅れた。RIKKIさんは発売を掛け合った何人かの人に「沖縄の島唄ならすぐ出せるけど、奄美だとちょっと」と言われたことを覚えている。
 絵本は、表紙をはじめ、すべての絵を絵本作家の石川えりこさんが描き、詩はすべて幸田さんが書いた。
 絶滅危惧種アマミノクロウサギを思った詩はこんなふうだ。〈こんやはなにしてあそぼかな ちいさなみみをはずませて つきよにうたうくろうさぎ ぴゅーいぴゅい ぴゅーいぴゅい〉


妖怪「けんむん」と動物たち

 奄美に伝わる妖怪「けんむん」も大事なキャラクターだ。赤い毛に覆われていて、カッパのように頭に皿があり、魚の目玉が大好物。子どもと相撲を取って遊んだりするが、ガジュマルの木を切るとたたりをもたらす。自然の守り神のような存在で、沖縄に伝わる木の精キムジナーとも似ている。〈けんむんけんむんあそぼうよ がじゅまるきのうえかくれてる〉


ルリカケス

 瑠璃色がきれいなカラスの仲間ルリカケスは、絵本の中でなぜか泣いている。姿は美しいのにギャーギャーと汚い声でしか鳴けないからだ。〈なみだをこらえてたえてきた かなしいじだいがありました〉〈わたしはるりいろルリカケス〉
 「涙をこらえた悲しい時代」とは、なんのことだろう。幸田さんに聞いてみた。「薩摩藩による支配と黒砂糖づくりの重労働が奄美の受難の第一。もう一つは、米軍統治下に置かれて日本ではなくなった戦後の時代です」
 絵本では、ほかにも多くの動物たちが色とりどりに描かれている。フクロウ、コウモリ、ヤドカリ、フナムシ、ウミガメ、クロブタ、ハブ、熱帯魚たち。

▽孤高の画家田中一村

 絵本に登場する「せいたかのっぽの一村さん」は、晩年を奄美で過ごした孤高の日本画家田中一村のことだ。
 1960(昭和35)年ごろに千葉から移り、奄美に定住するようになった一村は、つむぎ工場で染色工として働きながら絵を描き、切り詰めた生活の中で島の風景や自然を描き続けた。1977(昭和52)年、無名のまま奄美で69歳の生涯を閉じた。

 1955年生まれの幸田さんは、小学生の頃、学校に通う道すがら、よく一村とすれちがったことを覚えている。そのときの思い出も詩に書いた。
 〈せいたか のっぽの 一村さん がっこう いくみち すれちがう ステテコ すがたの 一村さん〉
 〈くちかず すくない 一村さん ピカソの えほんを もっていた〉
 〈とりや くさばな みつけては スケッチ していた 一村さん クロトン ビロウ ルリカケス たくさん おえかき するために たどりついた あまみじま〉

▽母と少女の声

 ふるさとを出てから40年近く、ずっと奄美に帰っていなかった幸田さんは、奄美と島の自然への思いをどうにかして残したくなり、詩を書いた。ゴルフ場の建設や砂浜の埋め立てでふるさとの自然は変わっていた。自分の詩に曲を付けてRIKKIさんに歌ってもらおうと、最初から思っていた。
 RIKKIさんは4歳で島唄をうたい始め、15歳のときにテレビの民謡大賞でグランプリを獲得、1993年にデビューした。島唄とポップスの融合を図り、演奏するなど、広く活躍している。その歌声を幸田さんは「包み込むような母の優しさと少女のきらめく声を兼ね備えている」と評す。
 4人の子どもを育てたRIKKIさんにとっても奄美の習俗は子どもの頃の原風景だ。「絵本のお話には、時代が変わっても一番大事な『感謝の気持ち』が込められています。本を読むことができない子も、唄を聴くことならできる。島への思いを唄で伝えることができたらうれしい」

 RIKKIさんにマングースの思い出を聞いてみた。歩いているとしょっちゅうハブを見かけるので、島民はみんなハブを捕まえる道具を車に積んでいた。幼い頃、親が捕まえたハブをお金にするためハブセンターに持って行く姿をよく覚えているという。「わくわくしながら私も付いていくことがありました。取引をしている間に、隣でガラス越しにハブとマングースの戦いを見せてもらえたからです。幼いながら目にしていたマングースは、実にヒーローでしたよ」
 子どもたちが中学生の頃、RIKKIさんが絵本や自分の唄について話していると、息子に言われた。マングースはすでに島からほぼいなくなっていて、根絶宣言がいつなされるかという報道が盛んにされていた。「外来種って、要するに人間がよそから連れてきた動物ってことでしょう。それを今度は人間が絶滅させるんだから、ハブよりマングースより、人間が一番怖いんだね」
    ×    ×    ×
 一村の幼年期から最晩年の作品までを紹介する「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」は2024年9月19日から12月1日まで、東京都美術館で開催。

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