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がれきの上に立つ血だらけの母、大八車に山積みの遺体…「初めて、絵を描くことが苦しかった」 福岡の美術学生がヒロシマとナガサキに向き合って抱いた平和への願い

47NEWS / 2024年11月11日 10時0分

被爆者の体験を基に大学生が制作した絵画=2024年7月、福岡市

 広島、長崎で原爆に遭い生き残った人々がつくった最大の組織、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が今年のノーベル平和賞受賞者に選ばれた。時に痛ましい傷痕を見せながら、核兵器がつくり出した「地獄」を証言することを通じ、二度と核は使われてはならず、廃絶するべきだと訴え続けてきた努力がたたえられた。米軍による原爆投下から来年で80年。体験者はますます少なくなり、記憶と運動の継承がいっそう重い課題となっている。

 広島、長崎両県に次ぎ、被爆者健康手帳を持つ被爆者の数が全国で3番目に多い福岡県では、昨年、大学で美術を専攻する学生らが県内在住の被爆者から直接体験を聞き取り、絵画にして残す「被爆体験絵画プロジェクト」が始まった。「言葉では説明し尽くせない『あの日』を具体的に伝えたい」。被爆者の思いに応えたのは、広島や長崎の出身ではない若者たち。縁遠かった戦争を身近な問題として捉えるようになり、平和への願いを絵筆に込めた。(共同通信=水野立己、野口英里子)

※筆者が音声でも解説しています。「共同通信Podcast」でお聴きください。

▽「娘の無事に安堵する母」どう描くか


広島で被爆した森律子さんの体験を基に絵画を制作する浦川結衣さん=2024年6月、福岡市

 6月中旬、九州産業大(福岡市)芸術学部のアトリエ。学生3人がイーゼルに立てかけられた縦53センチ、横約45センチのキャンバスに真剣な面持ちで向き合っていた。

 がれきの上で、小さな女の子をやさしげな表情で見下ろすシャツとモンペ姿の女性。3年生の浦川結衣さん(22)は、広島で原爆に遭った森律子さん(85)の記憶を基に、筆に取った油絵の具を丁寧にキャンバスに載せた。

 1945年8月6日朝、6歳だった森さんは爆心地から約1・5キロの自宅にいた。空襲から逃れるため、両親と兄、姉と共に東京から祖母のいる広島に引っ越してきたばかりだった。
 爆風で2階建ての家は倒壊、父と祖母とともに下敷きになった。森さんと父は外に出られたが、祖母は重い柱に挟まれて身動きが取れないまま炎に焼かれた。学徒動員で外出していた姉は遺骨すら見つからなかった。住む場所を失った一家は戦後、親戚を頼って福岡に転居した。

 森さんが絵の題材に選んだのは、がれきの上に這い上がった時に目に飛び込んできた母の姿だった。被爆時、母は屋外で洗濯物を干していた。頭や腕に無数のガラス片が突き刺さり、血を流しながら、娘の無事を知って安堵の表情を浮かべていた。普段とは違う「幽霊のような」さまが幼いまなこに焼き付いた。

 依頼を受けた浦川さんは今年1月以降、SNSでメッセージをやりとりするだけではなく、喫茶店で落ち合って当時の服装や周囲の状況などを細かく確認し、家族の写真も見せてもらった。
 福岡市出身で、被爆者と交流するのは初めての経験だった。自分の発想ではなく、依頼に基づく絵画制作に興味を持ち「深く考えずに」プロジェクトに参加したが、森さんとプライベートの話もし、親睦を深めるうちに、彼女の身に降りかかった惨事が自分のことのように胸に迫ってきた。「この人の身に、こんなこと起きてほしくなかった」。初めて絵を描くことが苦しいと感じた。葛藤しながら、少しでもリアルに描こうと、インターネットで戦時中の服装や原爆投下直後のまちの写真を調べ、森さんの話と照らし合わせながら描き進めた。

▽身内にも…想像もしていなかった事実


被爆者の体験を基に絵画を制作する松野美月さん=2024年6月、福岡市

 プロジェクトが動き出したのは2022年10月ごろ。福岡市在住の被爆者や二世らでつくる「福岡市原爆被害者の会」が九州産業大学側に依頼した。人類が初めて経験した核兵器による惨状を、戦争を体験していない世代が言葉だけで思い描くのは難しい。会員らが小学校などで証言をする際、聴き手の理解を助ける資料が必要だと考えた。

 1年目の昨年は公募で選ばれた3年生3人が、当時4~9歳だった3人の体験を描いた。今年は国本泰英講師の研究室の活動として継続し、浦川さんらゼミ生3人が参加。1月に森さんら被爆者3人と顔合わせし、二人三脚の制作がスタートした。

 「まさか」。佐賀市出身で2年生の松野美月さん(21)は昨年末、プロジェクトに参加することを父親に報告すると、思いがけない事実を知った。小学生の時に亡くなった曽祖父が長崎で被爆していたのだ。小学校の修学旅行で長崎を訪れたが、身内に被爆者がいるとは想像もしなかった。
 担当したのは、曽祖父と同じ長崎で被爆した釜崎照子さん(86)。原爆投下から数日後、祖母と市内に買い物に出かけた際に見た、大八車に入れられた無数の黒焦げの遺体を描いてほしいと依頼された。
 「大人も子どもも性別も関係なく山積みにされていた」。苦しげな表情で絞り出すように語る釜崎さんを見て、思い出すのもつらい体験なのだと痛感した。釜崎さんの頭にこびりついていることまで表現しようと、光景をそのまま描くのではなく、大八車の中で折り重なった遺体が映る少女の片目を画面いっぱいに配置した。

 参考資料として実際の遺体の写真も見なければならず、精神的に参ってしまいそうになった時は曽祖父を思い出し、気持ちを奮い立たせた。
 ロシアによるウクライナ侵攻などの報道に触れ、戦争が身近に感じることが増えた。「見た人が戦争について調べるきっかけになれば」。そんな願いも一筆一筆に込めた。

▽擦り合わなかった20代のイメージと80代の記憶


被爆者の体験を基に絵画を制作する東陽音さん=6月、福岡市

 煙のように立ち上り、家々を覆い尽くす不気味な色の物体-。3年生の東陽音(はるね)さん(21)がキャンバスの大半を埋めるように描いたのは、松本隆さん(89)が長崎への原爆投下直後、爆心地から約3・5キロで目撃した「きのこ雲」。松本さんが長い間、カラーの絵にできないかと切望してきた光景だ。

 1945年8月9日、松本さんは父に頼まれ、国から配給されるたばこを受け取りに外出していた。予定より早く目的地に着いたため、大好きな蒸気機関車を見ようと国鉄の駅舎に入った瞬間、強い光に包まれた。
 とっさに「伏せ」の姿勢を取り、しばらくして体を起こして空を見上げると、赤や黒、紫などの色をした雲のような何かが渦を巻きながらまざり合い自分の方に押し寄せてきた。「この世のものとは思えなかった」

 松本さんは十数年前、インターネット上で、爆心地から約9キロで撮影されたきのこ雲の写真を見た。モノクロだったため、晴れわたる空に入道雲が立ち上る平穏な一日の情景に見えた。「死ぬ」。あの日、不気味な雲を見て本能的に抱いた恐怖を写真からは感じられなかった。

 東さんは鹿児島県出身。修学旅行や学校の授業で証言を聞く機会はあったが、「感想文を書くために聞いていたような気がする」と振り返る。自ら描くとなって初めて真剣に当時を想像したが、映像として思い浮かべるのは難しかった。「ここはもっとどす黒い赤色だった」。提示したイメージと松本さんの記憶はなかなか擦り合わなかった。
 2月、東さんは制作を共にする浦川さん、松野さんと長崎原爆資料館を訪問。原爆や戦後の核実験のきのこ雲などさまざまな雲を見ることができたが、松本さんが目撃したような、頭上に広がる雲の写真はなかった。「絶対に松本さんの体験を再現しないといけない」。自分の役割を再確認した。

▽残せるものは、言葉だけじゃない


完成した絵画を手にする(左から)松野美月さん、釜崎照子さん、東陽音さん、松本隆さん、浦川結衣さん、森律子さん=7月、福岡市

 約4カ月かけ、三つの絵画は完成した。79年目の「原爆の日」を控えた7月31日、原爆被害者の会の事務所が入る福岡市の施設で関係者を集めてお披露目会が開かれた。作品に掛けられた白い布がめくられると、被爆者の3人はじっと見入った。「母の目元がそっくり。においまで伝わってくるよう」。森さんは涙ぐみ、浦川さんのそばに寄って感謝を伝えた。


浦川結衣さん(左から2人目)が制作した絵画に涙を見せる森律子さん=2024年7月、福岡市

 投下直後の雲を描いてもらった松本さんは、制作途中の絵を小学校での証言活動で利用したところ、「きのこ雲は白いものだと思っていた」という感想が寄せられたと振り返り、「この絵が原爆の本当の恐ろしさを伝えてくれれば」と期待を述べた。
 がれきに立つ母の絵を担当した浦川さんは、被爆者の高齢化が進む中、記録に残すという絵画の役割を再認識したという。「体験していないと話してはいけないと思っていたけれど、残せるものは言葉だけじゃない」。そして、こう願った。「来年以降も多くの学生が参加してほしい」

▽学び続け、語り継ぐ―つながる思い


長崎の原爆さく裂の瞬間を描いた池田菜々香さん(左)と、証言した被爆者の開勇さん=2023年7月、福岡市

 お披露目会には「プロジェクト1期生」も同席した。その一人、池田菜々香さん(21)は「重いテーマだから不安だったけれど、引き継いでくれてうれしい」と目を細めた。
 池田さんが挑んだ題材は、長崎で被爆した開勇(ひらき・いさむ)さん(86)が目撃した原爆さく裂の瞬間だった。「太陽と全く同じだった」という開さんの証言を基に、小さな黒い人影の上でまたたく巨大な青白い閃光を表現した。

 池田さんはかつて軍需工場が集積し、原爆の投下目標の一つだった北九州市出身。曽祖父は太平洋戦争で戦死した。ルーツに関わる戦争について学びたいという強い思いから、実績のないプロジェクトに挑戦した。
 「今回知ることができたのは当時の片鱗だと思う。これからも勉強し、平和な時代を続けていくために語り継いでいきたい」。昨年7月のお披露目会での宣言通り、今も戦争に関連した映画を見たり、本を読んだりしている。2月には初めて広島市を訪れ、街中に点在する慰霊碑や被爆遺構を巡った。来春には大学院に進み、美術の道をさらに究める。「自分の技術で人の役に立ちたい」。機会があれば、また原爆の絵を描くつもりだ。

 開さんはこの1年、池田さんが「必死で描いてくれた」作品の画像を取り込んだスライド資料を使いながら福岡市内の小学校など約10カ所で証言をした。


福岡市立壱岐中で、九州産業大生の池田菜々香さんが描いた絵画を見せながら、自身の被爆体験を証言する開勇さん=2024年6月24日、福岡市

 「みなさんは太陽をじーっと見つめたことはありますか」。今年6月には、福岡市立壱岐丘中の3年生約100人に講話。「青白くぎらぎらと輝いて、太陽を1万倍にしたような光だった」などと脳裏に焼き付いた光景を語り、「核兵器がある限り平和は来ません」と訴えた。
 話を聞いた吉田咲彩(さや)さん(15)は「絵があることで、身近でない原爆の被害をイメージしやすかった。戦争をしてもいいことは一つもない。そういう社会に近づかないでほしい」と話した。

▽高校生が形にする、被爆者の使命感


広島市立基町高創造表現コースの生徒らが描いた原爆の絵の展覧会=2024年8月10日、広島市

 被爆体験を絵画にする試みには「先駆」がある。広島市立基町高の創造表現コースは2007年から、被爆者の証言に基づく「原爆の絵」を制作してきた。広島市の原爆資料館の依頼で始まり、これまで計207点、被爆者50人分の作品が完成。被爆者が資料館などで修学旅行生らに証言をする際に活用する他、国内外で展示してきた。
 背中が赤く焼けただれた女性、腸のはみ出た遺体、皮膚が垂れ下がった負傷者の行列―。作品はどれも直視できないほどリアルだ。「当時の状況を伝えるのが原爆の絵の役割。あくまで伝承のための『ツール』です」。卒業生で、生徒をサポートする嘱託講師の福本弥生さんは強調する。
 生徒は被爆者と面会やSNSなどで打ち合わせを繰り返し、遺品や写真なども参考にしながら、8~9カ月かけて絵を完成させる。苦しみと向き合う作業だが「生徒は『後世に残さなければ』という被爆者の使命感を感じ取り、一生懸命取り組んでいる」(福本さん)。

 昨年度は個人から依頼されたものも含め新たに被爆者7人分の計19枚が完成。今年8月、広島国際会議場で開かれた展示会には新旧の約60点が並んだ。
 絵のそばに設置された解説パネルには、被爆者と生徒双方の感想を記した。「ただ被害の実態を知るだけではなく、被爆者が次世代に何を伝えたいと願い、若者は被爆者から何を受け取ったのかを感じてほしい」との意図だ。

 昨年度、初めて参加した2年生の木原結愛(ゆあ)さん(17)は、爆心地から約3・5キロで被爆した当時5歳の男性を担当。背後から原爆の閃光が走り、周囲が「黄色がかったオレンジ色」に染まったという証言をキャンバスに再現した。
 広島県出身で、小中学校では当然のように原爆被害を学ぶ授業があったが、恐ろしさから苦手に感じていた。小学校の社会科見学で初めて原爆資料館を訪れた際は、前を歩く同級生のリュックに顔をうずめたことも。創造表現コースに進学したことをきっかけに、悲惨な歴史に向き合おうと決めた。

 制作活動を通じ、これまで目を背けてきた原爆や戦争の問題について「自分の意見を考えるようになった」。なぜ、戦争はいけないのか。明確な答えはまだ模索中だ。「戦争は生活、命、家族を一瞬で失わせてしまう。だから起こしちゃいけない。これが今の私の考えです」

▽「最悪の状況」を描き、心に残す


被爆者健康手帳所持者数の推移

 被爆者で広島市の原爆資料館を務めた原田浩さん(85)は長年、基町高の活動に協力してきた。被爆者の記憶を若者が絵画にするという試みは「最良の継承方法の一つだ」と断言する。「ある意味、人が経験する出来事の中でも最悪の状況を描くことを若者に強いている。だからこそ、被爆者の話が生徒たちの心の中にいつまでも残る」

 厚生労働省によると、被爆者健康手帳を持つ被爆者の平均年齢は、今年3月末時点で85歳を超えた。人数は10万6825人と、ピーク時の3分の1に。いずれ来る「被爆者なき時代」において、絵は戦争と核兵器の愚かさを生々しく語る重要な遺産になる。
 原田さんは広島から福岡へと継承の輪が広がってきたことを歓迎する一方、危機感もにじませる。「被爆者がいなくなれば不可能になる活動だ。一刻も早く取り組みを進めなければならない」

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