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「プロ野球90年」映画監督の周防正行さんが語る球史の分岐点 「巨人中心主義からファンのものへ。2004年のストライキが決定的だった」

47NEWS / 2024年11月21日 10時30分

インタビューに答える周防正行さん=2024年8月27日

 発足から90年を迎えたプロ野球への思いを聞くインタビューシリーズ。「Shall we ダンス?」などで知られる映画監督の周防正行さんは、前身の国鉄時代からという筋金入りのヤクルトファン。2004年のプロ野球選手会によるストライキが持つ意義を熱弁した。(聞き手 共同通信・河部信貴、児矢野雄介)

▽金田移籍でスワローズファンに


国鉄時代の金田正一さん=1962年

 幼稚園に入るか入らないかぐらいの頃に、もう近所のお兄ちゃんたちと三角ベースみたいなことをやっていた。時代ですね。あの頃の子どもたちの王道ですよ。
 父が国鉄職員だったので国鉄スワローズというチームがあるのは知っていたけど、はっきりとファンになったのは小学2年生の時。金田正一さんが巨人へ移籍した。弱い球団を捨ててジャイアンツへというのがすごいショックで、もうスワローズを応援するしかない、僕がスワローズのエースになって優勝させるんだって思った。金田に見捨てられたスワローズを応援するというのが、ファンになったきっかけです。


 「職業野球」から始まったプロ野球は巨人が引っ張ってきた。王貞治さん、長嶋茂雄さんという大スターがいて、巨人中心で発展していかざるを得なかったというか、多分それしか道がなかったと思うんですね。毎晩テレビで巨人戦が中継されていて、巨人ファン養成システムのようで、それが強烈だったから僕はアンチ巨人になった。今のように12球団のファンがいるというより、巨人ファンとアンチ巨人しかいないと言っても過言じゃない時代。スワローズが好きなのに、ジャイアンツの選手の方が詳しいって屈折しているじゃないですか。
 1978年のヤクルト初優勝の瞬間は見に行かなかった。だって、巨人戦じゃなかったから。堀内恒夫さんが投げる巨人に勝って決めなきゃ真の優勝じゃないと思っていた。ここら辺にジャイアンツの影響があるんですよ。今だったらそんなことは気にせず、どこに勝って優勝してもいいんですけど。

▽プロ野球はファンのもの


日本プロ野球選手会のストライキを知らせるスコアボードの前で、決断を支持する近鉄ファン=2004年9月、札幌ドーム

 自由競争で選手を獲得していた時代から、ドラフト会議が始まり、江川卓さんが制度の盲点をついて巨人入りした「空白の一日」事件などいろいろな出来事があって、徐々にこのまま巨人にぶら下がっている野球界でいいのかという雰囲気が出てきた。それが決定的になったのが、2004年のストライキだった。
 あのときに巨人オーナーのナベツネ(渡辺恒雄)さんは、球団を減らし1リーグ制にしようとして、古田敦也会長率いる日本プロ野球選手会が話し合いをしたいと言ったときに「たかが選手が」と排除した。あれが決定的だった。プロ野球を広く認知してもらうために巨人はすごく努力して貢献をしてきたけど、その巨人中心主義が行き詰まった中での最後の悪あがきが1リーグ制構想だったのでは。
 選手会の労働組合としての団体交渉権は、一審の東京地裁で否定されたけど、東京高裁で認められた。日本中の人がストライキを応援したなんて、労働運動の歴史の中で初めてだと思うんです。社会科の教科書に載ってもおかしくない。それまでのプロ野球は巨人やオーナーたちのためにあったけれど、まさに一生懸命野球をしている選手たちが声を上げた。プロ野球がはっきりとファンのもの、選手たちのものだということを決定づけたのが、ストライキとその後の楽天の誕生。楽天というチームが生まれることで、田中将大というスターも生まれた。
 プロ野球の歴史の大きな分岐点。本当に1リーグ制になっていたらと考えると恐ろしいです。あのときにストライキが社会的な批判を浴びて、1リーグ制が実現していたら。それを「イフ」(もしも)として考えることができるのは幸せ。渡辺オーナーはそれまでのプロ野球をジャイアンツが引っ張ってきたように、これからもジャイアンツでまとめきれる自信があったと思うんですけど、それが裏切られましたよね。あれで初めて、プロ野球がファンのものになった。

▽目指すところは大リーグに

 「ON」で「V9」というジャイアンツの歴史の頂点から、少しずつ陰りが見えてきたというのは、実は日本のプロ野球の発展にとっては大事なステップだった。あとは野茂英雄さんが大リーグに行ったこと。成功したからみんな褒めていますけど、移籍する時のプロ野球関係者からの裏切り者扱いはひどかった。それでも彼が勇気を持って行ってくれたことが、大谷翔平というスターにつながるんです。
 江川さんも時代がもう少し後だったら、大リーグに行っていたんじゃないかな。だって、巨人のドラフト指名を待つ間、米国に野球留学していたんですよ。野茂さんより先に足跡を残して、みんなが大リーグを目指すのが早くなったかもしれない。でも、まだ時代がジャイアンツだったんですよ。巨人中心主義が野球人生を左右したという人は、いっぱいいたんだろうなと思います。
 60年野球を見てきて、本当に変わったなと思うんですよ。今の子どもたちは大谷というスターを見ている。目指すところはかつてのように巨人のエースや4番ではなく、大リーグになった。メジャーで活躍することが野球少年たちの夢になることで、プロ野球ももっともっと力を付けて、面白いものになっていくと思うんですよね。

▽ヒーローは古田敦也


通算2千安打を達成したヤクルト・古田敦也さん=2005年4月、松山中央公園野球場

 僕にとっては決定的なヒーローが2004年の古田敦也さん。あの時代に古田さんが選手会長で良かった。もちろん選手としての活躍にも心躍らせた。最初にすごいと思ったのは1991年。落合博満さんと首位打者を争って、最終戦で2打席目までにヒットを打たなければいけないところで、打ってタイトルを取った。スタンドで見ていて大興奮しました。
 入団した時からのスターではなかった。そんなに期待されていなかった眼鏡の捕手が、自分がやるべきことは何か、どうすれば自分がここで活躍できるかを考え、成長していった。野村克也監督が率いた黄金時代のスワローズは、よく「野村ヤクルト」という言われ方をされましたけど、古田さんのチームでもありました。古田さんには、いずれコミッショナーになってほしいですね。
 今の一押しは石川雅規です。新人時代に神宮球場の外を走っているところを見かけて、思わず声をかけたら、僕より小さいんですよ。その選手がまだ投げている。何よりもその投球術が見ていて本当に楽しいので、何とか200勝まで到達してほしい。

▽映画にしなくても面白い


自己最多を更新する今季47号本塁打を放ったドジャース・大谷翔平=2024年9月11日、ロサンゼルス

 野球を題材とした映画を作ろうと積極的に思ったことはないんです。実際に野球を見ていてこれだけ楽しんでいるのに、これをあえて映画にして「野球にはこんな面白さがある」と伝えられることはあるのかなと。
 例えば大谷の今季40本塁打目がサヨナラ満塁ホームランでした。あの回が始まる前に、大谷に打順が回るケースは2死満塁しかないなと思ったけど、本当に回ってきて初球でホームランを打つなんて。そんな脚本は書けないです。それを現実にやってくれるわけだから。もし撮ることがあるとすれば、それは今まで僕が気付いていなかった野球の魅力を発見したときでしょう。


色紙を手にする周防正行さん=2024年8月27日

 今はそれぞれひいきのチームがあって、いい試合に拍手喝采できる。CS放送でヤクルト戦全試合を中継してくれることで、僕は初めて巨人よりスワローズの選手に詳しくなった。子どもの頃と比べて幸せな環境です。
 村上宗隆、山田哲人らの全打席、石川雅規の全投球、そして若い選手の成長を見られる喜び。村上が三冠王って、すごく感慨深かった。まさかこんな4番が。スワローズに王貞治がいていいのかって(笑)。

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