皇后さまの言葉に背中を押された外交官、そして大統領は決断した 移民社会は分裂、ドミニカ共和国の日系「棄民」の65年(後編)
47NEWS / 2024年12月4日 9時0分
約束を反故にされ、ドミニカ共和国で荒れた土地しか得られなかった日系移民は祖国にも帰れず、自らの手で未来を切り開くほかなかった。移民の苦難に心を寄せた皇后美智子さま(現上皇后)のひとことに背中を押され、ある外交官は「問題は決着済み」とした日本政府の立場を乗り越えて奔走した。移民受け入れ国としては異例の補償を決めたドミニカ共和国の大統領は何を思ったのか。65年に及ぶ長い道のりを証言でたどった。(共同通信・前サンパウロ支局長=中川千歳)
▽天皇、皇后両陛下とのお茶会
ドミニカの日本人移住者=撮影日不明
2016~2021年に駐ドミニカ共和国の日本大使を務めた牧内博幸(まきうち・ひろゆき)氏は、就任以来、日本人・日系人と接するたびにこの土地問題が依然根の深い問題であることを知り、解決の道を模索した。
日本外務省は2006年に謝罪談話と1人最高200万円の特別一時金の支給を示した政治判断をもって「やるべき手は尽くした」との立場だった。
だが2016年夏、赴任直前に、特命全権大使として天皇陛下の認証を経た後、天皇皇后両陛下(当時)に皇居での茶会に招かれた牧内氏は、皇后さまに「移住された日本人の皆さんは、入植直後から大変ご苦労されたと聞いております。今皆さんはお元気でしょうか」と尋ねられた。また、この約10日後に皇太子ご夫妻(現・天皇皇后両陛下)に東宮御所に招かれた際も、日本人移住者の話題が出た。
牧内氏は着任から1年半ほど後の2018年3月、行動を開始した。ドミニカ共和国のような大統領制の国では直接大統領と話して解決することが最短の道だと考えた。当時の中道左派、ダニロ・メディナ大統領との面会の際に、移住者の土地の問題を話題にしたが、話はそれ以上進まなかった。
2020年7月の大統領選で中道左派の野党、現代革命党の実業家ルイス・アビナデル氏が初当選(2024年5月再選)し、政権交代が起きた。
▽天井を見つめた大統領
ドミニカ共和国大統領選を受け、サントドミンゴで演説するアビナデル氏=2024年5月19日(ロイター=共同)
政権関係者と親交を深めていた牧内氏は2020年10月、アビナデル氏と面会し、日本人移住者の土地の補償問題について持ちかけた。
アビナデル氏は天井を見つめ、しばし考えていたが、やおら口を開いた。「実は私はこの土地問題について、今話を聞くまで何も知らなかった。我が国に最も協力してもらっている日本から来て、勤勉に働いてきた日系人にとって大事な問題だ。それは共和国政府が解決すべき問題だ。なんとか解決しよう。日系人の皆さんが金銭的補償を希望するなら、その方向で解決策を見つけよう」
アビナデル氏は同席のミゲル・ヌニェス外務官房長に数カ月内に解決するよう具体的な指示を出した。ヌニェス氏が大の親日家だったことなども解決に向けた動きの助けとなったと牧内氏は考える。
ただ日本政府を代表する牧内氏が、補償金の額などについて交渉するわけにはいかなかった。補償額を交渉したのはドミニカ日系人協会会長の嶽釜徹さん(86)らだった。嶽釜さんは入植地の地価をそれぞれ調べ、政府の担当者とやりとりを重ねた。
▽補償発表、「思い切った額」
日本人・日系人社会に補償が発表されたのは2021年7月、移住65周年の式典の席だった。式典はアビナデル大統領が大統領府で主催し、式典の場ではロベルト・アルバレス外相が補償について発表し、土地問題が未解決になっていたことへの謝罪の言葉があったという。
補償の対象となったのは45世帯。補償額はその年の10月、官報に掲載された。1家族あたりの補償は844万4、444.44ドミニカペソ(2024年9月のレートで約2千万円)。この額について牧内氏は「当初は100万か200万の象徴的な補償だろうと思っていたので本当に驚きだった」と感想を漏らした。
補償が決まり「みんな一息ついた」と嶽釜さんは話した。補償額は嶽釜さんが実際に算定した額より実はだいぶ少なかった。だが、日本政府からの「涙金」のような特別一時金に比べれば多く、「いかに苦しいときに助かったか」。
10歳の時に両親らと移住し、今はダホバンに住む向井猛さん(77)は嶽釜さんから頼まれ、現地の地価を計算して伝えるなどして政府との交渉を助けていた。補償のことは発表されるまで知らなかった。共和国政府の決断について「思い切ったことしたな、というのが最初の印象」と話す。補償を認められたことで「ほっとしましたよ」と心境を語った。
▽訴訟派と非訴訟派に分裂
「日本人入植地」の標識が見えるスペイン人も入植したドミニカ共和国中部のコンスタンサ(共同)
この歴史的な補償から漏れた人たちがいる。日本人社会が訴訟派と非訴訟派に分かれ、非訴訟派でつくったのが「日・ド友の会」(通称:友の会)だ。代表の西尾孝志さん(82)は1956年10月、第2陣の移住者としてドミニカ共和国の地を踏んだ。当時14歳だった。
移住したのは中部コンスタンサ。高原気候で、農業地としては比較的めぐまれていた。
だが、そこでも約束の土地100タレアは与えられず、苦しい生活が続いた。1961年にトルヒジョ元帥が暗殺されると、独裁政権下で土地を接収された地主たちが日本人移住者の収穫前の作物を小刀で刈り取ってしまうなどの嫌がらせを始めた。西尾さんは10年ほどコンスタンサで暮らした後、妻と首都サントドミンゴに移動し、商店を開いて子どもたちを育てた。
移住者が日本政府相手の訴訟に動いていた1998年、日本大使館が動き、ドミニカ共和国政府が首都郊外ラ・ルイサの土地を、日本人移住者に譲渡すると決め、西尾さんら27家族はこの土地を受領した。
西尾さんは「日本政府を訴える、訴訟すると、それはどうも心情的にね。自分はしたくなかったから」と説明した。
土地のそばにあるオサマ川は、上流で大雨が降るたびに氾濫してラ・ルイサの土地に浸水した。その土地ではいまだに耕作はされていない。
▽日本政府の落ち度
日本政府を相手取った損害賠償請求訴訟の判決後、記者会見する原告の嶽釜徹さん(左端)ら=2006年6月7日、東京・霞が関の司法記者クラブ
西尾さんも日本政府の対応については嶽釜さんたちと同じように批判した。
「移住は国策だった。それにもかかわらず日本政府の落ち度は、ドミニカ共和国と(移住者の法的身分の根拠となる)移住協定を結んでいなかったこと。それに移住者の前に派遣された国際事業団が事前調査をしっかりしていなかった」
西尾さんは、ラ・ルイサの土地を共同で管理する必要が生じたことから「友の会」を2002年に立ち上げた。
こうして、日本人社会は分裂した。
嶽釜さんは、分裂は団結を崩そうとした日本政府の責任だと糾弾する。
嶽釜さんたち45家族にドミニカ共和国政府からの補償金が支給されたが、耕作地に適さないと知りながら土地を受け取った西尾さんたちは補償から漏れた。西尾さんたちは共和国政府と交渉し、補償のためのやりとりを続けている。
▽ドミニカでサラダが食べられるようになったのは
取材に応じるドミニカ日系人協会の嶽釜徹会長=2023年8月5日、サントドミンゴ(共同)
ドミニカ共和国政府が45家族に対し、歴史的な補償に踏み切った背景には何があったのか。
アビナデル大統領は日本人・日系人への補償を発表した大統領令の中で、「日本人コミュニティーが国の経済発展のために果たしてきた貢献や義務により、これらの家族に経済的補償を行うことは国益にかなう」と判じた。
嶽釜さんは、政府が「今までのわれわれのドミニカでの貢献を認めてくれたと思う」と説明した。そしてこう続けた。「われわれは先輩たちからずっと受け継いで、日本人としての誇りを持って、悪いことをするなと言われてきたわけですよ。それを今も守っている。それと農業に対する貢献というのも非常に大きい。そういうことからこうして厚意をもって、今回私みたいな移住者の声を聞いてくれた」
ドミニカ共和国でサラダを食べられるようになったのは日本人移住者がもたらした野菜や農法のおかげだとも言われるほど、日本人の共和国への農業分野で果たした役割は大きいと認識されている。
▽誇りある日本民族の血を以て
日本人移住者の歴史が記された石碑の前に立つ向井猛さん=2023年8月、ドミニカ共和国ダハボン(共同)
北米やほかの中南米の国々にわたった多くの日本人移住者の家庭のように、ドミニカ共和国の移住者も苦しい生活の中、子どもたちには精いっぱいの教育を与えた。そのため、4世まで世代が進む日系人は医師や弁護士、教師、実業家などとして活躍する。
祖国に裏切られたと感じながらもドミニカ共和国に確実に根を張り、懸命に生きてきた移住者とその子孫。また彼らの残してきた足跡を見て補償に値すると判断した共和国政府。現在、日本は働き手として多くの移住者を受け入れる立場にある一方、高賃金の仕事を求めて海外に出る人も増えている。移住とは、母国とは何かという問題を考えさせられた。
ダハボンの日本人居住地にある記念碑建立の辞にはこんな言葉が刻まれていた。
未来を開く子孫よ
我らが老骨を礎となし
誇りある日本民族の血を以て限りなき発展を図り
君らが母国ドミニカ共和国の繁栄に
寄与されん事を願う
【前編はこちら】夢の海外移民、カリブ海の「楽園」は地獄だった 日本政府と法廷闘争、ドミニカ共和国の日系「棄民」の65年(前編)
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