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小児がんで娘を亡くし「どう生きていけば」…喪失感の中、見つけた生きがいは菓子作りだった 「同じ患者たちの支援に」売り上げを寄付し、絵本を出版。母は子を想い今日もシフォンケーキを焼く

47NEWS / 2024年11月28日 10時0分

菓子作りを通して笑顔を取り戻した経験を絵本にした荒田由香さん。巻末には成長した歩佳さんが弟と一緒にシフォンケーキを食べる姿(後方)が描かれる=岐阜県高山市

 山々に囲まれた岐阜県高山市の住宅街の一角で、荒田由香さん(48)はシフォンケーキ屋を営んでいる。地元の米粉や卵、飛騨牛乳と、産地にこだわった素材で焼き上げたケーキが並ぶ店内には、甘い香りが漂う。
 店の壁には、高校の制服姿の女の子が弟と笑顔でシフォンケーキをほおばる絵が飾られている。この女の子は、荒田さんの娘の歩佳(ほのか)さん。小学6年、12歳だった2015年8月に、血液のがんの一種、急性リンパ白血病で亡くなった。
 娘を失った後、どう生きていけば良いかわからなくなった。長く深い喪失感の中、生きがいとなったのが、好きな菓子作りだった。ケーキ作りを通じて小児がん患者を支援したいと、売り上げの一部を支援団体に寄付するように。今年は自身の経験を絵本にして出版した。2022年冬に開いた店の名前は「思歩音(しふぉん)」。歩佳さんを、いつまでも想い続けている。(共同通信=村社菜々子)

▽発症、がむしゃらな看病の日々


荒田歩佳さん(由香さん提供)

 2012年の2月、小学3年だった歩佳さんは急性リンパ性白血病を発症し、名古屋市の病院に10カ月間入院した。由香さんは月5万円を超える部屋を借り、寝泊まりしながら付きっきりで看病した。「毎日がむしゃらだった」と振り返る。
 退院後は半年間、通院を続けた。岐阜県高山市から名古屋市まで150キロ以上、高速道路を使って月に1度、家族そろって通った。骨髄移植のドナーの適性を測るため、「HLA」と呼ばれる白血球の型を見る検査も受けたが適合せず、骨髄バンクでドナーを見つけた。
 2013年10月、名古屋市の病院で骨髄移植を受けた歩佳さんは、自宅療養と通院を経て、翌14年2月ごろからは地元の小学校に通えるほどに回復した。ボブヘアのウィッグをかぶった娘を車で送迎する毎日。初めは1時間だけ、午前中だけだった登校時間が次第に延び、1日中、学校にいられる日も増えた。9月末の運動会ではリレーにも出場した。しかし、穏やかな時間は長くは続かなかった。

▽再発、当たり前の日常を送った後に


荒田歩佳さん=2014年夏ごろ(由香さん提供)

 風が冷たくなり始めた秋頃、歩佳さんが突然肺が痛いと訴えた。近くの病院を受診すると肺炎の可能性があると言われ、血液検査で小児がんの再発が判明した。「つらい時期を乗り越えれば、あの平和な日々が戻ってくると思っていたのに」。なぜ娘にばかり試練を与えるのかという怒り、治療が報われないことへのむなしさ、再治療を始めて生じる娘への副作用の恐怖…。「初めてがんが発覚したときよりもショックは大きかった」。打ちのめされたまま、名古屋での治療に再び付き添う生活が始まった。
 抗がん剤治療の副作用で体調を崩し、集中治療室(ICU)に移動した時に「お母さんはどこで寝るの」と心配し続けた歩佳さんの姿が今でも忘れられない。もう一度骨髄移植を考えたが、副作用で苦しむ娘を前にその決断はできなかった。


弟と一緒に写る荒田歩佳さん=2014年9月(由香さん提供)

 ICUを出たのは年が明けた後だった。楽しい記憶をできるだけ多くつくるために病院外で過ごす時間を増やそうと、治療方針を変更した。東京ディズニーランドへ出かけるなど思い出作りのさなか、免疫力低下による感染症防止のために、とにかく消毒作業とマスクの着用が欠かせなかった。「今はコロナ禍の影響で当たり前に思うけど、当時は消毒液が置いてある店の方が珍しかった」
 卵が好きな歩佳さんは、自宅で卵焼きをよく作っては食べていた。家族一緒に食事をして同じ部屋で眠る、ごく当たり前の日常を送った。
 歩佳さんは2015年の8月28日、父母に見守られ亡くなった。由香さんは現実が受け入れられず、時間だけが過ぎていった。

▽スーパーでふと目にしたシール


シフォンケーキを作る荒田由香さん=岐阜県高山市

 「自分はどう生きていたいんだろう」。頭の中から問いが離れなかった。ある日、スーパーで手に取ったバナナに貼られたシールに目が止まった。金色のリボンのイラストとともに、小児がんの治療研究への助成などを行うNPO法人「ゴールドリボン・ネットワーク」の支援としてバナナの購入費が充てられるとの説明があった。「こんな支援方法があるんだ」。なんとなく、頭の片隅にひっかかった。
 2020年の冬、ネコカフェの運営を企画する知人に「なにかやってみないか」と誘われ、空いたキッチンスペースを貸し出された。思い立った由香さんは好きだったシフォンケーキを焼いた。次第に調理にのめり込むようになり、材料や配合量にこだわったオリジナルのシフォンケーキを作り続けた。2022年の冬、自宅のデッキを増築し、娘の名前にちなんで「思歩音」と名付けた店を開店した。
 店を始めてしばらくしたころ、バナナのパッケージにあったシールを思い出した。「私にもできることがあった」。シフォンケーキをゴールドリボン・ネットワークの提携商品として登録・販売し、売上金の一部を寄付するようにした。次第に小児がん患者のために、他にも何かできないか前向きに考えるようになっていた。

▽成長した娘は、シフォンケーキをほおばる


完成した絵本「シフォンケーキのしふぉんくん」

 いつものようにケーキを焼いていたある日、ふと絵本制作を思い立った。「自分がいなくなった後も小児がん支援の輪を広めたい」。制作費用を集めようとクラウドファンディングを2024年5月から始めた。設定した締め切り日は、娘が生きていれば21歳を迎えるはずだった6月25日。目標額の100万円の2倍超に当たる230万8千円が集まった。

 家族の体験を基に作成した絵本のタイトルは「シフォンケーキのしふぉんくん―ずっとそばにいるよ」。シフォンケーキから生まれたキャラクター「しふぉんくん」が主人公で、由香さんを見守るストーリーになっている。あとがきで、小児がんの子どもたちを支援したいとの思いや、ケーキ作りで少しずつ自分の気持ちが和らぎ、自身のグリーフケアにつながったことなどをつづった。巻末には、店に飾っているものと同じ、成長した歩佳さんが弟と一緒にシフォンケーキをほおばる絵を載せた。
 絵本は9月20日に1000冊完成した。支援者に届けるほか、地元出版社を通じてオンラインでの販売も予定し、売り上げの一部はゴールドリボン・ネットワークに寄付するとしている。由香さんは「娘や私の人生を描いた絵本を残すことが、誰かの支援につながったらありがたい」とはにかみ、これからもシフォンケーキを焼き続ける。

▽見えざる負担

 国立成育医療研究センターの松本公一(まつもと・きみかず)・小児がんセンター長によると、小児がん治療の費用負担には「小児慢性特定疾病医療費助成制度」という名称の支援制度がある。ただ、ドナー適合者を見つけるための検査代だけでなく、遠方の病院に通う場合はその移動費や滞在費、また、患者にきょうだいがいれば、保護者が看病にかかりっきりになっている間の面倒を見てもらうための費用など、治療費以外の見えざる負担がかかるという。

 ゴールドリボン・ネットワークでは、小児がん治療のための研究費助成や、入院治療に伴う交通費などの補助も設けている。同ネットワークの担当者は「より多くの人に、小児がんに関心を持ってもらいたい。また、当事者やその家族たちにも、多様な支援方法があることを伝えたい」と話している。

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