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「証言、行動のきっかけに」「授賞、戦時下のシグナル」 英語で、紙芝居で、体験を伝える人が語る賞の意義【私の視点 ノーベル平和賞】

47NEWS / 2024年11月26日 10時0分

インタビューに答える、広島で被爆した小倉桂子さん

 2024年のノーベル平和賞が日本原水爆被害者団体協議会(被団協)に授与される。 戦後80年を目前に控え、世界では核脅威の高まりが暗い影を落としている。その混沌の中で、核廃絶を草の根で訴え続けてきた被爆者運動にようやく光が当たり、栄誉ある賞が贈られる。さまざまな立場の人に、受賞の意義を聞いた。(共同通信=下道佳織、斎藤由季花)

▽「訴え続けた努力を世界が知る機会」広島の被爆者で、英語で証言を続ける小倉桂子さん(87)


インタビューに答える小倉桂子さん

 約40年前から平和活動を始め、英語で被爆者の通訳を担った。もっと長く闘ってきた人も間近で見てきた。被団協への授賞は、被爆者がこれまで「核兵器はいらない」と訴え続けた努力を世界が知る機会となる。心から良かったと思う。


 原爆資料館館長や、海外要人の案内を務めた夫馨(かおる)が1979年に亡くなった後、英語を勉強し通訳をするようになった。1983年に旧西ドイツで開かれた反核の模擬法廷で、8歳の時に爆心地から約2・4キロで被爆した体験を初めて話した。ヒロシマを世界に伝えたいと、翌年に「平和のためのヒロシマ通訳者グループ(HIP)」をつくった。
 広島で被爆し、被団協の代表委員だった故坪井直(つぼい・すなお)さんの通訳で米国に行ったこともある。坪井さんは被爆者として受けた差別や、これまでに感じた恐怖について「全部話さなければ」と言っていた。私自身は1983年以降、通訳に徹し被爆体験をほぼ話さなかった。約20年前、米国の高校生に「あなたの話をして」と言われ、英語で体験を語ると、真剣に聞いてくれた。

▽核兵器が使われたら…自分事として考えて


インタビューに答える小倉桂子さん

 2011年に広島市の「被爆体験証言者」となり、これまで数十カ国の人に証言した。ある時、米国の子どもに体験を話した後、「誰がこんなにひどいことをしたの」と質問された。「アメリカよ」と答えると、その子の目は涙でいっぱいになった。米国の若者にこそ被爆の実態を知ってもらいたい。核兵器は発射ボタンを押せば使用できるが、その先にあるのは「広島と長崎」だから。
 昨年5月の先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)では原爆資料館で各国首脳と面会した。親が子どもを失う悲しみ、放射能の恐怖…。核兵器と通常兵器の違いに焦点を当てて話した。
 今回、授賞式翌日にノルウェー・オスロで開かれるフォーラムで、被爆体験を証言する。核兵器が使われたらどうなるかを感じ、自分事として考えてもらいたい。
   ×   ×
 おぐら・けいこ 1937年、広島市生まれ。HIP代表。

▽「うれしい半面、複雑な気持ち」長崎の被爆者で、紙芝居で体験を伝える活動をしている三田村静子さん(82)


インタビューに答える三田村静子さん

 被団協への授賞決定は、紙芝居を使った被爆講話や平和公園でのガイドといった自分の活動も認められたようでうれしかった。半面、今起きている戦争を止めてほしいというシグナルだとも受け止めていて、複雑な気持ちでいる。
 授賞理由の一つは証言の継続だ。今でこそみんな口を開くようになったが、私は証言すること、被爆者でいることはずっと嫌。思い出したくもないし「あの家は被爆者」とか「被爆者はお嫁に行けん」とか、いろんな差別を聞いてきたからだ。
 原爆が落ちた時、家族と食事中で、ご飯に灰がかかった。そのまま食べた私や姉は30代の頃、次々とがんにかかり影響を疑った。当時、海外で証言をしている被爆者がいて「偉いな」と感じつつ、それでも自分の話をしようとは思えなかった。

▽がんで亡くなった長女の悔しさに押され、証言活動へ


インタビューに答える三田村静子さん

 2010年、39歳だった長女ががんで亡くなり、生前原爆の影響を気にしていたと知った。その悔しさを思うと「放射線の怖さを伝えんといけん」と駆り立てられ、自分や娘のことを証言すると決めた。分かりやすく伝えるため、1年ほどかけて紙芝居を作った。
 講話する時はいつも、娘と長崎で犠牲になった人が頭に浮かび、苦しさが消えない。でも、だからこそ二度と戦争、原爆があってはいけないという思いで続けてきた。
 証言は、日本だけでなく核兵器を持つ国の人にこそする必要がある。米国3都市を回った昨年、ある高校で講話を終えるとみんな言葉を失っていた。帰り際に1人の生徒が「放射線(の影響)はそんなに長く続くんですか。ちっとも知らなかった」と泣きながら話しかけてきた。被害を教えられてこなかった子たちが、私の意志を引き継いでくれると期待している。
 授賞式が行われるノルウェーは「核の傘」にある国。式に合わせて現地に行き、特に若い人たちに、一発の原爆で放射線が体の中に刻印され、家族までもが一生苦しめられると話したい。
   ×   ×
 みたむら・しずこ 1941年、長崎市生まれ。被爆者団体「長崎県被爆者手帳友の会」副会長。

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