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〝叛逆老人〟86歳のルポライター鎌田慧は社会の断面を書き続ける 冤罪、原発、労働…全12巻の選集刊行開始 「完結まで死ねない」

47NEWS / 2024年12月7日 9時0分

現場への思いを語る鎌田慧さん=2024年10月21日、東京都豊島区

 四大公害病の一つ、イタイイタイ病が疑われる事案を追った初めての著書から54年。ルポライター鎌田慧さん(86)の集大成と言える「鎌田慧セレクション―現代の記録―」全12巻(皓星社)の刊行が2024年9月に始まった。膨大な仕事を続けてきた源泉は何なのか、話を聞いた。(共同通信=中村彰)

▽やってみなければ分からない


「鎌田慧セレクション」全12巻のイメージ(皓星社提供)

 トヨタ自動車で季節工として働き、ベルトコンベヤーに支配される労働の過酷さを描いた「自動車絶望工場」(1973年)をはじめ、鎌田さんは一貫して「現場」にこだわってきた。「死に絶えた風景」(1971年)では新日鉄(現日本製鉄)八幡製鉄所で下請け作業員となり、厳しく危険な労働現場や、劣悪な環境で労働者から搾取を行う「労働下宿」の実態を暴いた。以来、鎌田さんの仕事の根底に流れるのは「現場第一主義」だ。


 フリーのライターとして仕事を始めてまもなく、川崎市の工場で働く女性工員を取材した。「(製造ラインは)結構ゆっくり回っているんだね」と言ったところ、「見ている方はゆっくりに見えるけど、やってる方は大変なんだ」と返答された。実際、別の工場の現場に入り、一見さほど速くないように見えるコンベヤーで作業をしてみると、想像を絶した作業量に追いつくのがやっとだった。
 「やってみなければ分からない。働きに来た人がどんどんどんどん辞めて帰っていく。お金を稼ぎに来た人はこんなの辞めて違うところに行ったほうが良いって言う。僕は書くのが目的だから、書きたいという欲望だけで残った」という。「潜入っていうんじゃなくて、体験して考えてみよう、その場に身を投じると、考えていなかったことも分かるようになるかもしれない」、そんな思いで続けてきた。

▽資本主義の影を追い続けて


長年の仕事の原点を話す鎌田慧さん=2024年10月21日、東京都豊島区

 青森県弘前市出身。高校卒業後に上京し、小さな工場で工員として働いていたが、解雇に遭う。撤回闘争に伴う職場占拠の応援に加わっていたさまざまな労働者と出会い「こういう世界を書きたい」と決意。愛読していたゴーリキーの影響もあり、早稲田大学に入学してロシア文学を学んだ。
 卒業後、鉄鋼の業界紙や、月刊誌の編集を経てフリーに。スタートの労働問題をはじめ、取材テーマは冤罪(えんざい)、原子力発電所、沖縄、教育など多岐にわたる。通底するのは、資本主義が生み出す影の部分とも言えるだろう。「確かに影ですよ。あんまり明るいところには行ってないから。僕は労働問題から入ってる。高校終わって3年働いていてクビになった経験が根っこにあって、そこから世の中が見えた。社会の断面みたいなのが見えた。それは大事にしようと思ってやってきた」と振り返る。「一番最初の感覚が当たっていたんですよ」

▽冤罪事件取材を通じて得た実感「今の司法には問題がある」


刊行が始まった「鎌田慧セレクション」第1巻

 「鎌田慧セレクション」は第1巻から順次、冤罪、原子力発電所、自動車・鉄鋼・炭鉱などの労働問題、教育と家族、成田空港反対闘争と国鉄の分割民営化、沖縄のテーマに沿って刊行される。一連の仕事をたどると、日本の現代史がおのずと浮き上がってくる。「とにかく問題意識というんですかね。社会がどうなっているかということへの関心を持ち続けてきた」。そんな姿勢が時代時代の事象、大切ではあるが、ともすれば置き去りにされかねない出来事をすくい取ってきた。
 冤罪がテーマの第1巻が発売された9月、折しも1966年に起きた4人殺害事件の再審で袴田巌さんに無罪判決が出され、10月には福井市の女子中学生殺人事件の再審開始が決まった。自身は死刑確定者が再審無罪となった財田川事件に1973年から関わってきた。以後、狭山事件、袴田さんが無罪となった事件、足利事件、布川事件など多くの現場に足を運び、関係者の取材を重ねた。
 冤罪事件には司法が抱える問題点が凝縮されているという。「検察が抗告したりすると長引いてしまう。袴田さんの事件で検事総長が訳の分からないコメントを出したり、今の司法にはすごい問題がある」
 独自の取材で大手メディアに先駆けての特ダネもものにしてきた。弘前大学教授夫人殺人事件では真犯人へのインタビューを世に出し、長崎・対馬のイタイイタイ病が疑われるカドミウム汚染では、会社側が汚泥を事業所から上流に運び、自然由来の汚染を装ったことを内部告発を基に暴いた。

▽生涯ルポライター


池袋の街に立つ鎌田慧さん=2024年10月21日、東京都豊島区

 書くだけではなく現場に出て行動する人でもある。成田空港建設反対運動、国鉄の分割民営化、2011年3月の東日本大震災と福島第1原発事故を受けての「さようなら原発」、「マスコミ九条の会」などに積極的に関わってきた。
 「つい、なっちゃうんですよ。成田では農民たちがどうしているのか見に行っているうちにはまっちゃって。(再処理燃料基地の)青森県六ケ所村も原発も取材してたけど、事故が起きて、沢地(久枝)さんとか坂本(龍一)さんとか知ってたから『さようなら原発』を始めたとか、なんかついやっちゃう。あれがないともっと本を書いていた」と苦笑いする。
 肩書は「ルポライター」を通してきた。「評論家っていうのも作家っていうのもおこがましい。ずっとルポライターで終わろうとしているけど、(「鎌田慧セレクション」が完結する)あと2年は生きるよ。完成しないで死ぬわけにいかないから」
 最近は取材でメモを取るのが難しいという。「裁判の傍聴なんかでも速記じゃないですけどメモはできたんですよね、今は全然できない」。こうぼやきながらも現在、東京新聞での週1回のコラムをはじめ、毎週2~3本の締め切りを抱えている。「頭の刺激になっているから。それがないとどんどん忘れちゃう」と笑う。
 コラムをまとめた単行本のタイトルは「叛逆老人」。「昔は仙人みたいに山にこもって静かにしていたでしょうけど、今は〝叛逆老人〟を全うしたい」。86歳、まだまだ書き続ける。

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