1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 社会

5年前に焼け落ちた城…回復する訪問客、カギは工事の進め方にあった 琉球の文化と平和を伝える場に、2026年の完成目指し首里城再建へ

47NEWS / 2024年12月9日 9時0分

修復作業が進む首里城正殿を覆う「素屋根」=10月

 「あの日、焼け落ちていく城を見ていることしかできなかった」。那覇市消防局の上原正彦(うえはら・まさひこ)警防課長は、5年前の10月31日に経験した強い喪失感を今も覚えている。その日の未明、首里城で火災が起き、上原さんは消火現場の指揮に当たった。しかし「延焼を食い止めることはできなかった」。城は正殿など7棟が全焼した。 いま、その現場では再建工事が進んでいる。特徴は「見せる復興」だ。修復過程を一般の人にも見てもらえるようにしたことで、火災後に激減した訪問客は回復しつつある。
 そしてこの城の地下には、太平洋戦争末期に旧日本軍によって築かれた、第32軍司令部の壕(ごう)が眠る。将来的にはここも公開される予定だ。地上の城と地下の戦争跡―。琉球の文化や伝統に加え、平和の尊さも伝える場所になってほしいとの期待を受け、再建は進む。(共同通信=永井なずな、上野すだち)

※筆者が音声でも解説しています。「共同通信Podcast」でお聴きください。

▽スプリンクラーがない…二度と起こさないために


焼失した首里城正殿のがれきを見る人たち=10月

 首里城は2019年10月31日午前2時半ごろ出火し、正殿を含む7棟が全焼した。沖縄県警と那覇市消防局は出火原因を特定できなかった。内閣府沖縄総合事務局などによると、建物と収容物の損害額は約84億4千万円に上る。


火災で正殿(中央)などを焼失した首里城=2019年10月31日

 火災時、施設にはスプリンクラーがなく、鎮火まで約11時間かかった。このため、再建に当たっては防火態勢の強化も大きな柱となった。再建後の建物では炎感知器やスプリンクラーが新設されるほか、防犯カメラの監視体制も強化される予定だ。

 火災から5年となった今年10月31日には、那覇市消防局や沖縄県、城を所有する国などが合同で、再建が進む正殿で大規模な消火訓練を実施した。
 訓練の想定はこうだ。「工事中の正殿を風雨から守る仮設の建物『素屋根(すやね)』で夜間に出火した」。煙感知器の警報が作動すると、警備員が声をかけ合って初期消火の手順を確認し、到着した消防隊に状況を伝えた。消防隊が素屋根に向けて一斉に放水し、地面に設置したホースから噴射した水で「壁」を作る「水幕防御システム」も作動させて延焼を防いだ。
 訓練終了後、那覇市消防局の上原さんは「工事と歩調を合わせ、もう二度と火災で失われることがないように防火態勢をしっかり整えたい」と力を込めた。

▽琉球の竜の指は何本?


再建中の首里城で開かれた、正殿の屋根や骨組みが無事完成したことを祝う「工匠式」=5月

 再建工事は2022年に始まった。今年5月には、屋根や軒回りの工事を無事に終えたことを祝う「工匠式」が執り行われ、伝統装束に身を包んだ宮大工たちが建物の安泰を祈念した。


赤瓦で首里城正殿の屋根をふく作業をする職人=7月


首里城正殿に使われる赤瓦=7月

 正殿の瓦ぶきも7月にスタートした。使うのは、計約6万枚の琉球赤瓦だ。大型台風が多い気候を考慮し、瓦職人たちがしっくいを塗り重ねることで一枚一枚を強く固定していく。年内をめどに作業を終える予定だ。

 外壁の塗装も今後本格化するほか、焼失した彫刻物や装飾品の復元も着々と進んでいる。


再建中の首里城に搬入された「御差床龍柱」(上)と装飾板「内法額木」=9月

 9月中旬には琉球国王の玉座の周囲を飾る板「内法額木(うちのりがくぎ)」が正殿隣の倉庫に搬入された。計3枚あり、全てつなげた横幅は計約14メートルの大作。制作者で長崎県諫早市の彫刻師下村高男(しもむら・たかお)さん(72)も搬入を見守った。「普段彫る本土の竜は指が3本なのに対して、今回彫った琉球の竜は指が4本。バランスの取れた美しい指先を表現するのが難しかった」という。再建には沖縄県外の職人も多く携わっており、下村さんはその1人。「琉球独自の文化や伝統技術について学ぶ貴重な機会になった。沖縄の人たちに、私の竜を気に入ってもらえたら何よりだ」と期待を語る。


再建中の首里城に搬入された「御差床龍柱」=9月

 沖縄県によると、正殿正面に飾り、城の「顔」となる「唐破風妻飾(からはふつまかざり)」は2025年1月、正殿前の広場に建てる「大龍柱(だいりゅうちゅう)」は2026年にそれぞれ搬入される見込みで、2026年秋の完成を目指して工事は佳境を迎えている。

▽回復する入園者、カギは現場公開

 無料区域を含む首里城公園全体の入園者数は、火災前の2018年度に約280万人(内閣府沖縄総合事務局調べ)だったが、火災後の2020年度は約33万人に激減し、新型コロナウイルスの感染拡大に見舞われた2021~22年度も低迷した。


「素屋根」内で進む首里城正殿の修復作業を見学する人たち=10月

 誘客の打開策としたのが再建作業の現場公開だ。2023年8月、素屋根の内部に、工事をガラス越しに見学できる区画を整備。工事の進捗を直に見られるようになったことでリピーターの掘り起こしにもつながり、常に人垣ができる人気のエリアとなっている。


 今年10月下旬、素屋根内を見学した茨城県の建設業女性(41)は「本州の瓦と異なっておもしろい。復興の様子を間近で見られて良かった」と話し、瓦ぶきを食い入るように見つめていた。
 修学旅行生やクルーズ客らも戻りつつあり、2023年度の入園者は約144万人に回復した。2024年度はさらに伸びる見込みだ。

▽地下に眠る、物言わぬ戦争の語り部


首里城の地下に広がる、旧日本軍の第32軍司令部壕の坑道=5月、那覇市

 首里城は14世紀ごろ建てられて以降、焼失と再建を繰り返しながら、琉球王国の拠点として繁栄してきた。1879年、明治政府による琉球処分で沖縄県が誕生し、約450年続いた王国は滅亡し、城も政府側へ明け渡された。
 太平洋戦争末期、見通しの良い丘の上に位置する立地などを背景に、首里城の地下には南西諸島の防衛を担う旧日本軍第32軍の司令部壕が築かれた。1945年3月に始まった沖縄戦では、米軍との激しい地上戦で住民の4人に1人が犠牲になったとされ、首里城一帯も焦土と化した。城は戦後、1992年に再建された。

 沖縄県によると、2019年の火災後、再建計画が話し合われる中で、市民団体や県内の研究者などから第32軍司令部壕の保存も求める声が強まった。県は現在、2025年度以降の順次公開を目指し、落盤や落石を防ぐなど安全面での対策を急いでいる。将来、再建された地上の城と新たに公開される地下の司令部壕の双方へ観光客を呼び込みたい考えだ。
 来年には戦後80年を迎え、県担当者は「戦争体験者から証言を聴く機会はますます少なくなる中、『物言わぬ語り部』である司令部壕を保存し公開する重要さは増している」と語る。

 復興に向けた、国の技術検討委員会の委員長を務める高良倉吉(たから・くらよし)琉球大名誉教授(琉球史)は「沖縄は、美しいサンゴ礁の海に囲まれ海洋レジャーの拠点であると同時に、戦争の記憶を持つ地域でもある。再建を契機に、琉球王国の美意識や伝統技術、県民が持つ戦争の記憶や平和への思いを広く知ってもらいたい」と話している。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください