ノーベル平和賞の被団協、いつ、なぜできた?被爆者の歩みから歴史をたどる
47NEWS / 2024年12月2日 9時0分
広島と長崎に投下した原爆の被害者による全国組織「日本被団協」がノーベル平和賞に選ばれた。原爆関連のニュースが増える毎年夏ごろ、特によく耳にする団体名だ。正式名称は日本原水爆被害者団体協議会。歴史的とも言える受賞を契機に、改めてどんな組織なのか、被爆者たちのこれまでの活動とともに紹介したい。
まずは、被団協の初代代表委員で「反核の父」と称される故森滝市郎さんの半生をたどる。広島市の平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑を背に、座り込みを続けた人だ。彼の歩みこそが、被団協の歴史そのものと言えるからだ。(共同通信=下道佳織、齋藤由季花、兼次亜衣子)
※音声でも解説しています。「共同通信Podcast」でお聴きください。
▽44歳で被爆した「反核の父」
故森滝市郎さんの次女春子さん=10月、広島市
広島に原爆が投下されたのは1945年8月6日。広島高等師範学校(現広島大)教授で44歳だった森滝さんは、爆心地から約4キロで被爆した。右目を失明し、残った左目に折り重なる遺体など悲惨な光景を焼き付けた。哲学者だった森滝さんは、自身の体験から核の時代を考えるようになった。
次女春子さん(85)には忘れられない思い出がある。被爆から数年後、幼かった春子さんは、遊んでいた爆心地近くの川で、赤ちゃんの頭蓋骨を拾った。持ち帰って森滝さんに手渡すと、お骨をささげるように持ち、大声で泣いた。森滝さんの活動は、原爆孤児の支援から始まった。
▽初代代表委員の一人に就任
被団協初代代表委員の故森滝市郎さん(右)と次女春子さん=1993年10月(春子さん提供)
森滝さんは1955年8月に広島で開かれた第1回原水爆禁止世界大会で事務局長を務めた。被団協設立のため全国を駆け回り、1956年8月の結成で初代代表委員の一人に就任。仲間の被爆者と共に、国内外で被爆体験を証言した。核実験やウラン採掘で被ばくした世界の核被害者にも思いを寄せ「核絶対否定」を貫いた。
核実験には徹底的に抗議し、広島大教授を辞す覚悟で1962年から慰霊碑前での座り込みを始めた。「精神的原子の連鎖反応が、物質的原子の連鎖反応に勝たねばならぬ」「不当に命を奪われ、声を上げられない人たちの思いを背負っている」。回数は500回以上に及んだ。
森滝さんは胃がんを患い、94年1月25日に92歳で死去する。その数日前、病室で森滝さんは「春子、今日は行かねばならんだろう」と言った。「どこに?」と聞くと、「座り込みじゃがのー」と答えた。自らも反核団体の共同代表を務める春子さんは「わが父ながら本当にこの人は…。よく『親を継いで』と言われるが、まねできない」と感嘆する。
▽「浮かれるな、今からだ」
春子さんは平和賞受賞を「人類の未来のため、使命感を持って自らの生々しい体験を語り続けてきた人に光を当てた」と評価する。11月中旬、先人らが苦境の中で立ち上がり闘ってきた歴史を見た者として、ノルウェー・ノーベル賞委員会のフリードネス委員長に「共に核の絶対否定を、と呼びかけましょう」とメッセージを送った。
ノーベル平和賞には森滝さんの生前からノミネートされていたが、栄誉を与えられることは嫌う性格だったという。現在も核兵器廃絶には至らず、核戦争の危機も迫る。春子さんは父に思いをはせ、こう語った。「受賞は激励でもあり、父だったら『浮かれるな、今からだ』と言うでしょう」
▽原点に若い世代の活動
墓前に置かれた、反核運動の先駆けとなった渡辺千恵子さんの写真=10月、長崎市
被団協結成のきっかけにはさまざまな団体の活動があった。その一つが、1955年に設立された「長崎原爆乙女の会」だ。きっかけは、前年の夏、被爆して寝たきりの生活となった故渡辺千恵子さんが新聞に取り上げられたことだった(設立年は渡辺さんの自著による)。
渡辺さんは16歳で被爆して半身不随となり、家の外に出られずにいた。活動を始めた後、証言集でこう語っていた。「被爆後十年間、廃人として社会の片隅に忘れられていました」。初期の運動を知る人は「もう原爆は嫌なんだと声にしたことに意味があった」と振り返る。
記事が掲載されると徐々に読者とつながりが生まれ、原爆に遭った女性が家を訪ねてくるようになった。差し迫った生活、就職、結婚―。悩みを打ち明け合う中、女性5人で1955年に会をつくった。
▽「二度と私をつくらないで」
ノーベル平和賞の受賞が被団協に決まり、記者会見する横山照子さん=10月、長崎市
その夏、広島で開かれた第1回原水爆禁止世界大会に会員が参加すると、カンパや証言依頼が相次いだ。翌1956年、故山口仙二さんが結成した団体と合流し「長崎原爆青年乙女の会」となった。
長崎で第2回原水禁大会が行われた1956年8月、渡辺さんは母親に抱えられ訴えた。「世界の皆さん、どうぞ私を写してください。そして、二度と私をつくらないでください」
今も会員として活動する横山照子さん(83)には、入退院を繰り返しほとんど学校に通えない妹がいた。妹の将来を心配した母親が渡辺さんを訪ねたのが最初の接点だ。当時の活動を、「青春を奪われた人たちがストレートに被害を訴え、率先していた」と回想する。
ノーベル平和賞の受賞が被団協に決まり、記者会見する横山照子さん(左から2人目)。会場には渡辺千恵子さん(中央)らの写真も飾られた=10月、長崎市
家族で被爆した横山さんは「暗いし、つらいし、自分から話す気にはなれなかった」と記憶を語らずにいたが、渡辺さんのもとで次第に運動の意義を見いだした。「『原爆さえなかったら』という思いは全く一緒。自分たちだけでしまい込んでいたら、世間に原爆のひどさが伝わらなかった」
▽孤立と貧困にあえぐ被爆者
1956年8月10日、被団協は「世界への挨拶」と題した結成宣言とともに産声を上げた。核兵器廃絶への歩みは、この誓いから始まる。「自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おう」。宣言は、今も核廃絶に向けて活動する人々の心のよりどころになっている。
戦後、占領軍のプレスコード(報道規制)で原爆被害の実態は長く隠された。後遺症やケロイドに苦しんだ被爆者らへの十分な医療はなかった。孤立と貧困にあえぐ被爆者の背中を押したのは、世論の力だ。
米国による1954年の水爆実験で、静岡県の漁船「第五福竜丸」の乗組員が被ばく。日本各地で原水爆への反対運動が盛り上がる。そんな中、長崎で開かれた第2回原水爆禁止世界大会で被団協が生まれた。
▽熱気の中で生まれた被団協
約800人の被爆者が集った長崎国際文化会館(長崎市、現長崎原爆資料館)は熱気に包まれた。立ち会った代表委員の田中熙巳さん(92)は「被爆者が孤独から解放され、声を上げた瞬間だった」と振り返る。
結成宣言が「世界に訴うべきは訴え、国家に求むべきは求め、自ら立ち上がり、たがいに相救う道を講ずる」とうたう通り、被団協は核廃絶と国家補償を求め動き出す。国内外で体験を語り、被害の実相と核兵器の非人道性を告発し続けた。
2016年には若い世代と協働し、核廃絶を求める「ヒバクシャ国際署名」を始め、2020年末までに1370万筆超を集めた。こうした地道な運動が、2017年の核兵器を全面的に違法化する核兵器禁止条約の採択、2021年の発効につながっていく。条約は前文で「ヒバクシャの受け入れ難い苦しみに留意」と明記した。
▽結成宣言、今も力に
被団協の浜住治郎さん(左から2人目)と田中熙巳さん(同4人目)、共に活動する林田光弘さん(左端)=2020年10月、東京都千代田区
被団協は「ふたたび被爆者をつくるな」を合言葉に、核兵器廃絶と原爆被害への国家補償を訴え続けた。核軍縮に関する国際会議などに代表者を派遣し、国内外に被爆の実相を伝えているほか、原爆による健康問題の相談事業も実施した。
被団協結成から68年が過ぎ、多くの被爆者が鬼籍に入った。厚生労働省によると、被爆者健康手帳所持者の平均年齢は85歳を超え、一部の地方組織には休止、解散したものもある。
だが、結成宣言に刻まれた誓いは今も色あせない。事務局次長で胎内被爆者の浜住治郎さん(78)は「先輩たちが原爆被害にあらがい、立ち上がり、前向きに生きようとする姿が表れている。読むと力をもらえる」
宣言は若い世代の活動にも影響を与えている。ヒバクシャ国際署名でキャンペーンリーダーを務めた長崎の被爆3世林田光弘さん(32)は「『同じ被害を繰り返さないために闘う』という姿勢は、全ての社会課題解決に通じる。宣言に詰まっているそうした思想こそ、継承していきたい」と語った。
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