「プロ野球90年」ぺこぱ・松陰寺太勇さんのマリーンズ愛 「俺たちがついてるぜ」の横断幕を見て「かっけーな、ロッテファンやめんとこ」と思いました
47NEWS / 2024年12月20日 9時0分
発足から90年を迎えたプロ野球への思いを聞くインタビューシリーズ。お笑いコンビ「ぺこぱ」の松陰寺太勇さんは大のロッテ好き。熱い応援で知られるマリーンズファンの心情を熱弁してくれた。(聞き手 共同通信・小林陽彦、児矢野雄介)
▽前髪の長いファースト
おやじが巨人戦を見ていたので、最初は必然的に巨人ファンでした。駒田徳広、原辰徳、クロマティ、あとはモスビーとかバーフィールドとか。あの辺は覚えています。岡崎郁がサードをやっていて、センターが緒方耕一。それが一番最初の野球の記憶かな。
2年生のころに少年野球チームに入りました。捕れなかったボールが捕れるようになったときとか、芯に当たって打球が内野の頭を越えたときに、やっぱり野球楽しいなあと。決してうまくはなかったんですけど、夢中になってやっていましたね。プロ野球選手になるっていう夢を文集に書いた覚えがあるなあ。
野球歴はちょっと変わっていて、少年野球から中学校で野球部に入ったけど、高校ではバンドがやりたくて丸刈りがいやだったので入らなかったんです。3年生の時に野球部の部員が足りなくなって、経験者だったのでキャプテンから声をかけられました。
その野球部は丸刈り推奨で、長くてもスポーツ刈り。僕はバンドをやっていたので、前髪が命じゃないですか。「丸刈りじゃなくてもいいなら」と答えたら、「それでもいいから頼むから入ってくれ」と言われて入りました。野球部の顧問はめちゃくちゃ怖かった体育教師だったんですけど、「本当にありがとう」と頭を下げてくれましたね。
ポジションはファースト。先輩から代々受け継がれていた伝統のファーストミットがあったんですが、前髪が長いやつがその伝統のミットで守っていました。
今は統廃合でなくなってしまった山口県の光が丘高校という学校で、夏の大会の最高成績の3回戦までいって、甲子園にいった宇部商に負けました。キャプテンは本当に大変だったと思います。人がいないところから何とか10人まで集めて。最終的に3回戦までいって負けたんですけど、終わった後にめちゃめちゃ泣いてましたね。悔しさもあるだろうし、ちょっとやれたという充実感もあっただろうし。僕は思い出が2、3カ月だったので、全く涙は出なかった(笑)。
▽ロッテって何や
ロッテ応援団の横断幕=1998年7月、神戸グリーンスタジアム
小さいころは巨人ファンだったんですけど、スーパーファミコンで野球のゲームをやるようになって、そこでパ・リーグというのがあるのを知った。チームを選択する画面の端っこの方にロッテっていうのがあって、「ロッテって何や」と思って選んだらユニホームがピンクなんですよ。弱そうだなと思ってプレーしてみたら、聞いたこともない選手がいっぱい。でも弱いチームで優勝したいと思って使うようになりました。
テレビのニュースでは「その他の試合の結果です」みたいな感じで紹介されて、だいたい負けてる。「また『ロ』負けてるやんけ」と思いながら、新聞で成績をチェックするようになって、たまにBSで中継があるときは「初芝(清)ってこんな顔なんや」とか、「堀(幸一)ってこんな打ち方なんや」とか、どんどん気になるようになって気付いたらファンになってました。
地元の山口県に住んでいた時は、福岡が近かったので夏休みによくダイエー対ロッテを見に行きました。あのときのレフトスタンドのマリーンズファンは格好良かった。今のようなビジター席の仕切りがない時代で、20~30人ぐらいしかいないんですけど、めちゃめちゃ声を出して応援するロッテファンを見て、途中からそこに交じって応援してました。やっぱりあの応援が、好きになるきっかけの一つでしたね。ただゲームで使っているだけだったら、ここまで好きになってはいなかったかも。
ロッテの応援歌は歌詞が覚えやすい。鳴り物がなく、手拍子と声だけで選手に届ける応援スタイル。ビジターのドーム球場で応援するのが結構好きですね。音が反響するのが気持ちいい。もちろんZOZOマリンスタジアムのライトスタンドもいいんですけど、ビジターでホームを圧倒する応援をするのはすごく楽しいです。
不思議なもので、弱いチームということに慣れすぎているので、首位に立つとそわそわします。2021年にマジックが点灯したけど、「いつ誰が迫ってくるんだ」って落ち着かなかった。もちろん勝ってほしいし、優勝してほしいんだけど、落ち着くか落ち着かないかで分類するとBクラスの方が落ち着いちゃいます。
2017年は鈴木大地以外は誰も打たなくて絶望的に弱かった。これだけ弱いと応援する気もなくなるかなと思いかけたけど、でも「俺がやめたらこの子は誰からも応援されなくなっちゃうんじゃないか。俺がやめちゃだめだ」って妙な責任感を感じた。
もちろんプロ野球記録の18連敗があった1998年も応援してました。黒木知宏が打たれて、膝から崩れ落ちて。あの時もつらかったけど、テレビのニュースでロッテファンが掲げる「俺たちがついてるぜ」という横断幕を見て、「ロッテファンかっけーな。絶対ファンやめんとこ」と思った。今もめげずにやっているので、もう一生ロッテファンだと思います。
▽優勝で歓喜の歌
2005年の日本シリーズを制し胴上げされるロッテのボビー・バレンタイン監督=甲子園球場
印象深かったのは、ボビー・バレンタイン監督が率いて日本一になった2005年。プレーオフの第2ステージは福岡ドームでしたが、さすがに福岡まで行けないので、毎試合マリンスタジアムのパブリックビューイングを見に行きました。
連勝して王手をかけて、9回に4点リードで絶対的守護神の小林雅英が出てきた。「もう勝ったやろ」と思ったし、ビールの売り子の人は最後の瞬間はみんなで乾杯しようとただでビールを配り始めたんですけど、どんどん打たれて延長でサヨナラ負けしたんです。みんなビール持ったままなんですよ。乾杯しそこねて、そのうちに雨まで降ってきちゃって、今までで一番味がしないビールでしたね。
連敗で2勝2敗になって第5戦。当時付き合っていて僕が無理やりロッテファンにした彼女と、段ボールに白テープを貼って黒字で「優勝」と書いたボードをつくって千葉マリンに行きました。
リードを許す展開だったんですが、7回に絶体絶命のピンチでライト前に抜けそうな当たりをセカンドの早坂圭介が超ファインプレー。追加点を阻止して、8回表に初芝清が代打で出てきた。外の球を引っかけてゴロを打ったら、サードとショートがぶつかって内野安打になり、福浦和也がヒットでつないで1、2塁。
ここでサブローが強攻策でファウルフライに倒れた。送りバントかなというところで凡退して1アウトになって、「うわ、これでゲッツーで終わりやろな」と沈みかけると、パブリックビューイング越しに、福岡ドームのレフトスタンドから一番盛り上がるチャンステーマが流れるのが聞こえてきたんです。「あ、福岡のファンはまだまだ諦めてねえぞ。俺らがここでちょっとでもネガティブな感情を持ったらだめだ」と思ったら、里崎智也が初球を左中間へ持っていった。当時まだビジョンが大きくなかったので、打球はよく見えないんですけど、外野手が2人ともフェンスの方を向いていたので「外野は越えたんや」と。フェンス直撃のタイムリー二塁打で、ランナーが2人とも帰ってきた。
みんな「うわー」って盛り上がって、泣いているお客さんもいて、ぱっと見たら彼女も泣いてました。俺も泣きたかったんだけど、逆転負けの試合から流れが悪かったから、「この内野席を俺が統率せな」みたいな変な感情が湧いてきて、「まだ終わってないから。1点勝ってるだけだから」ってみんなに言い聞かせてました。
9回に小林雅英が出てきて、その時は売り子さんもビール配らなかったですね。ベンチの選手も、逆転負けの時は4点差があったから胴上げに備えて前のめりだったんですけど、この試合ではみんな深く腰かけてた。「学んでるわ。選手もファンも」と思いました。フォアボールでランナーは出したんですけど、2アウトになって最後のバッターは川崎宗則。詰まったフライが上がって、レフトが捕った瞬間に大号泣でみんなとハイタッチ。「優勝」って書いたボードを出して、歓喜の歌を歌ったら、翌日の東京中日スポーツに写真が載ってました。
マリンスタジアムからの帰りは駅まで歩いて15分ぐらいなんですけど、みんな歓喜に浸っているから、誰かがロッテの応援歌を歌ったらみんな集まってくるんですよ。みんなで歌って、ちょっと歩いちゃまた歌って、駅まで1時間ぐらいかかったのを覚えてます。
▽幕張のファンタジスタ
本塁打を放つロッテ・初芝清=2002年9月、千葉マリンスタジアム
僕も右バッターで、サードで眼鏡をかけていたので、初芝さんの打ち方をまねしたりしてました。人さし指を立てて構えて、ちょっと首を振るような仕草をまねした時期もありました。
初芝さんは「幕張のファンタジスタ」。守備を見ていてわくわくするんですよ。ファウルフライを捕りにいって、そのままスタンドに消えちゃったりとか、自分で自分のグラブを踏んでエラーしたりとか。ファーストでも、足を離すのが早すぎてセーフになったことがありました。
でもバッティングは本物。当時、右バッターであれだけホームランを打てるロッテの選手はいなかったので、初芝さんが打席に入ると期待しました。松坂大輔からホームランを打ったのも覚えています。試合前の打撃練習をレフトスタンドから見ていると、初芝さんの打球が一番飛んできました。
やっぱり、プレーオフの奇跡のサードゴロですね。1点差で負けてて、あと2回しか攻撃がなくて、前の回にファインプレーをした早坂に代わって先頭打者で出てきた。当時、既に引退を発表していたんです。それまで弱いロッテを支えてきた初芝さんが、あそこで代打で出てきて、何でもないサードゴロが内野安打になったところから日本一に上り詰めた。ただのサードゴロですからね。やっぱり幕張のファンタジスタ。
▽ロッテファンいるからね
色紙を手にする松陰寺太勇さん=2024年9月
プロ野球がなかったら、俺を形成しているもののうち7割ぐらいがすっからかんじゃないかな。野球がなくなったら、何を目標にやっていけばいいのかなっていうくらい。ロッテが勝っているのかどうかの速報を見るときが、1日のうちで一番心拍数が上がります。負けていたらへこむから収録の合間には見ない方がいいんですけど、見ちゃいますね。収録が終わって「どうせそのまま負けたんだろうな」と思いながら見たら勝っていたときがやばいですね。そこが一番楽しい。
映画やコンサートやテーマパークは、行けば楽しい時間が確約されている。でもプロ野球って最低の試合を見せられることもあるわけですよ。行けば絶対楽しいわけじゃない。なのにこれだけお客さんが来るのは、いい試合だった時の充実感には何も勝てないからじゃないですかね。行ってみないと、楽しいか楽しくないか分からない。だからやめられないんじゃないかな。
ロッテにはもちろん優勝してほしいし、常勝軍団になってほしいですけど、プロ野球界の「センター」でないことは自覚している。でも見ていてわくわくするチームというか、読めないチームなので、プロ野球界の中で「ロッテならそういうことがあっても変じゃないな」というような、くせ者的な球団であってほしいなと思います。
「ロッテファンです」と言うと「なんでロッテなんですか」という返しが必ずあるんですよ。そろそろ、それがまあまあ失礼だってことに気付いてほしいですね(笑)。いるからね、ロッテファン。ちゃんとね。
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