生後6ヶ月で被爆、記憶がなくても証言を継承する女性が着物姿に込めた思い 被団協結成の背景「ビキニ事件」、現地に通い続ける写真家「実験被害にも目を向けて」【授賞・ノーベル平和賞】
47NEWS / 2025年1月18日 9時0分
生後6カ月の時に長崎で被爆した福島富子(ふくしま・とみこ)さん(79)=神奈川県葉山町=は「和 Peace(ピース)」と刺しゅうされた帯を締め、着物姿で平和を訴えてきた。2024年12月に開かれた日本原水爆被害者団体協議会(被団協)へのノーベル平和賞授賞式に合わせ、ノルウェー・オスロを訪問。被爆当時の記憶はないが、長崎市の「交流証言者」として他の被爆者の体験も伝えている。
被団協結成の背景には、70年前の1954年に太平洋マーシャル諸島で水爆実験が行われ、日本漁船も被ばくした「ビキニ事件」があった。10年以上続いた核実験で、島民らは被ばくによる健康被害や移住を強いられ、影響は今も続く。現地に半世紀通う報道写真家の島田興生(しまだ・こうせい)さん(85)=神奈川県葉山町=は、授賞を機に「世界の核実験被害にも目を向けてほしい」と願う。(共同通信=桂田さくら、野口英里子)
▽蚊帳の外と感じていた証言活動、原発事故が転機になった
取材に応じる福島富子さん=2024年11月、神奈川県逗子市
「あなたは被爆者だけど被爆者じゃないと言われ続けてきた」。福島富子さんは1945年8月9日、長崎の爆心地から約2・5キロの自宅で被爆。34歳で被爆者健康手帳を受け取り、被団協に所属する神奈川県原爆被災者の会に入った。年上の会員たちの証言活動を支える一方、自分自身は体験を語れないため蚊帳の外のように感じてきた。
転機は2011年3月11日。東日本大震災に伴い発生した東京電力福島第1原発事故だった。「核の愚かさを心底感じて、原爆も同じだと思った」。以降、戦争とは何かを考えるようになり、兄や親戚から伝え聞いた被爆状況を語る活動を始めた。
2015年、核拡散防止条約(NPT)再検討会議に合わせ訪ねた米ニューヨークで、長崎原爆に遭った谷口稜曄(たにぐち・すみてる)さん(2017年に88歳で死去)の話を聞き「身体から言葉がほとばしっているようだ」と衝撃を受けた。同時に、被爆者が高齢化する中、証言活動の継続に危機感も抱いた。
▽活動では常に着物姿。その理由は―
福島富子さん
その後、長崎で被爆し同じ被災者の会で活動していた村上八重子(むらかみ・やえこ)さん(94)=神奈川県藤沢市=から、体験を語り継いでほしいと頼まれた。村上さんと二人三脚で約3年かけて証言内容をまとめ、2024年2月、長崎市から交流証言者に認定された。
平和賞受賞の一報を耳にした時、証言を重ね、地道に闘ってきた先輩たちの顔が浮かんだ。「長い間、一番近くで見てきた。どれだけ喜ぶか…」。想像すると涙がにじむ。
被爆者としての活動では、常に着物を身に着けてきた福島さん。着物には、戦中・戦後を生き抜いた女性たちの思いが詰まっていると考えている。2024年12月のオスロでもその思いとともに、帯に刻まれた平和のメッセージを世界に発信した。
▽太平洋の島で見た「核実験の生き証人」
報道写真家の島田興生さん
1954年3月1日、米国がマーシャル諸島ビキニ環礁で水爆「ブラボー」の実験を行い、周辺島民や静岡県の漁船「第五福竜丸」の乗組員らが被ばくした。これをきっかけに日本で反核運動が活発化し、1956年に被団協が生まれた。
島田興生さんが知人のジャーナリストと共に初めて現地を訪れたのは1974年夏。約2カ月間かけ、ビキニ環礁や放射性降下物「死の灰」が降ったロンゲラップ環礁などで、健康状態を尋ね回った。
「死の灰」を浴びた60代の男性はがんに侵され、骨が浮き出るほど痩せ衰えていた。声を発することもできず「のどかな風景の中に、核実験の生き証人のように伏せっていた」。3日後、妻と娘2人を残し亡くなった。
▽広島と長崎だけでなく、核実験被害にも目を向けて
両足に6本の指を持って生まれたロンゲラップ島の少女=1985年、マーシャル諸島沖(島田興生さん撮影)
大国に人生を狂わされた人々の行く末を見届けようと、その後も継続して渡航。1985年から約6年間は首都マジュロに住みながら関係を深めた。毎年のように死者が出る状況に耐えかね、ロンゲラップ島民が家財ごと無人島へと集団移住する瞬間にも立ち会った。
ノート約300冊に及ぶ取材で得たのは「核は長期に影響を残す残酷な兵器だ」という確信だ。ロシアのウクライナ侵攻などを背景に核使用のリスクが高まっているとして「脅威の記憶が薄れているのではないか」と危ぶむ。
マーシャルの島民代表が日本での反核集会に招かれてきた歴史もある。「被害を広島、長崎に閉じ込めず、世界的なものに広げる努力が必要だ」。今後の核廃絶運動に期待を込めた。
× ×
マーシャル諸島での核実験 1946~58年、米国は太平洋にあるマーシャル諸島北部のビキニ、エニウェトク両環礁で計67回の核実験を実施。爆発の威力は合計で広島原爆約7千発以上に相当した。住民らは実験場設置や放射性物質による汚染のために移住を強いられ、甲状腺障害や死産の多発など健康被害に苦しんだ。残留放射線への懸念などから、ビキニと風下のロンゲラップ環礁では集団での帰還が果たせていない。
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