「ゲバゲバ」から「ズームイン」まで、テレビ演出のレジェンド・斎藤太朗さんのヒットの秘訣は?【放送100年④】
47NEWS / 2025年1月23日 9時0分
「巨泉・前武 ゲバゲバ90分!」「コント55号のなんでそうなるの?」「ズームイン!!朝!」…。元日本テレビのディレクター・斎藤太朗(たかお)さん(88)は、ジャンルも雰囲気も違う人気番組を次々と世に送り出した。テレビ演出のレジェンドが語るヒットの秘訣(ひけつ)とは?(共同通信編集委員・原真)
▽アルバイトでディレクターに
1936年生まれの斎藤さんは、大の音楽好き。東京の中学・高校に通う頃は、ミュージシャンになることを夢見た。「でも、おやじから『サラリーマンになれ。大学に行く費用は出してやる』と言われたんです」。成蹊大に進み、オーケストラでトランペットやトロンボーンを吹いていた。
ある日、テレビ番組の劇伴(BGM)を作曲していた先輩から、「録音するから来い」と誘われる。日本テレビのスタジオを訪れ、番組のリハーサルなどを見学するうちに、ひらめいた。「テレビ局の社員になれば、音楽に関わりながら、サラリーマンになれるな」
井原高忠さんは「11(イレブン)PM」「スター誕生!」などの人気番組にも携わった=1983年10月
大学4年生だった1957年当時、東京のテレビ局はNHKと日本テレビ、ラジオ東京テレビ(現TBS)しかなかった。斎藤さんは先輩に紹介された日テレの入社試験を受け、選に漏れたものの、アルバイトとして働き始める。約3カ月後、上司の井原高忠さんから、ボーカルグループのダークダックスが出演する音楽番組「ヒノ デザートミュージック」のディレクターを任された。
▽多彩なタレントがそろう「シャボン玉ホリデー」
斎藤さんが加わるまで、井原さんが率いる音楽課ジャズ班は、スタッフ3人で週に何本も番組を制作していた。「僕がやらせてもらえたのは、才能とかじゃない。ものすごく忙しくて、人が足りなくて、しょうがなかったんでしょうね」。その後、社員として採用された斎藤さんは、ダークダックスの番組を演出する傍ら、井原さんらがディレクターを務める番組のスタジオをフロアマネジャーとして仕切った。
斎藤さんが「師匠」と呼ぶ井原さんは1958年、日本初の本格的バラエティー番組といわれる「光子の窓」を立ち上げている。「いつも最先端を走っていた。井原さんの番組はお金がかかるけど、自分でスポンサーを見つけてきた」
クレージーキャッツのドラマーだったハナ肇さんは俳優としても活躍した=1991年10月
斎藤さんは1963年から、先輩とともに「シャボン玉ホリデー」のディレクターを務めた。ザ・ピーナッツやクレージーキャッツら、多彩なタレントが活躍したバラエティー。「歌は映像的に素晴らしく、コントは面白くしたい」。斎藤さんは放送作家の河野洋さんらと、台本を練りに練った。
その河野さんは、斎藤さんについて「こっちが絶対的に自信があるものを『つまんない』って言われたら、『こいつ、わかってないや』になるんだけれども、ちょっと弱いなと自信ないところは必ず言ってきますね。それは見事なものです。ギニョとやるときは、ギャラいらないと思ってました」と述べている(斎藤さんの著書「ディレクターにズームイン!!」)。斎藤さんは、フランスの人形劇ギニョールの操り人形に似ているからと、「ギニョ」と呼ばれていた。
▽コントを詰め込む
斎藤さんによると、歌手の坂本九さん主演のバラエティー「九ちゃん!」が1965年にスタートした頃から、テレビ局と芸能プロダクションの力関係が変わる。それまでの番組では、ディレクターが各回のテーマを設定して曲を決め、歌手に歌わせていた。ところが、人気歌手を抱えるプロダクションが「持ち歌を歌わせないなら、出演させない」と言い出す。斎藤さんらは「ディレクターは、ただ撮るだけの仕事じゃない。こいつらと付き合うのはやめよう。何か新しいものをやろう」と考えた。そんな折、米国で話題になっていた異色の教育番組「セサミストリート」に注目する。
井原さんが米国へ渡り、「セサミストリート」を作った教育財団に取材。制作の参考にしたというバラエティー番組「ローワン&マーティンのラフイン」のフィルムを持ち帰った。コメディアン2人を軸に、短いギャグを機関銃のように連発する。「教育番組の前に、まずこの作り方を勉強しよう」。斎藤さんたちはバラエティーの新番組の準備に取りかかった。1969年開始の「巨泉・前武 ゲバゲバ90分!」である。
大橋巨泉さん(左)と前田武彦さん=いずれも1974年
放送作家出身の大橋巨泉さんと前田武彦さんの司会で、当時珍しかった1時間半の長尺番組に、100本程度の短いコントを詰め込んだ。花に水をやったら、植物ではなく鉢が成長する。「一日一善の会」会員が、自殺しようとする人の足を引っ張る…。1本30秒以下のナンセンスなものが多い。アニメーションと実写の合成など、先端技術も駆使した。斬新な番組は若者の圧倒的支持を集め、クレージーキャッツのハナ肇さんのせりふ「あっと驚くタメゴロー」は、瞬く間に流行語になる。
ただ、制作には苦労した。毎週、若手の放送作家数十人に何百本ものコントを書かせ、厳選した。そのコント1本を数分で撮影しても、1回分で12時間ぐらいかかる。「3年で疲れ切って、やめちゃった」と斎藤さん。
▽「カリキュラマシーン」出演も
「ゲバゲバ」という壮大な習作を経て、1974年、いよいよ教育番組「カリキュラマシーン」を始める。短いシーンを連ねる「ゲバゲバ」の手法を、そのまま持ち込んだ。
問題は出演者だった。子どもたちの先生役なので、他の番組で殺人犯に扮(ふん)するような俳優は避けたい。一方で、長く続けるつもりの番組だから、あまりギャラが高いタレントも困る。スタッフ会議が行き詰まり、「カリキュラムを分かっている斎藤さんがやればいいじゃないか」と声が上がった。多数決で、斎藤さんが「ギニョさん」として出演することに。「仕方がない。一生懸命やりました。楽し苦し、でしたね」と笑う。
この間、斎藤さんは「コント55号のなんでそうなるの?」のディレクターも務めている。「従来の55号の番組は、欽ちゃん(萩本欽一さん)が作ったギャグを写していた。僕は本屋(放送作家)を集めて、新しいコントを作ろうとした」。ところが、欽ちゃんは勝手に動く。公開録画で、客に受けないと感じると、台本を変えてしまう。そして、爆笑を生む。
「コント55号」の萩本欽一さん(右)と坂上二郎さん=1977年12月、東京都内
斎藤さんは言う。「それまで、ディレクターの仕事は『ここで右を向いて』ということだと思っていた。でも、欽ちゃんと(坂上)二郎さんは、指示通りに動くような人たちじゃない。好きにやってもらって、問題があれば言うけど、うまくいけば、そのままでいいと分かった。僕の演出の幅が広がった」
▽系列局から中継
転機が訪れたのは、1978年。制作局次長になった井原さんから、平日朝7時代の帯番組の視聴率が振るわないので、新たな企画を考えるよう命じられた。
夜の番組しか担当していなかった斎藤さんは、プロデューサーらと頭をひねった。「朝って、全国的に朝だよな」。そう、札幌も福岡も朝だ。それなら、全国の系列局から中継したらどうか。大みそかの「ゆく年くる年」のような番組を、毎日やろうというわけだ。
とはいえ、早朝からスタッフを動員しなければならない系列局の反応は、冷たかった。斎藤さんらは各局を回り、「月1回でもいいから、参加してください」と口説き落とす。
1979年春に「ズームイン!!朝!」が始まると、系列局が登場した日は地元の視聴率が上がった。参加する局が徐々に増える。他系列にない番組は、1990年代に視聴率が20%を超え、同時間帯でNHKを含む全局のトップに立った。タレントが1人も出ない、アナウンサーだけの番組でも、見てもらうことはできる。斎藤さんは、「情報」の強さを実感した。
さらに1987年からは、昼の情報番組「午後は○○おもいッきりテレビ」も手がけた。フジテレビの「森田一義アワー 笑っていいとも!」が若者を引き付けていた時間帯。斎藤さんは50歳以上の主婦らを狙い、みのもんたさんらを司会に、健康をテーマにして、高視聴率を記録している。
▽作らなきゃ駄目
斎藤太朗さん
「欽ちゃんの全日本仮装大賞」なども演出した斎藤さんは、2004年まで、日テレの執行役員や関連会社の役員を歴任した。
しかし、最近はテレビを見ていない。「つまんないから。タレントを集めてギャーギャーやってるのを、写してるだけ。作ってない」と苦言を呈する。
斎藤さんは、テレビの本質は娯楽だと断じる。「バラエティーでも、教育番組や情報番組でも、娯楽であることは変わらない」。娯楽として視聴者を引き付けるために、ディレクターは全身全霊で面白い企画を考え、見たことのないような映像を実現する必要がある。「作らなきゃ、駄目ですよ」。完全主義の放送人は、そう一言で総括した。
× × ×
日本で放送が始まって2025年3月22日で100年。ラジオ・テレビを形づくった人々に聞くシリーズ【放送100年】は随時掲載します。
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