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「絶対に当選させる」政治と無縁だった市民が、後援会幹部として衆院選に臨んだら SNS全盛の時代に、岩盤保守の地で展開した地道な選挙戦。立憲民主党候補を支えて見えたものとは

47NEWS / 2025年1月18日 9時30分

候補者の山本和嘉子さんと演説会で握手を交わす佐金美弥子さん(右)=2024年10月23日、京都府福知山市

 第50回衆院選の投開票日を4日後に控えた夕方。京都府福知山市で保育園を経営する佐金美弥子さん(47)は、こう何度もつぶやいた。「どうか当選してほしい」。思い浮かべていたのは、衆院京都5区で立憲民主党から立候補していた山本和嘉子さん(56)だ。友人として付き合ってきた山本さんの熱意に打たれて、後援会に加わった。選挙区は自民党の総裁経験者らを輩出してきた「保守王国」。東京都知事選や兵庫県知事選でSNSを駆使した選挙運動が注目される中、頼りにしたのは人のつながりと、地域に根を張る地道な活動。政治の世界に初めて飛び込み、共に戦ったが、結果は伴わなかった。選挙とはほぼ無縁の「素人」に見えてきた、今後の課題とは。(共同通信=小玉明依)

 ▽圧倒的保守の土地にやってきた「わかちゃん」


海上自衛隊の艦船が浮かぶ舞鶴港=2024年10月15日、京都府舞鶴市

 京都5区は、舞鶴や福知山両市を中心に7つの市町からなる北部の選挙区だ。立憲民主党の泉健太前代表、日本維新の会の前原誠司共同代表ら非自民の国会議員が選挙区を握る京都府内で唯一、自民候補が小選挙区導入以降、一度も負けていない。
 人口約7万5千人で最大の舞鶴市は造船業で栄えた。舞鶴港には海上自衛隊の艦船が停泊する。人口約7万4千人で舞鶴に続く福知山市は、出版社が実施した2024年の「住みよさランキング」で、全国812市区のうち87位、府内では3位にランクインした。明智光秀が築いたとされる福知山城の城下町で、街と自然の両方を兼ね備えた自治体として移住者も多い。一方で福知山を含む5区内では、都市部への人口流出が止まらない現実もある。

 ここで立候補したのが山本さんだ。比例単独で当選1回の経験があり、5区での挑戦は前回2021年に続き2回目。京都市で生まれ、三大祭り「葵祭」のヒロインとなる「斎王代」を務めた過去もある。元国会議員であるにもかかわらず、周囲からは「わかちゃん」と呼ばれる親しみやすさが売りだ。

 ▽面と向かって「自民党しか支援しない」


記者会見で立候補の決意を語る山本和嘉子さん=2024年9月24日、京都市

 山本さんは、2021年の衆院選では比例復活もならず落選した。一度は京都市に戻ることを考えた。それでも、これまで北部で出会った人の顔を思い浮かべて、再挑戦を決意した。「北部の人々の暮らしを豊かにしたい」。その一心で3年間、北部中を駆け回った。最北端から1軒1軒あいさつに赴いた。交差点に立ち、通勤者、通学者に声をかける「朝立ち」は毎週欠かさず、各市町を順番に回った。福知山の中小企業でアルバイトし、特技を生かして習字教室を開き、地元に根ざした生活を送ってきた。
 ただ、立憲民主党から支部長に渡される活動資金はわずか。切り詰めた生活を強いられた。あいさつに回った先で、面と向かって「自民党しか支援しない」と言われることも続いた。そんな心身を削る毎日を過ごしていた山本さんを見守ってきたのが、佐金さんだった。

 ▽「ネギを栽培することにした」


福知山市で開催した、山本さんと住民が「語る会」に参加する佐金美弥子さん=2024年6月23日、京都府福知山市(佐金さん提供)

 佐金さんは福知山市で生まれ育ち、短大卒業後、地元に戻って保育士として働き始めた。業務は忙しく、保護者との関係をはじめ精神的にもきつい仕事にもかかわらず、給料はそれに見合わないと感じていた。子育てとの両立はきわめて難しいのが実態で、出産後に復帰できない人も多く見てきた。「生涯続けられる仕事にしないといけない」。業界の働き方改革を目指し、園を自ら設立すると決めた。

 山本さんと知り合ったのはこの頃。当時は現職議員で、国や市の職員、地元企業の担当者らにつないでくれたという。「地域ぐるみの開かれた保育園」を目指していた佐金さん。人脈が広がったおかげで、活動は勢いづいた。友人としての付き合いも始まった。
 佐金さんは、山本さんに驚かされてばかりだった。「わかちゃんには裏表がない。肝が据わっているけれど、かわいらしさがある」。これまでに会ったことのないタイプの政治家だった。落選した後は「福知山でネギを栽培することにした」と聞き、仰天した。畑に入り、土まみれの手足と笑顔で作業する傍ら、地元を走り回って住民の声に耳を傾ける姿を、間近で見続けた。

 ▽衆院選前にかかってきた電話


山本和嘉子さん(前列左)を囲む佐金美弥子さん(後列中央)と松井博孝さん(前列右)=2024年11月29日、京都府福知山市(佐金さん提供)

 衆院選が近づきつつあった4月のある日、山本さんから佐金さんに1本の電話がかかってきた。「後援会の代表幹事をやってくれませんか」。佐金さんは驚き、いったんは断った。「自分に務まるわけがない」と。職場でも、家庭でも、周りにいるのは自民党支持者ばかりだった。保育の業界も支持者が多い。周囲の目が気にならないと言えばうそになった。
 それでも、山本さんを見てきて思うところがあった。「自分に利がある、ないではなく、地域で実際に困っていることを聞き、国政にフィードバックする。その姿勢に共感した」。地元を回り続けた「わかちゃん」の力になりたい。佐金さんは迷った末、代表幹事を引き受けた。

 ▽「個人ファン」が集まった後援会


決起集会で「ガンバロー」コールをする山本和嘉子さんと支援者ら=2024年10月23日、京都府福知山市

 佐金さんら40、50代の若手を代表に据えた「山本わかこ福知山後援会」は2024年4月に発足した。中心となる幹事は20人弱。政党や労働組合とは関わり合いのない、山本さんを純粋に応援する「個人ファン」の集まりだ。その1人、松井博孝さん(80)は約4年前、山本さんが参院議員秘書だった時に知り合った。3年前の衆院選で敗れた山本さんはその数日後、松井さんの自宅を訪れ、こう言って頭を下げた。「次は勝ちたい。力を貸してください」。松井さんは決意を受け止め、後援会の創設に奔走したという。
 後援会は月1回幹事会を開き、ポスター掲示やイベントの実施について話し合った。幹事は山本さんの朝立ちにも同行した。山本さんが住民と対話する「語る会」も開催した。地域で何が課題となっているのか、山本さんがどのような政策を考えているのか。福知山、綾部、舞鶴、京丹後の4市で毎回100人以上を動員した。

 衆院が解散されると、松井さんは選対本部長に就任した。後援会幹部は山本さんのイメージカラー、ピンクのジャケットに身を包み、ピンクのリボンを巻いた選挙カーで、京都府北部中を走った。

 ▽自分の立場でできることを


選挙戦終盤、声をからしながら演説に回る山本和嘉子さんと陣営=2024年10月23日、京都府福知山市

 代表幹事となった佐金さんは、自ら表に出ることは避けるつもりだった。自民党支持者が大半を占める保育の業界にいる身で、できることは限られていたからだ。それでも、友人として可能な限り力になりたい。葛藤の末、事務所開きの日からマイクを握った。夜の個人演説会では保育現場の窮状を訴え、山本さんならそれを変えてくれると力説した。
 思い切って、家族や友人、知人に声をかけてみた。「山本和嘉子を応援しているんだ」。すると「選挙に行ってみようかな」という声がいくつも返ってきた。

 山本さんは声をからして支持を訴えた。立憲民主党の枝野幸男前代表(当時)を招いた舞鶴での演説会では感極まった。「3年前の落選後『やり直したい』と松井さんに言った時は『並の覚悟じゃできないぞ』と言われて足がすくみました。それでも、一人暮らしの高齢女性の暮らし、物価高、後継者不足、公共交通の人手不足、いろんな思いを聞いて、この地域をもっとよくしていきたい、その思いでチャレンジすることにしました」。集まった支持者らには、涙を流す人の姿もあった。
 別の決起集会では、出席者が想定を大きく上回り、約90席の会場が2倍にあふれ返った。急きょ、ロビーにあったソファを運び込んだ。岩盤保守の地でも、思いは伝わる―。3年前よりも手応えを感じていた。

 投開票日の10月27日。投票締め切りの午後8時を回った直後、議席を争った自民党の本田太郎氏に「当選確実」の一報が流れた。福知山にある山本さんの事務所に集まった40人ほどの支援者は誰一人として帰らなかった。比例復活の可能性を信じていた。午後11時半を回っても、その知らせはなかった。とうとう松井さんが帰宅を促した。時が過ぎるにつれて、雨足が強まっていったこの夜。山本さんの2度目の当選はならなかった。

 ▽必要性を痛感した「対話の場」


開票日から一夜明け、交差点に立つ山本和嘉子さん=2024年10月28日、京都府福知山市

 福知山の雨は翌朝も続いた。車通りの多い交差点で、行き交う車や自転車通学の学生らに頭を下げる山本さんがいた。「ありがとうございました。ありがとうございました」。1台、1台に声をかけると、何台かが車の窓を降ろして手を振った。山本さんは歩道から身を乗り出して振り返した。
 事務所では、松井さんらがせっせと後片付けをしていた。ポスターやチラシだけでなくテレビや冷蔵庫まで、次々と軽トラックに運び込まれていく。片付けが終わると「ゆっくり休みな」と山本さんに声をかけ、1人、また1人と事務所を後にしていった。松井さんがつぶやいた。「保守は強かった。悔しいね」。翌日から、山本さんとともにあいさつ回りへと出かけていった。

 山本さんはその後、福知山の事務所を引き払った。選挙に再び出ることは、今は考えていない。それでも、6年間応援してくれた福知山の人々に報いたいと、京都市の実家から車で約2時間かけて通い、習字教室を開き、子ども食堂に参加している。X(旧ツイッター)のアカウント名には「京都北部をこよなく愛す」と記し、選挙後も投稿を続ける。「国民の皆さんが幸せになれるようにと思って、これまで活動してきた」。形を変えても、思いは変わらない。

 佐金さんは初めて、自ら選挙運動に飛び込んだ。「わかちゃん」にほれ込み、描く未来に期待を寄せ、その戦いを全力で支えた。「この政治家が好き」と自信を持って言える存在だった。

 その佐金さんには、ここでも驚きがあった。特に若年層で、立候補している政治家の名前すら知らない人がいたことだ。衆院選の投票率は、福知山市では52・8%で、前回より約4ポイント下がった。山本さんと付き合ってきた自身の経験と照らし合わせて、日常的に政治を考える「ディベート」の場が必要だと痛感した。「政治家と直接対話できる場をつくらなければ」。人が減り続ける地方に住む者として、思いを新たにしている。

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