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空港は閑散、飛行機はどこに?航空便停止のウクライナ 「祖国の空」取り戻す日待ち望むパイロットたち

47NEWS / 2025年1月26日 9時0分

閉鎖が続くウクライナのボリスピリ国際空港=2024年9月、キーウ近郊(共同)

 2022年2月のロシアによる侵攻開始後、ウクライナの空から民間航空機の姿が消えた。連日のようにミサイルや無人機による攻撃を受け、安全確保が難しいのが原因だ。国外との行き来を担うバスや鉄道などの陸路では混雑が慢性化する一方、空路の再開は見通せていない。日本の支援で建設されたターミナルを持つ首都キーウ(キエフ)近郊の空港は閑散とした状況が続き、旅客機の姿はない。だが取材を進めると、困難な境遇にもめげず「祖国の空」を取り戻す日を夢見るパイロットや空港職員に出会った。侵攻から丸3年が近づく中、必死に耐え忍んできた彼らの心中を追った。(共同通信=森脇江介)

 ▽フライトレーダーの巨大な空白


フライトレーダー24に表示されたウクライナ上空の空白=2025年1月(共同)


 取材のきっかけは巨大な空白だった。航空機を追跡する民間ネットワーク「フライトレーダー24」というウェブサイトがある。航空機が管制とのやり取りで発信する信号を捉え、便名や進路、位置情報などを表示する仕組みだ。侵攻開始直後にアクセスすると、各国の航空機がウクライナ上空を避けて行き交う地図が表示されていた。無味乾燥な電子画面に浮かんだ空白の向こうに、パイロットやキャビンアテンダント、航空会社社員や空港職員たちの姿が透けて見えた。

 2024年8~9月、彼らの思いを知りたくなり、ウクライナへ出張した際に航空会社や空港を取材した。キーウにある社屋の窓から外を眺めながら、「空っぽの空を見るのは悲しい」と肩を落としたのは、格安航空会社(LCC)「スカイアップ」の営業担当幹部ダリア・アレクシェンコさん(42)。侵攻直後は乗客の安全確保に追われる日々を送った。空襲で避難した防空壕で顧客に対応した従業員までいたという。

 ▽戦争の空、活路はどこに


ウクライナの首都キーウで取材に応じるスカイアップの営業担当幹部ダリア・アレクシェンコさん=2024年9月(共同)

 侵攻開始時、スカイアップが保有する10機のうち9機は偶然にも国外にあった。まず取り組んだのは周辺国間での人道支援物資や避難民の輸送だ。しかし旅客運送による収入は途絶え、従業員約1200人を抱える会社の存続が危ぶまれる事態に陥った。
 「経営はもちろん、社員のスキルを維持する方策を取らなければならない」。活路を見いだしたのは海外での運航だった。自社の便名での定期便運航こそできないものの、国外の航空会社へのリースやチャーター便の運航で収益を得る方針に転換したのだ。欧州での運航が大半だが、LCCがひしめく域内の競争は激しく、機体の中には遠くバングラデシュにまで貸し出されたものもあるという。

 航空会社の社員は機体に記された会社名やロゴマークに強い誇りを持つ。「(国内で)自社便を飛ばせないことにじくじたる思いもあるのでは?」。アレクシェンコさんに尋ねると、少し落ち込んだ表情で答えてくれた。「生き残るためには与えられた状況に適応しないといけない」

 ▽祖国懐かしむパイロット


ウクライナの首都キーウで取材に応じるスカイアップのパイロット、タラス・ストロジェンコさん=2024年9月(共同)

 開口一番「故郷の空が懐かしい」と目を細めたのは、スカイアップで2019年から働くパイロットのタラス・ストロジェンコさん(53)だった。幼少期から空を飛ぶのが夢で、長年にわたり旅客便や貨物便の運航を担ってきたベテランだ。休暇で帰国中だったにもかかわらず、快く取材に応じてくれた。

 同業他社から引く手あまたのパイロットとして国外の航空会社に移る道もあったが、「ウクライナの航空産業を発展させる」という思いで地元企業に残ったという。年に1度の更新が必要な操縦資格を維持するため、欧州便を中心に操縦かんを握る。

 新型コロナウイルス対応を巡り中国・武漢からの避難便を操縦するなど世界各地で人道支援輸送にも携わってきたというストロジェンコさん。「どこを飛んでいても仕事であることに変わりはない」とプロ意識を見せる半面、家族も残るウクライナの空に必ず戻るとの決意は固い。会社には整備士や運航担当者ら若くて優秀な人がたくさんいるといい、「いつか必ず戻ることができる。そう確信している」と力を込めた。

 ▽残された1機、極秘のキーウ脱出行


ポーランドの首都ワルシャワの空港に駐機するスカイアップの機体=2024年9月(共同)

 侵攻開始後もなんとか存続してきたスカイアップにとって、懸念の一つはキーウ近郊のボリスピリ国際空港に1機取り残された自社の機体だった。駐機場に止まったままでは経営の重荷になるばかりだ。同社は2023年4月、思い切った動きに出る。乗務する志願者を募り、ウクライナ軍と協議を重ねて機体をひそかに隣国ルーマニアへと脱出させたのだ。「安全を確保した方法の詳細は明かせない。話せるとしたらこの戦争が終わった時だろう」とアレクシェンコさん。ロシアの無人機やミサイルによる激しい攻撃の間隙を縫った、決死の避難だった。

 ウクライナ航空当局によると、侵攻開始後、各航空会社が保有していた機体計約100機が国外で稼働しているという。取材に同席したスカイアップの従業員誰もが口をそろえた。「平和になったウクライナの空で、最初に自社便を飛ばしたい」

 ▽閉鎖の空港を毎日清掃する理由


取材に応じるウクライナのボリスピリ空港公団社長オレクシー・ドゥブレウスキーさん=9月、キーウ近郊(共同)

 ボリスピリ国際空港は、キーウ中心部から南東約30キロに位置するウクライナの空の玄関口だ。侵攻後も軍用には使われていないというが、複数の検問所を設置する厳重な警備が敷かれ、海外旅行で訪れた乗客や国外出張へ向かうビジネスパーソンの姿はない。
 空港内の会議室で取材に応じたオレクシー・ドゥブレウスキー空港公団社長(43)は侵攻開始後に直面した閉鎖当初、人けのないロビーを見るたびに「つらい気持ちになった」と吐露した。国内外で複数の空港の運営に携わり、2021年に若くして国内最大の空港でトップの座に就いた。2012年には日本の支援で新ターミナルも完成しており、利用拡大に向けて意気込んでいた直後の閉鎖だった。


閉鎖が続くウクライナのボリスピリ国際空港のコンコースを清掃する職員=2024年9月、キーウ近郊(共同)

 だが落ち込んではいられなかった。「利用者がいないからといってメンテナンスをしなくていいというわけではない」。金属製の建材が収縮しないように冬季はターミナルの内部を16度以上に保たなければならず、無人でも空調を稼働させる。荷物を運ぶターンテーブルも定期的に動かし、調子を確認。「単発の便なら遅くとも48時間以内に受け入れを可能にできる」と胸を張った。
 会議室の窓に目をやると、観葉植物に水をやる職員の姿が目に入る。「いつお客さんが来てもいいように」とドゥブレウスキー社長。制限エリア内のコンコースでは、立ち並ぶ免税店がシャッター街と化していた。その傍らでは、にぎわいを心待ちにしているであろう数人の担当者が黙々と掃除をしていた。

 ▽戦時下で再開検討、思わぬ先例


ポーランドの首都ワルシャワでウクライナの首都キーウ行きの寝台列車に乗り込む乗客ら=2024年8月(共同)

 航空便が停止しているウクライナとの往来には列車やバスなどの陸路利用が必須だ。玄関口となっている隣国ポーランドの首都ワルシャワとキーウは約1時間半の空路で結ばれていたが、今は鉄道で10時間以上かかる。本数が限られ予約が取りにくい鉄道に対し、バスは比較的便数が多く予約しやすい。だが欧州連合(EU)との出入境地点となる国境検問所の混雑が恒常化しており、到着時間のめどが立たない状況だ。

 交通インフラの改善を迫られているウクライナ国家航空局は戦時下での運航再開を模索するが、オンラインインタビューに応じたオレクサンドル・ビルチュク長官(46)は「再開時期は見通せない」と吐露する。だが希望は捨てていない。助言を求めたのは、同じ戦時下で航空便を運用するイスラエル当局だった。
 レバノンの民兵組織ヒズボラなどとの戦闘を続けていたイスラエルから、発着する航空機同士の間隔を調整して回避行動に備えたり、利用者数を制限してターミナルからの避難を容易にしたりする手法を学んだという。空港周辺の防空システム強化などによって再開は「十分可能」だといい、乗客の安全を確保し「ウクライナ軍の活動を妨げないことが絶対条件だ」と強調した。

 ▽社長からもらった搭乗券、行き先は?


ボリスピリ国際空港の『搭乗券』(共同)

 ウクライナでは新型コロナウイルス禍前の2019年、約2400万人が航空便を利用した。ビルチュク氏は既に複数の航空会社から就航の打診を受けていると説明。「航空業界の灯は小さくてもともり続けている。いつかきっと大きな灯にすることができる」と力を込めた。

 一連の取材の締めくくりとなった空港でのインタビューを終えると、ドゥブレウスキー社長がおもむろに1枚の長方形の紙を渡してくれた。搭乗券と題された紙の表面には取材日の日付と私の名前が印字されている。そして目的地には、「PEACEFUL UKRAINE―平和なウクライナ」と記されていた。

× × ×
森脇江介 1986年生まれ、鹿児島県出身。10年にわたる大学生活を経て2015年に共同通信入社。秋田支局、千葉支局、社会部、神戸支局を経て2024年3月からナイロビ支局長。アフリカで飲んだ最高のビールは、ルワンダの「ムツィグ」。

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