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少数派の運動が社会を変えた―指紋押なつ拒否はなぜ勝利したのか、シンポを機に考える

47NEWS / 2025年1月31日 9時0分

「指紋押捺拒否・反外登法の闘いとはなんだったのか」と題したシンポジウム=2024年11月30日、京都市の同志社大

 「市民運動」と聞くと、自分には関係ないと思う人や、巻き込まれないようにと身構える人もいるかもしれない。けれど、市井の人たちの運動が、社会を大きく変えたこともある。1980年代の「指紋押なつ拒否運動」は、少数派の在日外国人が日本政府を動かし、法制度を改正させた希有な例だ。運動はなぜ勝利したのか。昨年開かれたシンポジウムをきっかけに、再考してみる。(共同通信編集委員・原真)

▽たった1人の反乱


記者会見する韓宗碩さん。指紋押なつ拒否で外登法違反に問われた刑事裁判の上告審で、昭和天皇死去に伴う大赦により免訴判決を言い渡された=1989年7月、最高裁

 指紋押なつ拒否運動は1980年、「たった1人の反乱」から始まった。在日韓国人の韓宗碩(ハン・ジョンソク)さんが東京都新宿区役所で、外国人登録法(外登法)で義務付けられた指紋の押なつを拒否したのである。


 韓さんは戦前、日本の植民地だった朝鮮半島から大阪へ渡った在日1世だ。1952年のサンフランシスコ講和条約発効に伴い、日本国籍を失った。「僕は日本人として生まれ、日本のために働いてきた。なぜ指紋を強要されるのか」。生前、そう訴えていた。

 それから40年余り。京都市の同志社大学・都市共生研究センターと同志社コリア研究センターは2024年11月、指紋押なつ拒否運動を振り返るシンポを開催した。運動を先導した在日外国人や、取り締まる側だった元入管幹部らが参加し、刺激的な議論が続いた。

▽治安管理が起源


 外登法によって、日本に住む外国人は市区町村窓口での指紋押なつだけでなく、外国人登録証明書の常時携帯なども強いられていた。違反すれば1年以下の懲役といった罰則がある。

 韓国籍で在日2世の朴容福(パク・ヨンボク)さんはシンポで、「警察や入管に監視され、おびえながら生きてきた。法を変えてくれと言っても変わらないから、違反するしかなかった」と、押なつ拒否に至った心情を吐露した。

 終戦直後、国内に在留していた外国人のほとんどは、朝鮮をはじめ日本の植民地の出身者だった。外登法の前身として1947年に制定された外国人登録令は、日本政府が主に朝鮮人の治安管理のために立案し、共産主義の広がりを懸念する米国主体の連合国軍総司令部(GHQ)も容認していた。

 指紋押なつを拒否して逮捕された米国人のロバート・リケットさんは「外登法は日本の植民地支配の延長にある。指紋を押せば、民族差別を容認し、米国の責任を無視することになった」と指摘した。
 同様に逮捕された在日中国人2世の徐翠珍(じょ・すいちん)さんは、日本が中国につくったかいらい国家の満州国で、指紋制度が発足した経緯を強調した。


ロバート・リケットさん(左)と徐翠珍さん=2024年11月30日、京都市の同志社大

▽外登法の指紋全廃


水上洋一郎さん=2024年11月30日、京都市の同志社大

 元法務省東京入国管理局長の水上洋一郎さんによると、1983年の日韓首脳会談で在日韓国人の待遇改善を求められ、政府内で検討した。法務省は本人確認に指紋を使っていなかったが、警察庁が指紋押なつ制度継続を強硬に主張。5年ごとの押なつを初登録時の1回だけとする法改正に落ち着く。
 しかし、在日韓国・朝鮮人を中心に、外国人からは「指紋強制は犯罪者扱いで、人権侵害だ」と反発が根強かった。押なつ拒否者は全国に広がり、最盛期には1万人を超える。主に日本人による、拒否者の支援団体も各地で結成された。


水野精之さん=2024年11月30日、京都市の同志社大

 運動に賛同する自治体職員も多かった。元東京都板橋区職員の水野精之さんによれば、東京都目黒区では、押なつ拒否者が逮捕されると、区の部長が警察署へ行って「うちは告発していない。住民を帰してくれ」とかけ合ったという。

 当事者である外国人が、刑罰を辞さない捨て身の行動に出た。人権意識が高まる中、多数派の日本人もそれを支持した。韓国からの外圧も加わる。政府は抗し切れず、2000年、外登法の指紋は全廃された。市民運動が抜本的な法改正につながったのは、極めて異例だ。

▽入管法で〝復活〟


日本入国時に端末機で指紋を採取される外国人=2007年11月、関西空港

 だが、入管難民法の改正で2007年、旧植民地出身の特別永住者らを除き、外国人は来日時に指紋を採取されるようになった。2012年には外登法が廃止される一方、入管難民法が再び改正され、入管が発行する在留カードによる新たな管理体制がスタートした。
 入管出身の水上さんも「外国人と共生していかなければいけないのに、管理に偏っている」と批判する。

 徐さんは、名古屋入管で収容中のスリランカ人女性が死亡した事件を念頭に「私たちは指紋全廃で勝ったと思ったけれど、いま入管に収容されている人は人間扱いされていない。ヘイトスピーチがはびこる社会をつくっているのも、私たちではないか」と問題提起した。


シンポジウムの様子=2024年11月30日、京都市の同志社大

 シンポを企画した同志社大大学院生の金由地(キム・ユジ)さんは、指紋押なつ拒否運動を「異なる視点や意識の人が指紋拒否の一点で結集した『中心のない抵抗』だった」と総括した。
 シンポは、個人から始まる市民運動の原点を思い起こさせるとともに、外国人への差別的な管理が続く現状を浮き彫りにしたといえるだろう。

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