「お姉ちゃん、本当によく頑張ったな』と言ってもらえるように―。阪神大震災で亡くなった弟への思い胸に、被災地で歌のボランティア続ける森祐理さん
47NEWS / 2025年1月21日 10時0分
NHK教育テレビ(現Eテレ)の音楽番組「ゆかいなコンサート」に歌のお姉さんとして出演していた歌手の森祐理(もり・ゆり)さんは、阪神大震災で弟の渉(わたる)さん=当時(22)=を亡くした。弟の死を機に、被災地に歌を届けるボランティア活動に取り組むようになった祐理さん。「必ず天国でまた会えると信じている。『お姉ちゃん、本当によく頑張ったな』と言ってもらえるように」。その思いを胸に歌い続けている。(共同通信=松木浩明)
▽地震と豪雨・・・仮設住宅の集会所で握るマイク
仮設住宅を訪れ、住民と触れ合いながら歌う森祐理さん(中央)=2024年9月27日、石川県珠洲市
「歌は心の“お薬”です。もし良かったら一緒に歌って元気になってください」。2024年、能登半島地震と記録的な豪雨に見舞われた石川県珠洲市。小学校のグラウンドに建てられた仮設住宅の集会所で、祐理さんがマイクを手に語りかけた。
この日歌ったのは、戦後の日本を明るく照らした「リンゴの唄」や坂本九の大ヒット曲「上を向いて歩こう」、そして唱歌「故郷(ふるさと)」―。祐理さんは被災した女性の肩をそっとたたいたり、ハグしたり。9月に発生した豪雨から1週間もたっておらず、その優しさが不安を抱える被災者の心をほぐしたのだろう。多くの人たちの目から大粒の涙があふれた。
「こんなに大きな、大きな豪雨が襲うとは夢にも思いませんでした」と祐理さん。延期も頭をよぎったが、「(関係者から)皆さんに元気の歌を届けてくださいと言われ、この機会をいただいた。一人では何もできないけれど、みんなで手と手をつなげば何かができると思います」。
▽記者になり「お姉ちゃんを有名にしてあげる」
阪神大震災で亡くなった森渉さん(撮影年月日不明)
祐理さんは3人きょうだいの長女で、末っ子が渉さん。「面白くて、とにかく魅力的」な自慢の弟だった。大阪府内の高校を卒業後、神戸大に進学。軽音学部に所属し、サックスを演奏していた。ジャーナリストになるのが夢で、卒業後は読売新聞社への就職も内定。すでに歌の活動を始めていた祐理さんに「お姉ちゃんの記事も書いて、有名にしてあげる」と話していたという。
阪神大震災で出火、延焼が続く神戸市街=1995年1月
阪神大震災の発生前日、渉さんは実家から神戸市内のアパートに。翌朝、激しい揺れに建物は全壊した。
▽「あんたの歌を聴いて、おなかがすいてきた」
阪神大震災で崩壊した阪神高速道路。中央は辛うじて転落を免れたバス=1995年1月17日、兵庫県西宮市
被災地に歌を届ける活動はそれからしばらくして始めた。2月か、3月。まだ春の訪れを感じられない、ある寒い日だった。まだ街にがれきが残り、目の前には炊き出しの温かいうどんを求め、列に並ぶ人たち。中には暖を取ろうと布団をかぶっている人もいた。「待っている間、歌を聴いて気を紛らわせていただけたら」。そんな気持ちだった。
勇気を振り絞り、1曲歌い終えると、こんな言葉が耳に飛び込んできた。「お姉ちゃん、もう1曲歌って」。思わず「いいんですか?」と聞き返した。「当たり前や。俺たち、ここで黙っているだけしかできん。だから歌って」
あちこちから声がかかり、その後も繰り返し神戸市を訪れて歌った。そして、ある高齢女性からかけられた言葉が、今につながる大事なことを気づかせてくれたという。
「『おおきに。あんたの歌を聴いて、おなかがすいてきたわ』と言われ、それで分かったんです。(避難所などに)お弁当やおにぎりがあっても、それを食べるには『生きよう』というエネルギーが必要なんだって。(被災者の)皆さんのおなかがペコペコになるように頑張って歌いたい」
▽海外の被災地にも届けた希望
大地震に見舞われたトルコを訪問し、コンサートを開いた森祐理さん(中央奥)=2024年4月
祐理さんはこれまでの活動を振り返り、感謝するのはむしろ自分の方だと言う。「被災地で歌うことによって、私が立ち上がらせてもらえた。被災者の皆さんに生かされてきた、そんな気がします。だから、その恩返しではないですが、神戸だけではなく、いろんな所で歌い続けられているんだと思います」
阪神大震災から始まり、東日本大震災や熊本地震、西日本豪雨…。近年、日本では毎年のように自然災害が発生している。その被災地を訪れ、美しい歌声で多くの人々を元気づけてきた。
活動の場は海外にも広がり、2023年に発生したトルコ・シリア大地震の現場にも足を運んだ。同地震ではトルコで5万3千人以上が死亡したほか、シリア側の死者も6千人を上回るとされる。
家族12人を亡くした女性は祐理さんの歌を聴き、こう話したという。「地震であなたが弟さんを失っても、(運命を)恨んだり、憎んだりしないで希望を届けている。私もそういう生き方をしたい」
2人は涙を流しながら抱き合い、握手した。祐理さんは「彼女がそう言ってくれて『弟の命がつながった。命は無駄になっていない』と思えた。苦しみ、悲しんでいる人が少しでも前を向くきっかけになれたら、私の人生は良かったなと思います」。
▽30年に思うこと
阪神大震災が発生したのは、1995(平成7)年。元号は令和へと変わり、神戸では阪神大震災を経験していない世代も増えている。あれから30年。祐理さんへのインタビューの終盤、「この長い年月は、ご自身にとってどのようなものでしたか」と尋ねた。
「深い、深い意味のある時間でした」と、祐理さんは言葉を選びながら話した。そして「私の人生の中で一番いい時間じゃないですか」とも。「この30年の出会いが私を形作ってくれた。命と向き合えた30年でした。渉のことがなかったら、ここまで深い人生を歩めなかったかもしれない。そういう意味で、貴い30年でした」。被災者の希望になるのなら、どんな歌でも歌いたい―。それが祐理さんの今の思いだ。
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