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91年前にできた急カーブ 伊豆箱根鉄道駿豆線

47NEWS / 2025年1月24日 11時0分

富士山を背景に走るアニメ「ラブライブ!サンシャイン!!」のラッピングトレイン=2024年4月、三島―三島広小路間

 【汐留鉄道倶楽部】首都圏と伊豆半島を結ぶ列車といえば、特急踊り子。1981年に誕生した当時は「変な名前の特急だなあ」などと思ったものだが、今となっては伊豆観光の看板列車にすっかり定着した。

 東京や新宿を出発した列車は、ほとんどがJR伊東線を経て伊豆急行に乗り入れるのだが、熱海で一部の車両が切り離され、三島経由で伊豆箱根鉄道駿豆(すんず)線・修善寺に向かうものもある。今日の主役はその踊り子号が走る駿豆線だ。

 三島は東海道新幹線の停車駅でもあり、新幹線と東海道線はほぼ東西に走っている。駿豆線のホームは東海道線ホームの南側に位置していて、踊り子は両者の間の渡り線を通って乗り入れる。踊り子以外の列車はすべて3両編成の普通電車。アニメ作品のキャラクターを描いたラッピング編成もあって、なかなかにぎやかな眺めだ。

 三島を出発して西に向かった駿豆線の電車は、東海道線と離れるや左に急カーブを切り、向きを南西、南、南東と変えながら、ほぼ半円を描くように走って約3分、最初の駅、三島広小路に到着する。


アニメ「幻日のヨハネ」のラッピングトレイン=2024年4月、三島田町駅

 三島広小路から先の線形は、最後の大仁(おおひと)、牧之郷、修善寺の3駅の区間こそ山間の狩野川に沿ってくねくねと曲がるが、これを除くとほぼ直線。三島―三島広小路の曲線区間がやけに不自然に見える。それもそのはず、91年前に、後から造り替えられた線形だからだ。

 駿豆線の歴史は1898年にさかのぼる。豆相(ずそう)鉄道という会社が今の三島田町と伊豆長岡を開通させ、その年のうちに三島まで延びて官営鉄道(後の国鉄)と接続した。問題はこの三島駅の位置。現在の駅から約1・5キロ離れた、今はJR御殿場線下土狩(しもとがり)の駅がある場所だった。


「下土狩駅の変遷」の掲示板と御殿場線沼津行き普通列車=下土狩駅

 当時は長いトンネルを掘る技術がなかったため、東海道線のうち国府津―沼津間は、急勾配区間を抱える現在の御殿場線のルートを取っていた。三島に駅を設けることになったものの、三嶋大社を中心とした町中からは随分離れた場所に置かざるを得なかった。

 ところが1934年に全長約7・8キロの丹那トンネルが完成すると、丹那経由の新線が本線になり、山回りのルートは支線に格下げになった。と同時に三島の新駅が新しい本線上に誕生、これにあわせて駿豆線(当時は駿豆鉄道)の始発駅もこちらに移ってきた。新線とつなぐために線形が無理のある急カーブになってしまったというわけだ。


豆相鉄道の廃線区間

 昨春、三島広小路から廃線跡をたどってみた。ブログで鉄道の痕跡を報告している方もいるのだが、市街化が進んでいてほとんど何も見つけられなかった。下土狩までたどり着くと、駅の変遷をつづった掲示板をようやく発見、三島地区の駅や線路の歴史がよく分かった。下土狩からは御殿場線に乗り、沼津までたった2駅、ローカル線となった往時の本線の旅を楽しんだ。

  ☆共同通信・八代到

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