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「こんなことでビジネスをして正しいか」起業した大学生の葛藤 返す言葉のなかった強烈な批判と、背中を押した出会い

47NEWS / 2025年2月5日 9時30分

大学生による企業「MICHISHIRUBE」の社員ら=2024年8月(MICHISHIRUBE提供)

 「ピックルボール」の体験会は盛況だった。2024年11月下旬の長崎市。バドミントンと同じ大きさのコートで穴あきボールを打ち合う米国発祥の競技で、親子ら約180人が汗を流す。
 主催したのは、雑貨販売や町おこしを手がける企業「MICHISHIRUBE(みちしるべ)」(長崎市)。大学生らが2023年10月に立ち上げたばかりで、代表の大学3年大沢新之介さん(21)=長崎市=は「(収益を生む)小さなサイクルはできたかな」と感慨深げだ。
 しかし、大きな葛藤も抱えてきた。「こんなことでビジネスをして正しいのだろうか」と。(共同通信=西村曜)


長崎市で開いた「ピックルボール」の体験会=2024年11月(MICHISHIRUBE提供)


 ▽平和×ビジネス

 「みちしるべ」は平和活動の資金を工面するために立ち上げた会社で、核兵器廃絶の重要性や被爆者の証言を伝えるといった活動をしている。


「MICHISHIRUBE」代表の大沢新之介さん=2024年11月、長崎市

 大沢さんは会社立ち上げ前の高校時代から平和活動に関わってきた。ただ、活動がカンパやボランティアで成り立っている実態に違和感を持っていた。中には主催者が身銭を切っている団体もあった。
 「被爆者が全員亡くなっていなくなる時代が来る前に、平和活動自体がなくなってしまうと思った」
 そんな危機感を持っていた大沢さんが解決策として考えたのが、活動資金をビジネスの収益で賄うことだ。
 大沢さんは大学で経営を学んでおり、「みちしるべ」の事業計画で地元銀行の学生向けビジネスコンテストの準グランプリを獲得。銀行のアドバイスを受けながら、賞金の10万円を元手に現在の主力事業である雑貨販売を始めた。
 社員は長崎や広島など6都県の大学生15人(2025年1月時点)。ピックルボールの他、商店街の活性化も手がける。平和活動と一見して関係がない事業も展開するのは、普段平和活動に縁がない人にもアプローチして、自分たちのコンセプトに興味を持ってもらいやすくする狙いからで、社名は「被爆者が亡くなった後の時代の道しるべになりたい」という決意表明だ。
 しかし、立ち上げから1カ月ほどたった頃、知人からの電話で、自分たちの活動への厳しい見方を知る。


販売している長崎の風景をモチーフにしたTシャツ=2024年11月、長崎県諫早市

 ▽さらされた批判

 「被爆者の命でメシを食おうとするな」
 知人からの電話で強烈な批判を浴びた。大沢さんは返す言葉を見つけられず、スマートフォンを手に持ったまま固まってしまった。
 それは当初から懸念していたことでもあった。立ち上げから関わる社員の大学2年羽山嵩裕さん(20)=東京都品川区=は「平和をコンセプトにお金を生みたかった。だけど、ビジネスと平和活動を一緒にして良いのかと葛藤があった」と話す。
 社員間でも意見は割れた。
 「たくさん稼げば、その分もっと活動ができる」
 「稼ぐことを優先すれば、平和への思いがおろそかになるのでは」
 大沢さんは悩んだ。
 半年がたった頃、大沢さんや羽山さんらが相談したのは平和運動の先輩のところだった。

 ▽軸足忘れるな

 「稼ぐのが目的になれば誤解を招く。あくまで平和活動という軸足を忘れないように、とアドバイスした」
 そう語るのは、1998年から高校生平和大使の活動に携わる長崎市の平野伸人さん(78)だ。平和大使は、高校生が毎年集めた核廃絶を求める署名をスイスの国連欧州本部に届けたり、各国の外交官らに直接訴えたりするなどの活動をしている。


高校生平和大使を1998年に始めた平野伸人さん=2024年11月、長崎市

 平野さんも活動開始当初は批判されたという。
 「『高校生が行って何ができる』とか『そんな暇があったら勉強しろ』とか、いろいろ言われた」
 しかし、続けるうちに批判はやんだといい、平野さんは「続ければ評価は付いてくる。途中で投げ出さず、信じた道を進んでほしい」と、「みちしるべ」の活動を見守っている。
 羽山さんは「平野さんと会って、平和の思いを実現する手段としてビジネスを行う、という考えにまとまった」と話す。
 また、この間に背中を押してくれる新たな事実も知った。

 ▽マリヤ人形

 「被爆者が手作りした『マリヤ人形』を、1980年代まで売っていました」


1980年代まで、長崎の被爆者たちが手作りして販売していた「マリヤ人形」=2024年11月、長崎市

 2024年末にノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(被団協)に参加する長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)の事務局長柿田富美枝さん(71)は、長崎の被爆者もかつて平和活動のためにビジネスをしていたと語る。
 柿田さんによると、長崎被災協はかつて平和公園横に「被爆者の店」という名前の店を構えて販売していた。主力商品が、被爆者が手作りしていたキリスト教の聖母マリアをかたどった高さ数十センチの「マリヤ人形」。差別や偏見を受ける被爆者の就労の場にするための取り組みだったという。


長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)の柿田富美枝さん=2024年11月、長崎市

 そうした歴史からか、柿田さんは「『みちしるべ』の活動は良いことだと思う。自由な発想でやってほしい」とエールを送る。
 大沢さんは被爆者たちのかつての活動を知り、「自分たちの活動と変わらない」と自信になったという。「戦争で稼ぐ『戦争ビジネス』という言葉があるのだから、反対の『平和ビジネス』という言葉がありふれるようにしたい」と意気込んだ。


地域のイベントで雑貨を販売する「MICHISHIRUBE」の社員たち=2024年11月、長崎県諫早市

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