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美智子さまの新しい歌集が出版されたわけ 昭和、平成の未発表歌を集めた「ゆふすげ」

47NEWS / 2025年2月8日 9時30分

ユウスゲの花が咲く御所の庭を散策される上皇さまと、上皇后美智子さま=2013年7月、皇居・御所(宮内庁提供)

 〈被災地に手向(たむ)くと摘みしかの日より水仙の香は悲しみを呼ぶ〉
 〈帰り得ぬ故郷(ふるさと)を持つ人らありて何もて復興と云ふやを知らず〉

 上皇后美智子さまが昭和、平成に詠まれた未発表の和歌466首を集めた歌集『ゆふすげ』(岩波書店)が出版された。初めての単独歌集『瀬音』の出版(1997年)から28年。新たな歌集はどうして生まれたのか。原動力となったのは細胞生物学者でもある歌人の永田和宏さん(77)。美智子さまの歌を「一人の現代歌人の歌として、多くの人に読んでほしい」という強い思いから実現した。(共同通信=新堀浩朗)

 ▽眠っていた歌を世の中に


研究室がある京都産業大学の池で永田和宏さん=2018年

 永田さんは以前から美智子さまの歌に注目していた。「今後100年読まれ続けてほしい秀歌100首」を集めて編んだ著書『現代秀歌』は、美智子さまの若い日の1首を収載する。

 〈てのひらに君のせましし桑の実のその一粒に重みのありて〉
 
 上皇さまと結婚し、常盤松(現在の渋谷区東)の東宮仮御所で新たな生活を始めた1959(昭和34)年の作だ。 


アルバムをめくりながら仲むつまじく新年の設計を語られる上皇ご夫妻=1959年1月、東宮仮御所

 また、永田さんと岡井隆、馬場あき子、穂村弘という現代の代表的な歌人4人が編んだ『新・百人一首』には次が採られている。

 〈帰り来るを立ちて待てるに季(とき)のなく岸とふ文字を歳時記に見ず〉

 東日本大震災の翌年、2012年の歌会始(うたかいはじめ)の題「岸」に寄せた歌。海を望む岸に立ち、帰らぬ人を待つ願いは、季節の移ろいにかかわりがなく、歳時記に記されない。

 「待つ人」には、津波で行方不明となった人の家族とともに、戦後の外地からの引き揚げ者、シベリアの抑留者など、さまざまな人が重ねられているという。

 美智子さまの歌は、上皇さまとの2人の歌集『ともしび』(皇太子夫妻時代)の後、1997年に『瀬音』が出版されて広く知られ、高い評価を受けた。だが、その後に美智子さまの歌を知る機会は、歌会始や年末に発表される歌などに限られた。

 2003年から歌会始の選者を務める永田さんは、芸術選奨文部科学大臣賞、迢空(ちょうくう)賞などを受賞した歌人。妻の河野裕子さんが2010年に亡くなるまで夫妻で選者を務めた。一方で、国際的な賞を受けたタンパク質の研究者でもある。

 永田さんは、2022年に皇室の和歌の相談相手「御用掛(ごようがかり)」に就任すると、宮内庁に「新しい歌はありませんか」「今も作っておられるのですか」と尋ねた。何度も尋ねるうち、「以前にお詠みになった未発表の御歌(みうた)であれば、かなり残っていることが分かりました」と連絡を受けると、ただちに「それはぜひ一冊の歌集としてまとめるべきです」と答えた。

 美智子さまにも強く勧めて出版が実現。「卒寿(90歳)を節目として、これまで私たちの目に触れることなく眠っていた御歌が歌集としてまとめられたことは、一読者として喜ばずにはいられません」


皇居・宮殿「松の間」で開かれた歌会始の儀=2004年1月

 ▽豊かな感性、流れる音の連なり

 永田さんは美智子さまの歌を「対象とねんごろに(丁寧に)向かい合っている」と評する。「家族に向かった時、自然の花を見た時、自分にわき起こってくる思いをうまくすくいとっています」

 向かう対象は世の中の出来事にも及ぶ。
 冒頭の2首のように大きな災害のほか、広がる戦雲に心を痛め戸惑う歌もある。

 〈軍事用語日増しに耳になじみ来るこの日常をいかに生くべき〉
 
 アフガニスタンやイラクの紛争が続く2003年に詠んだこの歌は、現在に通じる。
 思いは拉致被害者へも向かう。

 〈少年のソプラノに歌ふ「流浪の民」この歌を愛でし少女ありしを〉

 2008年の作。「少女横田めぐみ」と添え書きがある。
 横田めぐみさんは拉致の8カ月前の1977年春、小学校卒業の謝恩会で、流浪の民のソロパートを歌ったという。美智子さまは2008年の5月、ウィーン少年合唱団の公演を聞いた。合唱の歌声に、めぐみさんを重ね合わせたのだ。


「ウィーン少年合唱団」のコンサートに訪れた上皇后さま=2008年5月、東京・赤坂

 永田さんが指摘する美智子さまの歌のもう一つの魅力は、言葉の流れ、音の連なりだ。
 「ゆったりと言葉が流れていく、そういう言葉選びがされている。歌というのは意味だけではなく、リズムや音韻がすごく大事。耳で聞いて心地よい、それが美智子さまの歌にはある」

 〈ひとところ狭霧(さぎり)流るる静けさに夕すげは梅雨(つゆ)の季(とき)を咲きつぐ〉

 「ゆったりとなめらかで、どこにも窮屈な感じがしない。風景が目に見えるように、生き生きと再現される」

 夕すげは、美智子さまが皇太子妃時代にご一家で毎年の夏を過ごした長野・軽井沢にゆかりの花。父の正田英三郎さん、母富美子さんの思い出にもつながる。歌集の題名「ゆふすげ」は、永田さんがいくつか提案した中から美智子さまが選んだという。


石尊山を散策されるご一家。左から上皇さま、上皇后美智子さま、黒田清子さん、天皇陛下、秋篠宮さま=1979年8月、長野県軽井沢町

 ▽平成の天皇、皇后の足跡をとどめる

 永田さんの著書に『象徴のうた』がある。上皇さまの退位の前年から、歌で平成の天皇、皇后の足跡をたどる連載を執筆、全国の地方紙に掲載された。その後に本としてまとめられ、昨年11月には、改めて角川新書として刊行された。

 上皇さまは美智子さまとともに「憲法に具体的な定めのない『象徴』はどうあるべきか」を求めてきた。永田さんが歌に見いだした象徴の姿は、「寄り添う」と「忘れない」だった。


阪神大震災の被災者を見舞い、バスの中から見送りの人たちを励ます上皇ご夫妻=1995年1月、兵庫県北淡町(現在の淡路市)

 冒頭に掲げた1首にも表れている。

 〈被災地に手向(たむ)くと摘みしかの日より水仙の香は悲しみを呼ぶ〉

 30年前に起きた阪神大震災。発生の2週間後、上皇さまと現地を訪れた美智子さまは、皇居で摘んだ水仙の花を、神戸市のがれきの上に供えた。この歌はその2年後、1997年に詠まれた。

 上皇さまの平成最後の歌会始での歌は次だ。

 〈贈られしひまはりの種は生え揃(そろ)ひ葉を広げゆく初夏の光に〉

 阪神大震災後10年に際し、被災地で芽を吹いたヒマワリの種を贈られ、皇居の庭に毎年自分で植えては収穫してきた。

 永田さんは、歌を読むことで、ご夫妻の思いを感じとることができると考えている。

 先の大戦について、天皇、皇后はどんな思いでいるのか。率直に語るのは難しい。美智子さまは、慰霊のため大戦の激戦地、アメリカ自治領サイパンを2005年に訪れ、次の歌に思いを託した。

 〈いまはとて島果ての崖踏みけりしをみなの足裏(あうら)思へばかなし〉

 同じことは、冒頭に掲げた『ゆふすげ』収載の歌にもあてはまる。

 〈帰り得ぬ故郷(ふるさと)を持つ人らありて何もて復興と云うやを知らず〉

 東日本大震災の発生から3年後の歌。政府やメディアは「復興が着実に進んでいる」と伝える。でも、「復興」とは何だろうと改めて考える。
 「この1首は『復興』という言葉の安易な使われ方に警鐘を鳴らすものともなっています。天皇、皇后には制約があって、いろんなことを思っても、なかなかそれを口にできない。でも歌には、そういう心境が現れてくる」と永田さん。


被災地に向かって黙礼される上皇ご夫妻=2011年5月、福島県相馬市

 ▽プライベートな領域も率直に


上皇后美智子さま

 

 「美智子さまは、日常の言葉では表現できないような感情の機微を、歌の言葉として定着させるのにたけた歌人」とも評する。『ゆふすげ』では、よりプライベートな領域で、思いが率直に表現されている。「読者が『あの美智子さまでも私たちと同じなんだ』と身近に感じてもらうのは、とても大事なこと」


歌集「ゆふすげ」

 

 永田さんは今回、歌集の著者として「美智子」の名を記すことを強く勧めた。以前の歌集では、個人名は記されていなかった。「皇后さまの歌だから良いのではなくて、普通の一人の人間、一人の歌人が作った歌として優れていると私は思っています」

 ▽歌の方から落ちてきてくれることも


ブラジル公式訪問で歓迎行事に臨まれる上皇ご夫妻と大統領夫妻=1997年6月、ブラジリアの大統領府(代表撮影・共同)

 筆者は1997年4月に皇室・宮内庁の担当になった。初めて皇族と「会話」したのは5月、上皇ご夫妻が天皇、皇后としてブラジル、アルゼンチンを訪問するのに先立つ記者会見で、美智子さまに質問した時だった。

 美智子さまは1967年に皇太子時代の上皇さまとブラジルを訪問し、翌年の歌会始で、お題「川」に寄せてブラジルの光景を詠んでいる。
 〈赤色土(テラ・ロッシャ)つづける果ての愛(かな)しもよアマゾンは流れ同胞(はらから)の棲(す)む〉

 筆者は会見で、歌作りについて、この年のブラジル訪問でも歌を詠む心持ちがあるかを尋ねた。

 美智子さまは「歌はなかなかできないのでございますよ」としたうえで、宮中で毎月行われている月次(つきなみ)歌会に触れ、「御題を頂きますと一生懸命その御題に寄せて物を見たり考えたりいたします。大体歌は、そのようにして作ったり、また時によるとある場面で思いがけず歌の方から落ちてきてくれるということもございますけれども、そういうことは、何年に一度くらいしかございません」と話してくれた。

 その年の旅については「心が動くこともあると思いますけれども、なかなかそれが歌に結び付くかどうかはまだ分かりません」との答えだった。
 だが、美智子さまは詠んでいた。『ゆふすげ』に次の1首があった。

 〈ブラジリアの騎馬儀仗隊その列に仔馬一頭ひたに走れる〉

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