立憲民主と国民民主が折り合うべき場所 民主党再結集か、強い「野党」の確立か

47NEWS / 2020年7月22日 19時30分

会談後に取材に応じる国民民主党の玉木代表(左)と立憲民主党の枝野代表=ことし1月

 立憲民主党と国民民主党の合流「協議」が、またも難航している。前回の1月の協議から変わったのは、立憲民主党の枝野幸男代表が、「対等な協議」を主張する国民民主党側の意向を考慮して、両党をいったん解党して「新党」を結成する、という譲歩案を示したことだ。枝野氏が「立憲民主党」という党名を残すよう求めたのに対し、国民民主党は22日の幹事長会談で、立憲の譲歩案に同意した上で、党名についてのみ「民主的な手続きでの選定」を求めた、というのが現在の状況である。

 勝ち負けで表現するのは間違っているかもしれないが、もう「勝負あった」のではないか。国民民主党は立憲民主党の党名を受け入れ、合流協議をまとめる段階に来ている。(ジャーナリスト=尾中香尚里)

 「党名」「消費税」「憲法」。合流協議をめぐっては、そんなことばかりに焦点が当たってきた。個別政策など小さな違いに着目し、野党の「バラバラ感」を演出してきたのだ。国民民主党の玉木雄一郎代表はここへ来て、合流協議の項目にない消費税の減税や憲法論議などでの立場の一致を逆提案し、むしろ両党に違いが残ることを強調してみせた。

 だが、両党の間にある「壁」とは、そんなことではないのではないか。表面上は分かりにくいが、この合流を「民主(民進)党の再結集」と考えるか否かが、ここまでの合流協議に影響を及ぼしてきたように思う。

 少し歴史を振り返ってみたい。

 両党が誕生したきっかけは、3年前の2017年9月の民進党代表選にさかのぼる。枝野氏と前原誠司氏(現国民民主党)の一騎打ちとなり、前原氏が勝利した選挙だ。

 2人を支持した議員たちの意識は、選挙戦を戦った当事者以上に距離が開いていた。「保守とリベラルの最終決戦」「どちらが勝っても離党者が出る」。そんな緊張感が党内を包んでいた。

 そんな空気が党内に色濃く残るなか、小池百合子東京都知事による「希望の党」結党と、民進党の希望の党への合流をめぐる騒動が起きる。

 小池氏の「排除」発言に対し、党内で「何としても全員でまとまって合流する」という強い意思は、当時の執行部からは感じられなかった。それが「排除された」側の枝野氏らによる立憲民主党の結党につながった。希望の党は、枝野氏を含む立憲民主党の公認候補の選挙区の多くに対立候補を擁立。両党の候補者は生きるか死ぬかの戦いを強いられた。

 結果は、排除された側の立憲民主党がまさかの野党第1党に。惨敗した希望の党は、小池氏が党運営から離れた後、元の民進党のメンバーが結集する形で国民民主党が結党され、現在に至る。

 立憲民主党の側からこの経緯を振り返ると、衆院選の公示直前というタイミングで、所属していた民進党から事実上見捨てられたことになる。しかも、自分に「刺客」を放った希望の党から、数日前までともに仕事をしていた同僚議員が多数出馬しているのだ。

 立憲民主党にとって、この時点で民進党とのつながりは絶たれている。野党第1党になったことで、当初の彼らが「自力での党勢拡大」に傾斜したことは無理もない。

 その立憲を率いる枝野氏が、合流を主導する方向にかじを切ったのは、安倍政権の緊張感のない政権運営や独善的な権力行使が目に余るなか、野党を「多弱」のままにしておくことは許されない、という世論の要請に答えざるを得なくなったためだろう。「野党第1党とは公器である」との自覚から、結党時の自力党勢拡大路線を微修正する必要に迫られたのだ。

 それでも、そこにはおのずと許容範囲がある。前回の合流協議の際に小欄に書いたが、枝野氏が現在も「他党に合わせて立憲民主党を変質させることを全く想定してしていない」のは明らかだろう。「立憲、国民両党の解党」という、これまで想像できなかった提案をしてまでも党名だけは頑として譲らないところに、こうした姿勢が表れている。

 これを国民民主党の側から見ると、様相はやや異なる。

 玉木雄一郎代表をはじめ現在の党執行部は、希望の党騒動の際の民進党執行部の判断には直接関与していない。ある日突然民進党が分裂し、立憲に移った仲間と「生き別れ」になったことを受け止め切れずにいた議員も少なくなかった。

 選挙後に小池知事のくびきから解かれ、国民民主党を結党した元民進党メンバーにとって、合流とは民主党・民進党の再結集であり「希望の党騒動がなかった時の姿に戻る」(少なくとも近づける)ことなのだろう。

 合流協議はもともと国民民主党の方が積極的で、孤高の立憲民主党を突き上げる形だった。おそらく当時は「民進党の後継政党たる国民民主党が、立憲民主党を迎え入れる」形で野党をまとめたい、という意識があったように思われる。今でも国民民主党内で、新党の党名として「民主党」が上がっているのも「原点の名前に戻って再スタート」(玉木氏)という考えがあるからだろう。

 しかし、合流に対する党内の意見は割れている。「分かれた党を元に戻す」ための合流で、自分の党が割れては意味がない。玉木氏が最近、合流協議のハードルを上げるが如き言動に出ているのは、どこかに「国民民主党を割らないためには、いっそ協議が決裂しても構わない」という意識があるのではないかと感じる。

 両党の現在のスタンスには、わずか3年の歴史とはいえ、それぞれに一理あるといえる。だが、それでも言いたい。ここまでの流れを見る限り、もはや「国民民主が立憲民主に合わせる」しか道はない。

 立憲民主と国民民主の力関係は、2018年の国民民主党結党当時はさほど差がなかった。立憲民主は野党第1党ではあったが、民進党の組織や財産を引き継ぎ、議員の層も厚い国民民主の方が、政党の総合力では上回る点もあった。

 しかし、19年春の統一地方選や夏の参院選で立憲民主が一定程度勢力拡大に成功したのに対し、国民民主は伸び悩んだ。同年秋以降の国会における会派合同で、立憲を中心とする「野党の構え」が徐々に形作られて行った。特に、会派をともにしていない共産党との協力関係は格段に進化した。

 極め付けが今月の東京都知事選だ。国民民主が自主投票となり存在感を示せない中、立憲民主は統一会派を組む社民党、国会でともに闘ってきた共産党とともに、元日本弁護士連合会会長の宇都宮健児氏を支援。そこに、これまでは「立憲と国民の橋渡し役になる」などとして中立を保っていた野田佳彦前首相や岡田克也元副総理(ともに無所属)らが応援に駆けつけ、立場を明確にした。当の国民民主党からも、重鎮の小沢一郎氏が応援に回った。

 立憲を中心とした野党の「構え」が、さらにウイングを広げた形で確立されたのだ。

 21日には野田氏が「今の立憲民主の提案をベースに」早急の合流をするよう呼びかけた上で、自身も新党に参加する意向を示した。党名に関しても「立憲民主党を基本に」と明言し、ある意味だめを押した。

 立憲民主党に引けを取らない組織力も、財力も、人材力もあるはずの国民民主党が、結果的に各種世論調査の支持率でも国会の主導権でも立憲民主党との差が開いてしまったのは、おそらく個々の議員の力量などの問題ではない。同党が引き継ぐ「民主党的なるもの」、すなわち「非自民・非共産の民主中道」路線を世論が受け入れなくなった、ということではないのか。共産党まで含めた野党全体の「大きな構え」で安倍政権に対峙する力強さのほうが、今は求められているということではないのか。

 玉木氏はここへ来て、日本維新の会やれいわ新選組との候補者調整に言及しているが、次期衆院選前の最後の大型選挙となった都知事選でそれぞれ独自候補を擁立した段階で、もはや野党の「構え」に入る存在ではなくなったと見た方がいい。そういう存在に気を取られるよりは、現在の「構え」をより強固なものにする方が、ずっと意味があるはずだ。

 繰り返したい。国民民主党は、国会でともに闘ってきた野党の「構え」を崩すつもりがないのであれば、ここは下手に長引かせずに合流の方針を固めるべきだ。そして、党内のエネルギーを野党の内部の勢力争いのようなことに使うのではなく、安倍政権に向けてしっかりと使う方向に切り替えるべきだ。

 最後に少し余計なことを書き足しておきたい。

 おそらく合流は実現するのだろう。少なくとも安倍政権の側はそう見ていると思われる。それが21日の二階俊博・自民党幹事長のこの発言につながったのではないか。

 「今は(衆院)解散よりも、国民からの要請でやるべきことがたくさんある」

 結局、今回の野党合流協議は、表向きは立憲民主と国民民主の主導権争いのようでいて、実のところ、安倍晋三首相の解散判断を思いとどまらせる意味があったのではないか。当事者が意識しているかどうかは別として。

 野党が早期に合流するとの見通しを懸念し、安倍首相の解散判断が遅れれば遅れるほど、政権側は追い込まれ、野党の側は選挙準備の時間が稼げることになる。立憲民主にとっても国民民主にとっても、それは決して悪いことではないだろう。

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