【桂春蝶の蝶々発止。】父、二代目春蝶と枝雀師匠 命の意義を問う創作落語のきっかけ

夕刊フジ / 2018年8月10日 17時3分

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二代目桂春蝶さん(夕刊フジ)

 私にはライフワークにしている活動があります。戦争や自然災害、事故や病などを通して命の意義を問う「落語で伝えたい想い」という創作落語です。夏場は各地で平和講演が開催されるため、シリーズ第4作「ニライカナイで逢いましょう~ひめゆり学徒隊秘抄録」という、沖縄戦を舞台にした人情噺を演る機会をいただきます。

 笑いがメーンと思われがちな落語の世界で、なぜ戦争など、シリアスなテーマをやるのか? 明確な理由があります。まず、私の少年期の経験から話しましょう。

 私の父は二代目桂春蝶。「お酒とタイガース」をこよなく愛した噺家で、関西では絶大な人気を誇っていました。流麗でシャープな芸風、社会風刺も得意でしたが、かわいげがある。それでいて誰よりも繊細で、打たれ弱い一面も持っている人でした。

 30代後半、父は大病を患い、そこから肉体的にも精神的にも病んでいきました。家族には「もう自分の生き場所がない。死んだ方がマシだ」と、こぼす毎日。早い話が鬱状態です。

 そんな親父の親友が同業者にいました。桂枝雀師匠。「爆笑王」の異名を持つ天才噺家です。

 枝雀師匠がわが家に遊びに来られたとき、玄関に上がるやいなや、「大助くん(=私の本名)、君は何か、悩み事はないかな?」と聞きました。

 いきなりヘンな質問ですが、答えた方がいい気がして、私はさらりと「織田信長が本能寺の変で死んだと言うけど、誰も見てないのに、なぜ死んだと言い切れるのかと思うと悩みます」と言ったんです(笑)。

 すると枝雀師匠がポロポロ涙を流し、「あなたは僕と同じ惑星の住民だ。今日は気分が良い、このまま帰って寝る」といい、3分ほどで帰ってしまったんです!

 親父はそれを見てニッコリ笑い、「訳わからんやろ? あんなことを言ってる枝雀は長生きできん。そして、それを理解できるワシも長生きできん…難儀な性分やなぁ」と言ったのです。

 それから10年のうちに、2人とも逝ってしまいました。私はそんな大人に囲まれていた。日々、「死生観」という種が私の心にまかれ続け、そこから小さな双葉は芽を出してゆく。

 父の死後、19歳で同じ道を選び修行に明け暮れる毎日。さて、そんな生活が15年ほど経過したころでした。

 鹿児島に仕事で行ったとき、主催者に「ある場所へ、あなたを連れていきたい」と言われた。その場所こそ「知覧特攻平和会館」でした。特攻隊員の方々の遺書と遺影が飾られていました。この瞬間、私の少年期にまかれた種からツルが急成長したのです。

 そう…それは「この出来事を落語という表現を使って、世に広めることだ」と。

 私に1つの天命が下された瞬間でした。

 ■桂春蝶(かつら・しゅんちょう) 1975年、大阪府生まれ。父、二代目桂春蝶の死をきっかけに、落語家になることを決意。94年、三代目桂春団治に入門。2009年「三代目桂春蝶」襲名。明るく華のある芸風で人気。人情噺(ばなし)の古典から、新作までこなす。14年、大阪市の「咲くやこの花賞」受賞。

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