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ディック・バトン氏死去 95歳 米フィギュアスケートの名選手

AFPBB News / 2025年2月1日 11時15分

1948年サンモリッツ冬季五輪で練習に臨むディック・バトン氏(1948年2月撮影)。(c)AFP

【AFP=時事】男子フィギュアスケートで二度の五輪金メダルに輝き、卓越した技術で競技に革新をもたらした名選手として知られる米国のディック・バトン氏が、95歳で死去した。

米国フィギュアスケート協会は声明で、「革新的なスタイルと受賞歴のあるテレビ解説を通じてフィギュアスケート界に革命をもたらしたリチャード・ディック・バトン氏が、1月30日にニューヨーク州ノースセーラムで死去した」と発表した。

バトン氏の死は、フィギュアスケート関係者14人が死亡した米首都ワシントン近郊の旅客機衝突事故と時期が重なった。この事故では、ペアの元世界王者でロシア出身のエフゲニア・シシコワ氏とワジム・ナウモフ氏や、ボストン・スケーティングクラブに所属するジュニアのスター選手が亡くなった。



バトン氏は現役時代、同クラブでスケートをしており、生涯にわたって親密な関係を保っていた。クラブのトロフィールームには、同氏に敬意を表した名前が付けられている。

1929年7月18日にニュージャージー州エングルウッドで生まれたバトン氏は、冬季五輪では1948年のスイス・サンモリッツ大会と1952年のノルウェー・オスロ大会の2大会連続で金メダルに輝いたほか、世界選手権5連覇、北米選手権3連覇、そして全米選手権7連覇を達成。また、当時は北米の選手も出場が可能となっていた1948年の欧州選手権でも金メダルを獲得した。

しかし、バトン氏の功績は単なるタイトルの獲得にとどまらない。コンパルソリー(規定演技)とフリースケーティング(FS)の両方で卓越した技術を発揮し、フィギュアスケートの競技レベルを新たな次元へと引き上げたことが、より高く評価されている。

第二次世界大戦後初の冬季五輪となったサンモリッツ大会では、18歳のバトン氏が男子選手として初めてダブルアクセルを成功させ、米国勢として初の五輪王者に輝いた。また、フィギュアスケート男子における史上最年少の金メダリストとなり、その記録は現在も破られていない。

4年後のオスロ大会では、史上初の3回転ジャンプ(ループ)を成功させ、2個目の五輪金メダルを獲得。さらに、現在フライングキャメルスピンとして知られる「バトンキャメル」を考案した。

フィギュアスケートの五輪連覇は、2018年の平昌冬季五輪で羽生結弦が達成するまで、バトン氏しか成し遂げていなかった。

現役引退後は、弁護士や俳優として活動する一方、プロスケート競技の主催者、解説者、テレビプロデューサーとしても活躍し、1960年から2010年まで米国において「スケートの声」として知られた。
【翻訳編集】AFPBB News

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