映画『あんのこと』はどこまでが実話なのか。河合優実、佐藤二朗、稲垣吾郎が役を演じ切る「説得力」
オールアバウト / 2024年6月11日 21時5分
映画『あんのこと』は「実話を基にしたフィクション」。どこまでが実話で、どこまでが創作だったのか。河合優実、佐藤二朗、稲垣吾郎を称賛するとともに、劇映画にした意図を解説します。(C) 2023『あんのこと』製作委員会
6月7日より、映画『あんのこと』が劇場公開中。内容は売春と麻薬の常習犯である女性が、刑事とジャーナリストの助けを借りながらも、新たな仕事や住まいを探し始めるというヒューマンドラマ。上映開始後すぐに絶賛の声が多数寄せられ、映画.comとFilmarksでは5点満点中4.2点(記事執筆時点)を記録するほどの高評価を得ました。
そして、重要なのは本作が実話(実際の事件)を基にしたフィクションであること。後述するセンシティブな「本当にあったこと」を劇映画にする、その作り手の意思と覚悟も、ぜひ知ってほしいのです。
「覚醒剤使用の描写がみられる」という理由でPG12指定がされており、それ以外でもショッキングで苦しくつらい場面がありますが、それは間違いなく作品には必要なものでした。
さらなる特徴と魅力を記していきましょう。なお、警告を記した後は、ネタバレを含む内容となっていますので、ご注意ください。
希望のない女性が新たな道へ進む物語
主人公の女性・杏(あん)は、ひたすらに希望のない日々を送っていました。子どもの頃から酔った母親に殴られて育てられ、小学4年生で不登校となり漢字も満足に読めず、母親の紹介で体を売ったのは12歳の時でした。そして、20歳になった2018年の秋、ベテラン刑事から薬物更生者の自助グループへと招かれ、さらには週刊誌の記者と出会ったことをきっかけに、少しずつ新たな道へと進みます。序盤で描かれるのは「更生への道筋」です。ベテラン刑事は生活保護の申請に立ち会い、ジャーナリストは取材先の職場である特別養護老人ホームを紹介してくれます。
介護の仕事をなんとか始めて、虐待をしていた母親の家から出てシェルターマンション(DVやストーカー被害にあった女性が一時避難する場所)に住むようになり、秋からは夜間中学にも通い始めます。絶望的な日々から抜け出し、人生が少しずつ良い方向へと進む、まるで「歯車」がかみ合う様から、心から彼女の幸福を望みたくなるでしょう。
河合優実、佐藤二朗、稲垣吾郎という俳優それぞれの個性
その物語に説得力を与えているのは、俳優それぞれの力です。河合優実、佐藤二朗、稲垣吾郎という、人気も実力もある3人の掛け合いは、劇中の物語と重なって、よりかけがえのないものに見えてくるのです。河合優実は4月より放送されたテレビドラマ『RoOT / ルート』(テレビ東京系)でも主演を務め、さらに6月28日公開のアニメ映画『ルックバック』では主人公の声も担当するなど、活躍の場を広げています。今回の『あんのこと』の序盤は、ただ流されるまま絶望の日々を生きていたのだと本当に思えるほど、「生気がない」印象さえも覚えるのですが、その後は戸惑いながらも徐々に希望をつかみ取ろうとしている、いや必死に道を見つけようとする意思が、その表情や一挙一動から感じられるでしょう。佐藤二朗はバイタリティと親しみやすさがある一方で、乱暴さもあるベテラン刑事を演じ切っています。特に「『クスリを抜くにはこれが1番』と称して、取調室でいきなりヨガを始める」シーンはすっとんきょうで怖くもあるのですが、それくらいに彼が「本気」であることも伝わるでしょう。多くの作品でギャグキャラクターを演じながら、時に狂気を感じさせる役も上手に演じ切る佐藤二朗にとっての最大級のハマり役でした。そして、稲垣吾郎が演じるのは、この映画を見る観客に極めて近い立場で、入江悠監督が言うところの「観察者」のようなジャーナリストです。もちろん主人公の未来を心から案じてサポートをしているものの、どこか距離も感じさせる、本人もどこか「居心地の悪さ」を感じていることが、稲垣吾郎の(無表情に近いけれど)けげんそうな表情から伝わってくるでしょう。生真面目でありつつ、時にはどこか狂気的な一面もあり、浮世離れした印象を持つ稲垣吾郎に実にマッチした役柄でした。そんな年齢も立場も性別も違う3者のやりとりは「ずっと見ていられる」ほどに尊いものに見える一方で……そこはかとなく「不穏さ」も見えてきて、やがて残酷な世界をはっきりと映し出すことにもなります。
ここからは、劇中で語られる、そして現実に実際に起こった2つのショッキングな出来事、そしてフィクションであった描写についてを、本編のネタバレありで記していきましょう。
予備知識なく映画を見たい人はここでストップしてください。しかし、映画を未見の人でも、ショッキングな出来事を知った上で見たいという人は、その「覚悟」を決めるためにも、ぜひ読んでほしいと願います。
※以下からは、映画『あんのこと』の本編の結末を含むネタバレに触れています。
信頼していたベテラン刑事が性加害者だった
劇中で語られ、また実際に起こったショッキングな出来事の1つ目は「ベテラン刑事が性加害者であったと報道される」ことです。その記事を見せられた主人公は言葉を失い、シェルターマンションの部屋に駆け戻ります。その心中は察するに余りありますし、この映画を見ていた観客も「主人公も一歩間違えば性被害にあっていたのかもしれない」「親身に接していたのもそれが目的だったのかもしれない」「肩を寄せていたのも善意だけではなかったかもしれない」などと想像もした上で、よりショッキングに思えるでしょう。入江悠監督は後述する内容の新聞記事を基にプロットを少しずつ考え始めた後、2020年10月に実在の女性の更生に尽力していたはずの元刑事が、別の相談者への性加害容疑で逮捕された報道を知って、がく然としていたそうです。
しかし、入江監督は企画を諦めたりはせず、より本格的なリサーチに着手し、彼女を知る関係者にインタビューを重ねて、迷いながらも主人公の人物像を自分なりに掘り下げていったそうです。その覚悟と決意は、入江監督の以下の言葉にも表れています。少し長めですが引用しておきましょう。
「「もちろん多々羅(佐藤二朗演じるベテラン刑事)がした行為は、絶対に許されない。現実社会では法的に罰せられる行為です。でも物語の中で、彼に何らかのジャッジを下す描き方はしませんでした。それは、本作では杏という女性にどこまでも寄り添って歩こうと最初に決めたからです。少なくとも彼女にとって、多々羅は自分を暗闇から引っ張り出して、別の道を示してくれた存在だった。その魅力、温かみがスクリーンからにじむのは、むしろ自然なことだろうと」」
「「ただ、それとは別に多々維というキャラクターが、時代の変化をそのまま映した側面はあるかもしれません。これが昔なら、薬物更生者に尽力する刑事という美談の方ばかりクローズアップされ、ハラスメントは告発されなかったかもしれない。でも今では、『彼はいいこともしていた』という言い訳は許されない。『あんのこと』では、2020年に起きていたことと自分なりにちゃんと向き合いたかったので、多々羅もある意味、その一断面なのかもしれません」」
近年では世界的に性加害問題が大きく扱われるようになり、いかに大きな功績があろうとも、その罪の大きさを深く追求するような社会には近づいてきています。この映画では主人公にとっては道を示してくれた温かい存在であることを示しつつ、性加害者を美談めいた扱いにもしない、そのアプローチとバランスも誠実なものだったと思います。
未来に向けて歩み出したのに、自殺をしてしまった
そして、もう1つのショッキングな出来事は……劇中の主人公が最後に自殺をしてしまうこと。実際に、國實瑞恵プロデューサーは「コロナ禍で居場所を失い、絶望して命を断った若い女性の横顔がつづられた1本の記事」を目にして衝撃を受けたそうです。さらに國瑞プロデューサーは、別の記事でも同じ女性の「幼い頃から母親のひどいDVを受け、小学校も満足に卒業できず、10代に入ると家計のために売春を強いられて、14歳のときに覚醒剤を使っていた」「取り調べの担当刑事さんに誘われ、薬物経験者が語り合う会に参加して、介護士になるという目標もでき、実際に働きながら小学校の勉強をやり直すようになった」といった事実を読んでいたそう。このことを受けて國瑞プロデューサーは「せっかく未来に向けて歩きだしたハナさん(前述の女性)の命を、私たちの社会は守れなかったのかと思うと、何ともやりきれない気持ちになりました」と吐露。入江監督も、コロナ禍で2人の友人を亡くし、人と人が断たれる脆さを痛感しており、その思いに共鳴していたのだとか。
そして、現実でもそうだったように、この映画『あんのこと』の主人公もまた自殺をしてしまいます。彼女の未来や幸福を願っていた観客にとっては特にショッキングに映るでしょうが、それもまた現実の物語に向き合う作り手にとっては避けて描けないことだったのでしょう。
主人公が「子どもの面倒を見ていた」ことを“創作”した理由
「更生に尽力していたはずの元刑事が、別の相談者への性加害容疑で逮捕された」「未来に向けて歩き出していた女性が、道半ばで自殺をしてしまった」ことは現実の出来事ですが、一方で完全にフィクションだったことがあります。それは、主人公が「隣の部屋の子どもを勝手に押し付けられ面倒を見ていた」ことです。新型コロナウイルスの感染者数が急増する最中、早見あかり演じる女性は、早朝にいきなり主人公のもとにやってきて「ごめん! ちょっと子ども預かってくれない!? 男とトラブっちゃって」とまくしたてます。その子どもはまだオムツが取れておらず、言葉もほとんど話せず、もちろん主人公は戸惑うばかりなのですが、それでも必死で世話をするうちに打ち解けてきて、その子どもの好きなメニューや嫌いな食材を手帳に書き込み、2人には笑顔も生まれるようにもなっていきます。現実にはなかった展開をあえて入れた理由について、入江監督は以下のように語っています。
「「虐待って、世代間で連鎖していく場合もあると専門家の方が指摘されています。DVを受けて育った人が、自分の子どもにも同じ ことをしてしまう。でも杏ならば、その負の循環を断ち切れたんじゃないかなと。あくまでわたし個人の希望ですが、そこを描いてみたかったんです」」また、本作は薬物依存者の社会復帰を支援するNPOにも監修を依頼しており、自身も依存症を経験されたスタッフが口をそろえて「支援の活動を続けることで実は自身も救われている」と語っていたそうです。入江監督はそれを受けて「同じことは、杏にも言えた気がします。誰かが彼女を救うんじゃなくて、彼女が誰かに手を差し伸べるシチュエーションがあれば、全く違う未来があり得たかもしれない」と、フィクションの設定を入れた意図を告げていました。
この通り、「虐待の負の連鎖を断ち切る」「救おうとすることで救われる」ことを、一連のシーンからは大いに感じられます。だからこそ、その後の絶望的な事態を経て、主人公がそれでも自殺を選んでしまうことに、より胸が締め付けられました。
でも、だからこそ、より当事者に近い気持ちでこの物語を見届けたことには意義がありますし、彼女が子どもを救った事実は残り続けますし、「自分にできることはあるかもしれない」とも思えるのではないでしょうか。
入江監督の優しさが表れた集大成に
入江監督は、主演の河合優実と「この子をかわいそうな存在と考えるのはやめよう」と話し合っていたとのことです。その意図は「彼女は1人の人間として、自分の人生を懸命に生きていた」「河合優実さんという俳優の肉体を借りて、モデルとなった女性が向き合っていた世界を、(スタッフやキャストの)皆で一緒に再発見していきたかった」とのことです。実際の入江監督の演出も入念で、例えば、主人公と子どもが初めて会うシーンは、保護者立ち会いのもと、実際そこで 2人を初めて対面させて、人見知りで大泣きする表情を一発で収めていたそう。さらに、食事やお昼寝など、とにかく子どもの生活リズムに合わせたシフトを考案し、それに合わせて劇中の同じシチュエーションを撮影したのだとか。主人公が子どもと少しずつ心を通わせ、その世話に生きがいを見いだしていく心理描写は、ある意味で「本物」なのです。また、入江監督にとって、実際の事件に基づく脚本作りは今回が初めてだったこともあり、執筆中は常に「自分にその資格があるのか」という問いとも向き合い「自分がゼロから考案したストーリーやキャラクターと違って、実際にあった事件には究極的には責任をとれない。その怖さをずっと感じていました」「だからこそ『社会的弱者』というような先入観は捨て、彼女が過ごした時間を感じたいと思ったんです」と、尋常ではない葛藤も語っています。
入江監督は『SR サイタマノラッパー』や『ビジランテ』など、ほぼ一貫して閉塞的な日常を過ごす人たちに優しく寄り添う(時に容赦なく辛らつに描く)映画を手掛けてきました。その作家としての覚悟が表れた、その集大成ともいえるのが、今回の『あんのこと』なのだと、本人の言葉はもちろん、出来上がった作品から強く思うことができました。
さらに、ここではあえて伏せておいたラストシーンは、見た人と語り合う意義のあるものになっています。本作が、さらに多くの人に届くことを願っています。
※各インタビュー内容はプレス資料より引用
この記事の筆者:ヒナタカ プロフィール
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「CINEMAS+」「女子SPA!」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。
(文:ヒナタカ)
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