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『先生の白い嘘』のインティマシー・コーディネーター不在を改めて考える。「入れれば万事OK」ではない

オールアバウト / 2024年7月11日 20時15分

『先生の白い嘘』のインティマシー・コーディネーター不在を改めて考える。「入れれば万事OK」ではない

公開中の『先生の白い嘘』は、「主演俳優から要望を受けたインティマシー・コーディネーターを起用しなかった」事実が判明したインタビュー記事が物議を醸しました。この問題から考えるべき「これから」について記します。(※サムネイル画像素材:(C)2024「先生の白い嘘」製作委員会 (C)鳥飼茜/講談社)

7月4日にENCOUNTで掲載された、映画『先生の白い嘘』のインタビュー記事が物議を醸しました。特に批判を浴びたのは、主演の奈緒さんからの「インティマシー・コーディネーターを入れてほしい」という要望に対し、三木康一郎監督が「すごく考えた末に、入れない方法論を考えました。間に人を入れたくなかったんです」と答えていたことです。

本質的な問題がどこにあるのかを改めて考えつつ、これからの日本の映像作品において、どのような認識を持ち、変わっていくべきなのかを記していきます。また、以下からはインタビュー記事などから一部抜粋していますが、それだけが本質的な内容ではないので、元の全文も読まれることもおすすめします。

日本でも、起用される作品は生まれつつある

簡単に、インティマシー・コーディネーターがどういった職業であるかと、直近で起用された事例を記しておきましょう。

インティマシー・コーディネーターは性的なシーンの撮影において、監督をはじめ関係各所との仲介や調整、俳優の精神的なケアを行います。ハリウッドの性暴力を告発する2017年の#MeToo運動後に誕生したと言われており、近年ではインタビュー記事を筆頭にメディアで取り扱われる機会も増えています。

日本で最初にインティマシー・コーディネーターが導入された事例とされるのが、2021年4月にNetflixで配信された映画『彼女』。その後、同年放送のドラマ『それでも愛を誓いますか?』(朝日放送系)、2022のドラマ『サワコ 〜それは、果てなき復讐』(TBS系)、『エルピス-希望、あるいは災い-』(カンテレ・フジテレビ系)、2023年の映画『怪物』や『正欲』、2024年の映画『52ヘルツのクジラたち』やNetflix配信の映画『シティーハンター』と、インティマシー・コーディネーターが起用される事例は増えてきてはいます。

「名前以外正しいところがない」描かれ方をされたドラマも

しかし、日本ではインティマシー・コーディネーターの認知が不十分、または誤解がされていると思える例もあります。

2024年2月と比較的最近に放送されたテレビドラマ『不適切にもほどがある!』(TBS系)の第4話では、現場にインティマシー・コーディネーターがいることへの戸惑いや混乱を「茶化す」ような描き方がされており、批判を浴びました。

同年5月に放送されたラジオ番組『アフター6ジャンクション2』(TBSラジオ)では、インティマシー・コーディネーターである西山ももこさんから、放送内容について「雑に描かれた」「名前以外正しいところがない」「私よりも一緒に仕事をした技術スタッフやプロデューサーの方が怒っていた」などと、厳しい言葉が投げかけられたこともあります。

一方で、『波 2024年4月号』(新潮社)の公式Webサイトで掲載された高嶋政伸さんによる連載エッセイの内容は称賛で迎えられました。ドラマ『大奥』(NHK)で、高嶋さんは娘に幼い頃から性的暴行を加え続ける父親(徳川家慶)役を演じており、いかにインティマシー・コーディネーターが大切な存在であるかを俳優の立場からつづった文章は、迫力と真摯(しんし)さを感じさせました。

こちらでは高嶋さんから「必ずインティマシー・コーディネーターを付けてください」とお願いし、製作サイドも「最初からそのつもりでいらした」ことや、インティマシー・コーディネーターの浅田智穂さんが初めて経験する難しい撮影でも、いかに連携を取りつつ最大限の配慮が行われていたかが、はっきりと分かるようになっています。

日本では起用される作品が(増えてはきているが)まだ少なく、フィクション上で完全に間違った描かれ方もされる一方で、連携を取り真摯に向き合う俳優や関係者もいる――。その現状を踏まえれば、日本でのインティマシー・コーディネーターの認知と活躍は、過渡期というにもまだ早い段階でしょう。

意義のある作品だからこそ、よりショックを受けた

『先生の白い嘘』は原作漫画から苛烈な性被害を描いており、今回の映画は「刺激の強い性愛および性暴力描写がみられる」という理由でR15+指定がされています。

はっきり「性暴力のシーンの撮影で俳優に大きな負担を強いることが明白な作品」であるにもかかわらず、「俳優が求めたインティマシー・コーディネーターを起用しない」判断がされたこと、その問題の無自覚さがありありと表れた発言に、批判が殺到するのは、改めて当然だと思います。

筆者個人はこのインタビューの公開前に試写で『先生の白い嘘』を見ており、性暴力のシーンのみならず、精神的かつ物理的な痛みを強く感じさせる内容に衝撃を受けました。物語そのものや哲学的な問答は賛否を呼びそうだと思った反面、性被害を受けた(受ける可能性のある)女性の苦しみや抑圧を示す意義は大きく、真摯に役に向き合ったことも伝わる俳優陣の演技が掛け値なしに素晴らしいと、称賛したい気持ちが大いにありました。

だからこそ、「これほどにインティマシー・コーディネーターが必要と思える作品もないのに、俳優陣が適切に守られていなかったんだ」と、より失望を禁じ得なかったのも事実です。

重要なのはこれ以上責め立てるのではなく、これからのこと

『先生の白い嘘』のインタビューでの三木監督の発言への擁護はできないことを前提として、過剰なバッシングもまた問題であり、製作者側が当時に「インティマシー・コーディネーターを起用しなくても、自分たちでできる限りの配慮をしようとしていた」ことへの思考をめぐらせることも重要だと思います。

『先生の白い嘘』の撮影時期は2022年で、インティマシー・コーディネーターが起用される作品が日本でも少しずつ世に出てきた、という時期でした。今回の騒動後に映画の公式Webサイトには「『先生の白い噓』撮影時におけるインティマシー・コーディネーターについて」と題したページで謝罪文が掲載されており、その文章からも当時に「自分たちだけでなんとかできる」判断がされた原因をうかがい知ることができます。

これまでは(それに類する配慮をしたスタッフはいましたが)インティマシー・コーディネーターという職業そのものが存在しなかったわけですし、日本ではそもそもインティマシー・コーディネーターが数人(2022年時点では2人)しか存在していない現状もあります。2024年の今でもインティマシー・コーディネーターの認知や活躍が過渡期というにも早い段階なのですから、2年前はより保守的な価値観がまかり通り、その判断がされることもあり得ると思えるのです。

また、この謝罪文では「『不安があれば女性プロデューサーや女性スタッフが本音を伺います』とお話をしていたので、配慮ができると判断しておりました」などと書かれていますが、前述した高嶋政伸さんのエッセイを踏まえても、性暴力を働く人物を演じる側、また男性の俳優にとっても、インティマシー・コーディネーターの存在が大切なのだと強く思えます。『先生の白い嘘』では風間俊介さんがこれ以上なく嫌悪感を抱かせる性加害者役に挑んでおり、彼のためにもインティマシー・コーディネーターの起用は必須といえるものでした。

その上で、「撮影当時にその判断をしてしまったが、多くの批判を受け、自分たちが誤っていたと謝罪した」という事実は前向きに捉えたいです。また、『先生の白い嘘』より以前にも、「性暴力やそれに類するシーンがありながらも、インティマシー・コーディネーターが関わっておらず(その頃にはその職業もなく)、俳優陣が適切に守られていなかったのだろう」と、思い返す作品もたくさんあります。

『先生の白い嘘』という作品と関係者をただ責め立てるのではなく、その問題が大きく扱われ、反省と謝罪がされた以上、この先の映像業界が変わるためにできることを考えるのが先決でしょう。

インティマシー・コーディネーターを「入れればOK」でもない

筆者個人は、インティマシー・コーディネーターの存在は撮影現場での円滑なコミュニケーションにもつながり、共により良い作品にしていくために歩み、スタッフやキャストが安心して挑めるよう、観客も安心して作品を見られるよう、尽力をしてくれる職業なのだと知りました。

その上で、「インティマシー・コーディネーターを入れれば万事OK」でもない、ということにも留意が必要だと思います。

例えば、2022年11月に公開された『FRaU』(講談社)の『エルピス-希望、あるいは災い-』のインタビュー記事では、浅田智穂さんが「本当に俳優や現場のことを考えた依頼だけではなく、インティマシー・コーディネーターをクレジットしておけば、作品を守るためのいわば“アリバイ作り”になるだろうと、その役割をきちんと理解しないままオファーしてくる方がいたのも事実」などと語っています。

また、『先生の白い嘘』の問題発覚後の2024年7月8日にENCOUNTで掲載されたインタビューで、西山ももこさんは「私自身はスーパーヒーローではないので、全てを解決できるわけではありません。インティマシー・コーディネーターの役割は、あくまでも安全に円滑にできるように現場をコーディネートすること。私自身はメンタルヘルスの専門家ではないので、精神的な部分でできることは限られています。そこは安全のために切り分け、専門家が必要だと感じています」と答えています。

インティマシー・コーディネーターをアリバイ作りのためだけに入れても意味はない。役割はあくまで「コーディネーター」であり万能の存在ではない。関係者が共に歩み考えていくことが必要である。それらは当たり前のことに思えますが、これまでは当たり前ではなかったのだと、改めて認識することも重要でしょう。

その『先生の白い嘘』の公開初日舞台あいさつでは、原作者の鳥飼茜さんの手紙が読まれました。7月5日掲載のcinemacafe.netの記事から、全文を引用します。

「漫画が映像化することは、基本的には光栄なことだ。それでも自分は自分の描いた作品に無責任すぎたのかもしれないと思う。作品は作品で描いた人、撮った人、演じた人の個人とは無関係に評価されるべきか。そういう性質なものもあっていいと思う。ただ、自分はこの漫画を描くとき、確かに憤っていたのだ。一人の人間として、一人の友人として、隣人として、何かできることはないかと強い感情を持って描いたのだ。それがある意味特別で、貴重な動機づけだった。今あんな情動を持てない。

性被害に対し、何を言えるのか。私たちはどんな立場なのか。どんな状況でもそれを明らかにできる場合にしか明け渡してはいけない作品だったと思う。こんな原作がなんぼのもんじゃと言われるかもしれないが、なんぼのもんじゃと私だけは言ってはいけなかったと思う。自分だけは、自分のかつての若い”生もの”の憤りを守り倒さねばならなかった。

撮影に際して、参加する役者さんからスタッフにいたるまで、この物語が表現しようとしているすべてに、個人的な恐怖心や圧力を感じることはないかどうか、性的シーン、暴力シーンが続く中で、彼ら全員が抑圧される箇所がないかどうか。漫画で線と文字で表現する以上の壮絶さがともなうはずだったことに、私は原作者としてノータッチの姿勢を貫いてしまった。原作者として丸投げしてしまったこの責任を強く感じるにいたり、反省した。

後だしで大変恐縮ではあったが、センシティブなシーンの撮影についても、事細かに説明を求め、おろしてもらった。説明を聞き、一応のところ安心はしたものの、やはりあらゆる意味で遅すぎたし甘かったと思う。わかりようがないとはいえ、もっともっと強く懸念して、念入りに共通確認をとりながら繊細に進めなくてはいけない。そういう原作だった。

これは昨年、私が記した所信です。文章は公開はしませんでしたが、去年の時点での私の考えでした。今公開を迎えるにあたり、このたびの発言がよくない意味で注目されていることを私は何とも心苦しく思っている。なぜなら、何かこの作品で誰かに嫌な気持ちを起こすようなことがあれば、私にもその責任があると、すでにこのように去年の私は記していたからです。こういう場合、みな一様に”言葉には気をつけなければならなかった””本当に配慮が足りなかった””配慮に欠けていた”と反省されます。

ただ、私が感じる問題はそうではない。問題は最初から信念を強く持ち合わせていなかったことではないでしょうか。私も出版社も含め、製作した者たちがあらゆる忖度に負けない信念を、首尾一貫して強く持たなかったことを反省すべきだったのではないか。このことを私が今、私自身に痛感しています。

冒頭で言ったように、最大限の配慮や共通理解を徹底して作るべき作品であること。それを映画製作側へ、都度働きかけることを私が途中で諦めてしまったことを猛省したのは、主演の奈緒さんの態度に心を打たれたからです。個人的な感想ですが、この映画製作において、一番強かったのは奈緒さんです。彼女はこの騒動で誰よりも先駆けて私に謝罪をされました。現場で一番厳しい場面と素晴らしい場面に誠実に対峙した、奈緒さんが、です。心遣いに感心したと同時に謝罪なんて必要ないよと心から申し訳なく思いました。

何より、映画の中の主人公としての演技が素晴らしかったのです。現実でも虚構でも、彼女は誠実そのものでした。感謝していますし、彼女が望むなら、たくさんの人にその素晴らしさを見てもらいわかっていただければ私自身反省をしたもので、これ以上のことはありません。」

まさにこの言葉通り、「俳優が求めたインティマシー・コーディネーターを起用しなかった」ことや謝罪の言葉だけを糾弾するでのはなく、その判断に至ってしまった理由を踏まえ、これからは「信念を貫き通した作品づくり」を、関係者一同が徹底することが重要なのではないでしょうか。

筆者もまた、『先生の白い嘘』のクレジットにインティマシー・コーディネーターがいないことに対して、疑問を持ち、考えなかったことを反省しました。その上で、やはりインティマシー・コーディネーターという職業の存在や役割を多くの人が認識することが重要なのだと思います。今回の問題を受け、ドラマや映画の制作現場が、より良くなることを願っています。

この記事の筆者:ヒナタカ プロフィール
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「CINEMAS+」「女子SPA!」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。
(文:ヒナタカ)

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