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なぜ日本から「学歴主義」が消えないのか…「高学歴=勝ち組」思想をあおり続ける“罪深き存在”の影響

オールアバウト / 2024年8月20日 21時50分

なぜ日本から「学歴主義」が消えないのか…「高学歴=勝ち組」思想をあおり続ける“罪深き存在”の影響

高学歴を掲げる学歴系YouTuberが関西の中堅私大を訪問し、学生を上から目線でいじったということが話題を集めています。日本の社会人にとって学歴は重要か否かという視点でも議論が盛り上がっています。“古くて新しい”学歴を巡る問題を考えてみます。

高学歴を掲げて学歴系YouTubeを運営するグループが、関西の中堅私大を訪問して学生を上から目線でいじったということが、ネット上で波紋を呼んでいます。

その大学の教授がこれに苦言を呈したり、あるいは脳科学者の茂木健一郎氏が「知性のかけらもない、日本の恥」と彼らを一刀両断の下に切り捨てるなどしたことで、今また日本の社会人にとって「学歴」とは重要なものなのか、はたまた無意味なものなのか、といった視点での議論が盛り上がっているようです。

“古くて新しい”学歴を巡る問題を考えてみましょう。

日本の学歴社会の始まり

日本における最初の大学である東大、それに続いた京大と各帝国大学、さらに私立大学の先駆け的存在であった慶応、早稲田などの卒業生が、いわゆる「学士様」として世間一般に崇められたことが、日本の学歴社会の始まりであるように思います。

1970年代までは一部大手企業の新卒採用において、企業側がこれらの大学に推薦を依頼し、推薦を受けた学生しか選考に参加させない「指定校制度」というものが存在しました。

指定校制度は、学生紛争などを経て大学の姿勢が変化したことや、大学数と学生数の急増により批判が高まってきたこともあって、表向きは姿を消すことになります。

しかし、時同じくして1970年代に「偏差値」で大学の入学試験の難易度を測ることが一般的になり、指定校制度は偏差値至上主義に形を変え、新卒採用における序列的な価値観を確立します。こうして暗黙の指定校制度は残り、学歴社会は脈々と生きてきたわけなのです。

1980年代は全般的に好景気に後押しされた売り手市場が長く続いたことで、新卒者が採用からあぶれることも少なく、新卒採用において学歴偏重の是非が大きく問われることはありませんでした。

1990年代に入るとバブル経済期が終焉(しゅうえん)を告げ長期低成長の時代に入ったことで、採用市場はそれまでの売り手市場から一気に買い手市場に転じます。ここでようやく、就職氷河期などにおいてもなお実質的な学歴偏重主義を貫く大手企業の新卒採用姿勢に、疑問の目が向けられるようになってきたのです。

学歴フィルターを否定する企業が登場したけれど

では、その後の大手企業における採用姿勢に大きな変化があったのかといえば、実際にはそれはなかったのではないでしょうか。ソニーが出身大学名を伏せて採用応募をさせるという、学歴フィルターを否定する採用方針を打ち出したのが1991年のことでした。

大手企業はどこも採用方針に「人物重視」を前面に掲げていながら、このソニーの方針に追随する企業はほとんどありませんでした。理由は簡単です。「人物重視」をうたっていながら、大半の企業は学歴情報のない採用には自信が持てなかったということに他ならないのです。

同時に、高度成長期~バブル期における大量採用の時代に学歴偏重採用を続けてきた経験から、「高偏差値大学の出身者はおしなべてハズレが少なかった(大手企業採用担当経験者)」ということが、採用労力的にも楽な学歴偏重採用を続けてきた大きな理由になっているように思われます。

その結果、大手の一流企業と呼ばれるところに多く卒業生が就職する大学、言い換えれば一流企業から採用したいと思われる大学のブランド価値が高まってしまい、いたって人為的なヒエラルキーが確立されたということになったわけなのです。

終身雇用を前提とした就活の時代には、確かに好待遇の大手企業に就職すれば一生安泰でそれなりの生活が保障されるという考え方が主流で、出身大学の偏差値の高さは生涯収入とある程度リンクしていたのかもしれません。

しかし、バブル経済崩壊後の長期低成長時代に転じた日本においては、終身雇用、年功序列は雇用の常識ではなくなり、転職の活性化や独立、起業の活発化によって社会の実力主義化は徐々に浸透してきたと言えます。今や高学歴が、必ずしも経済的上流階級を保証するものではなくなったと言えるでしょう。

「高学歴=特権階級=勝ち組」?

それでも冒頭のYouTuberのような、学歴偏重の思想が消えないのはなぜなのでしょうか。

おそらくテレビを筆頭としたマスメディアの影響は、否定できないでしょう。

人物紹介で何かと「東大卒の」「早慶卒の」「難関大学卒の」という形容詞が使われ、例えばスポーツ選手が好成績を残したときにその人物が高学歴であると、「〇〇大卒のエリート」というような表現で「文武両道」と必要以上にほめ称えたり、タレントでも高偏差値大学出身者をことさらにエリート扱いするというような風潮が、今も平然とまかり通っているのです。

歴史をひも解けば、学歴社会意識のベースとも言える日本人の階級社会意識は、厳格な身分制度が存在した江戸時代にその根源があると言えます。明治、大正時代には表向きは四民平等がうたわれながらも、華族を上流階級とした実質的な階級社会が残りました。

そして戦後、新憲法の下で階級社会が完全消滅しても長らくその存在を意識してきた日本人に、「特権階級=勝ち組」という意識は消えることがなく、平等社会においても特権階級に対する目に見えない憧れが日本人の中に脈々と巣食ってきたのではないかと思うのです。

先のマスメディアの姿勢もその現れでしょう。小学生の子どもを持つ親はこれらの影響を受けて、我が子の高偏差値大学合格を最終目標として、まずは「高偏差値・進学校」に入学させるべく塾通いをさせるわけなのです。

このような国民的な潜在意識の下で、「高学歴=特権階級=勝ち組」になったと勘違いした人たちが学歴を盾に上から目線を投じている、冒頭のYouTuberはそんな存在かもしれません。

今回の議論を読むにつけ、時代が大きく変わってきている今もなお、学歴偏重を助長するような偏った取り上げ方を続けている罪作りなマスメディアの論調こそ、責められてしかるべきなのではないかと思う次第です。

大関 暁夫プロフィール

経営コンサルタント。横浜銀行入行後、支店長として数多くの企業の組織活動のアドバイザリーを務めるとともに、本部勤務時代には経営企画部門、マーケティング部門を歴任し自社の組織運営にも腕をふるった。独立後は、企業コンサルタントや企業アナリストとして、多くのメディアで執筆中。
(文:大関 暁夫(組織マネジメントガイド))

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