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『となりのトトロ』はなぜ「姉妹」の物語なのか。宮崎駿監督の優しさと“抱き付くシーン”の感動の理由

オールアバウト / 2024年8月23日 19時50分

『となりのトトロ』はなぜ「姉妹」の物語なのか。宮崎駿監督の優しさと“抱き付くシーン”の感動の理由

2024年8月23日に『金曜ロードショー』(日本テレビ系)で放送される『となりのトトロ』。「姉妹」の物語としての尊さや、“抱き付く”シーンの感動の理由などを、宮崎駿監督の言葉を交えて解説します。(※サムネイル画像出典:(C)1988 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli)

2024年8月23日、『金曜ロードショー』(日本テレビ系)にて、『となりのトトロ』が放送されます。

ここでは、ぜひ注目してほしい劇中の“抱き付く”シーンの意図について解説するとともに、トトロが「いてくれるだけでいい」存在であることや、サツキの描写における宮崎駿監督の優しさ、さらには“姉妹”の物語になった理由も記してみます。

※以下からは『となりのトトロ』の結末も含むネタバレに触れています。ご注意ください。

1:サツキはメイよりも先に“飛び出る”。しかし、病院では……

まず注目して欲しいのは、劇中で「しっかり者」に見えることが多い小学6年生のサツキが、実は4歳のメイよりも「先に飛び出ていく」「正直すぎることを言っている」ことです。

例えば、初めて引っ越し先の新しい家の近くに来たとき、トラックから勢いよく先に飛び出したのはサツキの方です。サツキは「木のトンネル」に感動し、メイとお父さんに「早くーっ!」と急かして、さらには一軒家を見て「わあーっ、ボロッ!」と言ってしまうのです。(C)1988 Hayao Miyazaki/Studio Ghibliしかし、お母さんのお見舞いに来た時は、サツキの態度がガラリと変わります。サツキは病室に入る時に他の患者さんに「こんにちは」とあいさつをする一方、メイは「あーっ! お母さーん!」とすぐに飛び出して抱き付くのです。一軒家に初めて来た時はメイよりも好奇心旺盛で無邪気にも見えるサツキでしたが、ここでは「周りの大人に配慮している」ことが分かります。

一方、バス停でトトロの姿を初めて見たサツキは、その後にバスから降りてきたお父さんにメイと同時に抱き付いて、「(ネコバスが)こわーい!」「えへへ、会っちゃった、トトロに会っちゃった! すてきーっ!」などと心からうれしそうに話していました。

夜の庭でトトロがコマに乗った時……メイは大喜びし、すぐにジャンプしてトトロに抱き付きますが、サツキはすぐには同じようにできません。しかし、トトロの笑顔を見たサツキは、打って変わって喜びでいっぱいの顔になり、メイと同じように抱き付き、「私たち、風になってる!」と大きな声で言うのです。 サツキは、トトロの笑顔を見て「今は背のびをやめてもいい」「子どもとして無邪気に振る舞っていい」のだと気付き(あるいはそのことすらも意識せず)、思い切って抱き付くことができたのでしょう。

2:「ただいてくれるだけでいい」トトロの存在

トトロは、サツキやメイにとって(トトロはそんな意思なんて持っていないでしょうが)「周りを気にせず子どもらしく振る舞っていい」ことを示してくれる存在ともいえます。事実、宮崎監督は「サツキとメイにとって、トトロと出会うということは、どういうことなのか?」という質問に対して、こう答えています。(以下、宮崎監督の言葉は『ジブリの教科書3 となりのトトロ』(文藝春秋/2013年)より引用)

「「トトロが存在してることだけで、サツキとメイは救われてるんですよ。“存在しているだけで”です。迷子を見つける時に、手助けしてくれたけれども、でもあの時トトロが一緒に行っちゃダメだと思ったんです。(中略)トトロはいるんですよ。いることによって、サツキやメイは孤立無援じゃないんですよ。それでいいんじゃないかと思うんですよ……」」

終盤でトトロは「ネコバス」という別の存在を呼び、そのネコバスが迷子になったメイの元へと連れて行ってくれたりはしましたが、なるほど、それ以外ではトトロは「ほとんど何もしていない」ともいえます。(C)1988 Hayao Miyazaki/Studio Ghibliトトロは初めてメイと出会った時もほぼ寝ているだけで、一緒にバスを待っていた時もサツキとメイに木の実が入った包みを差し出したくらい。トトロに抱き付いて飛ぶシーンも、宮崎監督は「『ああっ、私たち、風になってる!』、それでおしまいでいいんです。それ以上、何があるかと言われても、それだけなんですよ」と答えていたりもするのです。

トトロはもちろんファンタジーの存在ではあるのですが、一方で現実の子どもにも存在し得るイマジナリーフレンド(想像上の友達)だと解釈することもできますし、それは子どもにとって本当にいてくれる(と信じている)だけで精神的な支えになっているといえます。「いてくれるだけでいい」存在を改めて示すこと、それを豊かなアニメで表現していることも、『となりのトトロ』の大きな意義だと思うのです。

3:サツキの不安な心を支えていた「髪をとかす」こと

前述してきた通り、サツキは好奇心旺盛で無邪気な女の子であるはずなのですが、内面ではとてつもない不安を抱えています。劇中でも、終盤では「お母さん、死んじゃったらどうしよう」と言い、こらえきれずに泣きじゃくってしまうのです。お母さんも「あの子たち、見かけよりずっと無理してきたと思うの。サツキなんか聞き分けがいいから、なおのことかわいそう」と言っていました。

宮崎監督の以下の言葉からも、サツキの気持ちが表れています。

「「サツキとメイの関係を見ていくと、メイの方が物をあんまり深く考えないでそのまま生きてるから、メイはあまり鬱屈してないんですよ。で、サツキは絶対鬱屈するんですよ。なぜかというと、良い子すぎる。無理があるんだ、ということをはっきり、こう本人も無理を認めた方がサツキも楽なんです。(中略)一回ね、サツキがどなって、泣いてということをしてあげないと、サツキが浮かばれないと思ったんです。だから、母親が病院で言ってるでしょう、サツキがかわいそうだって。そのくらい理解してあげないと、サツキは不良少女になっちゃうなと思いましたから……」」

前述した通り、病室ではお母さんにすぐに抱き付くことができなかったサツキでしたが、それでも「お母さんに髪をといてもらう」シーンがあり、それを宮崎監督は重要だと捉えていたようです。(C)1988 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli「「病院にお見舞いに行ったからって、抱きつくわけにもいかない―つまり、サツキがちょっと恥ずかしくってすぐ寄って行かないのが、もっとなんですね。そうすると、サツキのおふくろさんはどうするだろう……たぶん髪の毛でもとかしてあげるんじゃないかな―そうすることによって一種のスキンシップをやってると思うんです。それが実はサツキを支えているんですね」」

そして、エンディングの絵についても、宮崎監督はこう答えています。

「「だから、エンディングの止めの絵も、お母さんが帰ってきたら安心して、普通の子どもにまじって遊んでいるサツキにしたんです。顔も似てるからどれがサツキかわからないくらいで、それでいいんだ。メイも、いつも姉さんにつつき回されてる妹じゃなくて自分よりチビができて、それを引きつれて遊ぶんだというふうにしてあげた方がいい」」

サツキはまだ4歳であるメイの「姉」として、しっかりしなければならないという責任感も間違いなくあったのでしょう。しかし、そんなサツキもまだ12歳の女の子。自分たちから離れて入院をしているお母さんのこともあって、子どもらしい不安は蓄積しています。

サツキの気持ちを、「ついに泣いてしまう」「お母さんに髪をといてもらう」「普通の子どもに交じって遊んでいる」ことで表現する宮崎監督は、どこまでも優しいと思います。

余談その1:そもそも主人公が「姉妹」になった理由は?

ちなみに、初期イメージボードの段階では『となりのトトロ』の主人公となる女の子は1人だけであり、それはポスターでトトロの隣にいる女の子が1人だけになっていることからも分かるでしょう(しかも、ヘアスタイルや背の高さや着ている洋服が「サツキとメイを合わせたもの」)。

では、なぜ姉妹になったのかといえば、同時上映された高畑勲監督による『火垂るの墓』の上映時間が関係しています。宮崎監督は、『火垂るの墓』の尺が当初予定されていた60分から約80分(実際の上映時間は88分)に延びることを聞き、対抗心に燃えて「映画を長くするいい方法はないか」と言い出し、主人公の女の子を姉妹にすることを思いついたのだとか。一連の流れから、鈴木敏夫プロデューサーは「サツキとメイは宮崎駿の負けず嫌いの性格から誕生したのです」と明言しています。 とはいえ、前述してきた通り、『となりのトトロ』は主人公2人が姉妹だからこそ、サツキの心情が丁寧に描かれた作品になったのも事実。さらに宮崎駿監督自身は、主人公を姉妹にした理由について、「僕が男(しかも4人兄弟でみんな男)だから」「あまりに自分の子ども時代のこととオーバーラップしてしまうものは作りたくない」「僕自身と母親との関係てのは、あんなサツキみたいに親しいものじゃないですからね」とも答えています。

つまりは、「自分ではない」、理想的ともいえる、姉妹や母親との関係を描きたい……そうした宮崎駿監督の気持ちが、「お母さんに髪をといてもらうサツキ」などに明確に表れているのでしょう。

余談その2:「サツキが不良少女になった」ようなアニメ映画も

この『となりのトトロ』のオマージュかもしれないと、振り返って思うアニメ映画も、この2024年に公開されていました。それは『化け猫あんずちゃん』です。
主人公は、姉妹のいない小学5年生の女の子「かりん」です。お母さんは亡くなり、お父さんは借金を抱えたロクデナシ。彼女の中にはそうした事情による不満や不安が積み重なり、はっきりと悪意として表出させてしまう……という、前述した宮崎監督の「サツキは不良少女になっちゃう」をそのまま表現したような存在だと思えたからです。

さらに、もう1人の主人公である化け猫あんずちゃんは普段はダメダメな中年で、初めこそかりんに毛嫌いされてしまう一方、その存在が次第に「いるだけ」でかりんの支えになってきていると思える場面もあります。彼女がずんぐりむっくりとした体形のあんずちゃんに「抱き付く」シーンは『となりのトトロ』とは全く違うタイミングでありつつも、やはり感動的だったのです。

『化け猫あんずちゃん』は日本国内の劇場の多くで上映終了となりましたが、8月30日より京都の映画館・出町座、9月6日より下北沢の映画館・トリウッドなどでも上映されます。ぜひ、『となりのトトロ』が好きな人にも積極的に見に行ってみてほしいです。

この記事の筆者:ヒナタカ プロフィール
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「CINEMAS+」「女子SPA!」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。
(文:ヒナタカ)

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