日本にとっても他人事ではない「中国スパイ」の脅威。フィリピン元市長の「なりすまし事件」から考える
オールアバウト / 2024年9月6日 20時40分
9月6日、フィリピン元市長のアリス・グオ氏が逮捕された。経歴から、彼女は「中国スパイ」だとみられており、世界中で大きな問題となっている。日本にとっても他人事ではない「中国スパイ」問題を考える。
いま、フィリピン発のとんでもない「スパイ」の話が世界的な問題になっている。
渦中の人物は、フィリピンの首都マニラの北部にあるタルラック州バンバン市のアリス・グオ元市長だ。2022年から市長を務めてきたこの人物が、実は中国のスパイだと見られており、疑惑から逃れるために逃亡していたインドネシアで9月4日に拘束され、6日に強制送還された後、逮捕された。
最近、世界各地で「中国のスパイが暗躍している」として数多くのケースが取り沙汰されている。そんな中国スパイにからむニュースの中でも、このグオ元市長の話は、史上まれに見るようなスパイ騒動に発展している。今回は、グオ元市長の問題と中国スパイの実態に迫ってみたい。中国スパイの脅威は、日本にも決して無関係ではない。
高級バッグやネックレスは「人身売買」への関与で得たものか
グオ元市長が、バンバン市の市長になったのは2022年のこと。もともとは地元で成功したビジネスパーソンだった(という触れ込みだった)。養豚ビジネスやカーディーラーなどを運営していたという。そんな市長が、2024年7月に汚職に絡み、フィリピン議会上院の調査を受けることになった。
フィリピンでは2016年から、政府がPOGO(フィリピン・オフショア・ギャンブリング・オペレーター)という外国人顧客向けオンラインカジノの運営を許可する制度を開始している。
3月、バンバン市にあるPOGO運営企業が、大統領府管轄の組織犯罪対策委員会(PAOCC)の捜査対象となり、摘発が行われた。その捜査で、人身売買で連れてこられた人を含む1000人ほどの労働者と、マネーロンダリングなど金融犯罪の証拠が発見された。さらに地下には、逃亡用のトンネルなども用意されていたのである。
捜査では、その企業の運営にグオ氏が裏で深く関わっており、犯罪行為に加担して大金を受け取るなど汚職に手を染めている証拠が見つかった。
グオ氏はたびたび高級ブランド品などで身を包んでおり、SNSなどでその豪華なグッズが注目を集めていた。高級車であるロールス・ロイスの前で記念撮影をした際には、彼女の高級バッグやネックレスなどが話題になった。そうした高級品などは、汚職で得たものだと指摘されている。
アリス・グオという名前も虚偽、実際には「中国生まれの中国人」だった
一連の調査により、さらにとんでもない事実が明らかになった。グオ氏の出自から、経歴などがうそだらけであることが分かったのである。公聴会に召喚されたグオ氏は、来歴などさまざまな質問に答えるはずだったが、その回答は「本当は自分の出生地は知らない」「出生届は17歳の時に提出された」「子ども時代の記憶がない」「学校は行かずホームスクールで学んだ」など、支離滅裂でひどいものであった。さらに、父親はフィリピン人だと言っていたにもかかわらず、実際は中国人だったことも明らかになった。
それだけではない。アリス・グオという名前も、実は本名ではなかった。彼女の実名は「Guo Hua Ping(グオ・フア・ピン)」であり、フィリピン生まれと主張していたが、実際には中国生まれの中国人。13歳の時に、中国人家族と一緒に中国の福建省からフィリピンに移住していた。
さらに、アリス・グオという名前でグオ氏が登録していた誕生日などと一致するフィリピン人女性の存在が書類で発見されている。グオ氏は本物のアリス・グオになりすましていたのだ。かつ本物のアリス・グオは行方不明になっているという。ちなみにグオ氏の中国時代の書類の生年月日は全く異なるものだった。
市長当選も、果たして「正当なもの」だったのか
議会の捜査ではさらに、グオ氏がフィリピン政府に入り込み、中国がフィリピンの政治に影響力を持つために訓練された「スパイ」の可能性があると指摘されている。その過程で、オンラインカジノを隠れみのに、数々の犯罪にも手を染めていたというわけだ。捜査が進展する中で、グオ氏は市長職を停止された。すると彼女は5月から行方不明になり、海外に高跳びした。現地の報道によれば、フィリピンからマレーシアに飛行機で移動し、そこからまたシンガポールに飛んで、1カ月ほどシンガポールで過ごしていたという。そこからフェリーでインドネシアに逃げていたところを発見され、逮捕された。逮捕容疑は、POGO企業での人身売買に関与したことだった。
中国スパイがフィリピン市長になり、金を稼いで、さらに政界での影響力を広げていくーーグオ氏はそういう筋書きで活動をしていたと指摘されている。そもそも、市長になった際の投票すら正当なものだったのかは分からない。金をばらまいていた可能性もある。これからそうした工作の全てが明らかにされるだろう。
世界中を静かに侵略する「中国スパイ活動」
このケースは世界各地で暗躍している中国スパイ活動の氷山の一角に過ぎない。アメリカの元情報関係者も筆者に、中国政府は近年、世界中で政界に入り込み、国家の対中政策に影響を与えるよう動いていると指摘する。オーストラリアでは2018年に『サイレント・インベージョン ~オーストラリアにおける中国の影響~』という書籍が出版され、中国政府がスパイなどを使ってオーストラリアの政界へ影響力を高めようとしている実態が明らかにされている。まさに水面下で「サイレント・インベージョン(静かなる侵略)」が進められていた。
例えば、当時オーストラリアでは、車販売で成功していたメルボルン市の中国系ビジネスマンが中国人スパイから政界進出を持ちかけられ断り、遺体となって発見される事件が起きるなど物騒な話も話題となった。
アメリカでは9月3日に、ニューヨーク州のキャシー・ホークル知事の補佐官を務めていた中国系アメリカ人のリンダ・サン被告が起訴されて大騒動になっている。サン被告は、知事の情報を中国側に提供したり、知事に中国寄りのアドバイスなどをしたりすることで影響を与えており、例えば、中国と対立する台湾の高官がニューヨークに訪問するのを妨害したり、州の発表から新疆(しんきょう)ウイグル地区にからむ記述を削除するなどしていた。
そして中国のための工作の見返りとして、多額の金銭を受け取っていたという。金銭を隠すために、家族を巻き込んで不動産を買うなどマネーロンダリングも行っていたと言及されている。
日本にとっても他人事ではない
こうした話は、日本も決して対岸の火事ではない。日本の公安当局者は、「中国政府関係者はスパイなどを使って日本の政界に侵入し、対中政策に影響を与えようとしている。中国政府のために動いてくれる政治家を誕生させる目的で工作も行っている」と指摘している。実際に、中国政府関係者がひそかに日本の現役国会議員秘書として活動していたケースも明らかになっているし、中国大使館などによく出入りしている国会議員や地方議会議員なども確認されている。フィリピンでのケースは特に書類管理などが比較的緩いフィリピンだったから可能だったのかもしれないが、オーストラリアやアメリカのケースなどからも分かる通り、中国スパイが政界工作を狙っているのは間違いない。日本もその現実を改めて認識して、きちんと対応していくことが求められる。
この記事の筆者:山田 敏弘
ジャーナリスト、研究者。講談社、ロイター通信社、ニューズウィーク日本版に勤務後、米マサチューセッツ工科大学(MIT)でフェローを経てフリーに。 国際情勢や社会問題、サイバー安全保障を中心に国内外で取材・執筆を行い、訳書に『黒いワールドカップ』(講談社)など、著書に『ゼロデイ 米中露サイバー戦争が世界を破壊する』(文藝春秋)、『モンスター 暗躍する次のアルカイダ』(中央公論新社)、『ハリウッド検視ファイル トーマス野口の遺言』(新潮社)、『CIAスパイ養成官 キヨ・ヤマダの対日工作』(新潮社)、『サイバー戦争の今』(KKベストセラーズ)、『世界のスパイから喰いモノにされる日本 MI6、CIAの厳秘インテリジェンス』(講談社+α新書)。近著に『プーチンと習近平 独裁者のサイバー戦争』(文春新書)がある。
(文:山田 敏弘)
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