【元日本代表・細貝萌】38歳、大病を患っても「現役」を続ける理由。娘と交わした、ただ1つの約束とは
オールアバウト / 2024年10月8日 21時25分
1人娘の子育ては、基本的に妻でモデルの中村明花に任せているという元サッカー日本代表の細貝萌。それでも、ただ1つだけ娘と約束していることがあるという。その約束とは……?
妻、中村明花との予想外の新婚ライフ
浦和レッズで不動のレギュラーとなった細貝萌がドイツへと渡るのは、入団5年目のシーズンを終えた2011年の1月。それから約2カ月後の3月10日には、ファッションモデルの中村明花との結婚を、メディアを通じて発表する。そう、東日本大震災の前日のことだ。
「当然、僕の結婚の話題なんて吹き飛びましたが、シーズンの準備のため先に単身ドイツへ渡っていたので、とにかく日本にいる家族のことが心配でした。日本では規制がかかるような映像も、向こうでは平気で流していましたから……」
幸いにして、群馬の両親も、埼玉にいた妻も、そして千葉に住む妻の両親も無事だったが、夢に見たヨーロッパの地でのプロ生活と新婚生活は、想像もしない波乱に満ちたスタートとなった。
それでも、アウクスブルクでの2年目のシーズン(2011~2012)には39試合に出場してチームの1部残留に貢献。その後もバイエル・レバークーゼン、ヘルタ・ベルリン、トルコのブルサスポルと移籍しながら着実にヨーロッパでキャリアを重ねていった細貝に待望の第1子が誕生するのは、ちょうどブルサスポルでのシーズン(2015~2016)を終え、日本に帰国していた2016年6月のことだった。
父親として、現在小学2年生になった長女とは、どのように向き合っているのか。インタビューの後編ではその子育て論を聞くと共に、家族の大切さをあらためて知ることになったという、2018年の年末に見舞われた自身の大病についても語ってもらった。
インターナショナルな環境が育んだ長女の性格
「社交的というか、全く人見知りをしない子で……。さすがに小学生になってからは落ち着きましたが、小さい頃は誰にでもついて行っちゃうような子で、本当に大丈夫かなって心配になるくらいでした(笑)」そう言って細貝が気をもむほど、長女が社交性豊かな性格になったのは、育った環境も大きく影響している。生後3カ月で細貝の待つドイツへ渡るが、その3カ月後には細貝の柏レイソルへの移籍に伴い、日本へ。さらにタイのブリーラム・ユナイテッド、バンコク・ユナイテッドと、父親の移籍した先々で誕生日を迎えてきた。
「幼稚園だけでも3回変わりましたからね。タイではアメリカンスクールに通っていたんですが、地方都市のブリーラムには日本人もいなくて、最初の数日はずっと泣いていたんです。それでも英語が理解できるようになると、どんどん人との接し方が上手になった。向こうの選手たちとの食事会にもよく連れて行ったんですが、さまざまな人種の中に入ってもまったく物おじしなくなりましたね。大変だったでしょうが、とても良い経験になったと思います」
「ママを悲しませたらいけないよ」娘とのただ1つの約束
現在は群馬でともに暮らす長女。しつけに関して特別に意識していることはあるのかと細貝に聞けば、「ないですね」と即答する。「ご飯を食べるときにテーブルに肘をつかないとか、食べ終わった食器は自分で片付けるとか、そういった当たり前のことは妻がしっかり言い聞かせてくれていますが、それくらい。そうそう、僕はいつも妻に食事の後片付けをしてもらっているので、1度娘に言われてしまいましたよ。『パパ、お片付けしてないじゃん』って(笑)」
そんな細貝だが、1つだけ娘と約束していることがあるという。
「『ママを悲しませたらいけないよ』。それだけはずっと言い続けていますね。基本的には妻のような女性に育ってほしいし、妻が悲しむようなことをしなければ、それは真っすぐに育ってくれているということだと思いますから。だから、叱られたりすると僕に謝りに来るんです。たぶん、パパは怒らないと思っているんでしょうね(笑)」
では、娘の将来についてはどう考えているのだろう。現在は英会話や体操教室などさまざまな習い事をさせていて、これから水泳やゴルフのレッスンに通う予定もあるそうだ。自分が両親から多くの選択肢を与えてもらったように、娘にもやりたいことは全てやらせてあげたいという。
「それで楽しめるものが見つかれば続ければいいし、たとえ続かなかったとしても、その経験が何かしらの形で将来につながればいいなと思っています。すごくアクティブな子で、ゲームをするよりも外で遊びたいタイプ。実はほんの遊びレベルですが、サッカーもやっていて。僕に似たのか、結構負けず嫌いな性格をしていますよ(笑)。ただ、サッカー選手になるのは……どうかな。まあ、きっと他にやりたいことが見つかるでしょう」
突然の「膵のう胞性腫瘍」宣告
38歳とベテランと呼ばれる年齢になっても現役を続ける理由には、「娘にサッカーをしている姿をもっと見せたい」という思いも、当然ながらある。そして、そうした思いを強くしたきっかけが、2018年の年末に膵のう胞性腫瘍というがんの一種を患ったことだった。ちょうど柏レイソルからブリーラムへの移籍が決まったころ、体調不良で病院を訪れた細貝は、悪化すれば命にかかわる大病であることを告げられる。「もう頭の中が真っ白になりましたね。“沈黙の臓器”と呼ばれるすい臓はなかなか発見が難しくて、腫瘍が見つかったときには余命1年とか2年とか、進行が早いんです。ああ、俺はもうダメなのかなって思いましたね」
腹部を6カ所も切る大手術は成功したが、HCU(高度治療室)に入っていた2日間は、たまらなくつらかったという。
「体中をいろんなコードにつながれて、寝返りも打てない状態でしたからね。その後、少しずつ良くなってリハビリをするようになったんですが、最初の歩行訓練はサポートをしてもらいながら1日で10メートルずつの往復をするのがやっと。もうプレーするのは無理だろうなって、そのときは思いましたね」
弱音を吐いたパパに、妻と娘は……
折れそうになった細貝の心に寄り添い、支えたのは、やはり家族だった。「サッカーを辞めようと思う」──そう妻に告げると、こんな言葉が返ってきたという。《いいんじゃない、ここまで頑張ってきたんだから》
「すんなりそう言われて、なんだかすごく心が落ち着いたんです。もしそこで、『リハビリを頑張ればまだできるよ』って言われていたら、今のこの状況はなかったかもしれません。そのあたりは、僕の性格も知った上でしょうね」
当時、まだ2歳だった長女にも思わず弱音を吐いたそうだ。
「もし自分がこのまま死んだら、この子は何も覚えていないんだろうなとか、今の貯金で妻と娘は生活していけるのかなとか、1番つらい時期はいろんなことが頭をよぎりましたね。でも、『パパ、ちょっとヤバいかも』って娘に言うと、いいから遊ぼうよ、みたいな感じでおもちゃを持ってくるんですね。その無邪気さに救われました」
大病を患ってあらためて気付かされたのは、家族のありがたみと同時に、健康の大切さだった。腎臓の病気に苦しむ兄・拓の姿を見て育った細貝は、自身が膵のう胞性腫瘍になる以前から難病患者をサポートする活動に携わり、CTEPH(シーテフ=慢性血栓そくせん性肺高血圧症)の啓発大使も務めていたが、「自分が病気になってみて、より病と闘う人たちの気持ちが分かるようになった」と話す。
「手術をしてくれたドクターをはじめ、たくさんの人のサポートがあって今がある。医療に関してはすごく関心があるし、今後自分が力になれることがあれば、ぜひやっていきたいと思っています」
誰かを勇気づけたいという思い以上に……
その後、つらいリハビリを乗り越えた細貝は、驚異的なスピードで復帰を果たす。だが、世間には病気の事実を公表していなかったため、闘病生活中の“空白期間”についてはさまざまな憶測が飛び交った。「ブリーラムに移籍が決まったのに合流もしていないから、『細貝はどこに行ったんだ?』って言われていた時期もあったみたいです(笑)。でも再びサッカーができるようになっただけで十分だったし、自分は病気だったけどこうして頑張ってるよって、わざわざ言うのも違うのかなって」
しかし、2年前のテレビ番組でようやく細貝は真実を公表する。
「番組スタッフから、『公表することで病気と闘っている多くの人を勇気づけられるんじゃないですか?』と言われて、確かにそうかもしれないなと。実際、放送後には同じ病気の方からたくさんのメッセージもいただきましたし。ただ──」
ひと呼吸おいて、こう続ける。
「僕が今も現役を続けているのは、誰かを勇気づけたいという思いもありますが、それ以上に、サッカーをしているときの自分が1番充実しているからなんです。もちろん、いつかは引退を決断しなくてはならないし、引退後の自分にはどんな価値があるのかってことも考えなくてはならない年齢でもあります。けれど現役でプレーしている以上は、選手としての存在価値を証明することにフォーカスしなきゃいけない。その情熱がある限り、ピッチに立ち続けたいと思っています」
幼い頃から変わらず、38歳の今も細貝にとってサッカーは、情熱を傾けられる1番の対象なのだ。現在は地元・前橋にフットサルコートを作り、定期的に子どもたちに指導もしているが、サッカーが上達する上で何よりも大切なのは、「好きでいること、情熱を持ち続けること」だと言い切る。
サッカーに情熱を傾けた時間は、どんな道に進んでも必ず生きる
「今は簡単にトッププレーヤーの映像も見られますし、普段のトレーニングもより科学的に進歩しています。実際、今の子たちは上手ですよ。ただ、時代は変わっても本質の部分は変わりません。結局はどれだけサッカーを好きでいられるか、だと思います。好きだったら誰よりも練習もするし、たくさん食べて、ちゃんと寝て、人のアドバイスもよく聞く。僕自身も、『自分が1番のサッカー好きだ』と思いながら、ずっとやってきましたから」では、そうした子どもたちを、親はどのように支えていくべきなのか。最後に聞いてみた。
「とにかく愛情を持って子どもに接することでしょうね。そして今、お子さんがサッカー選手になりたいと思っているなら、そのためにベストを尽くしてあげること。結果、たとえ夢がかなわなかったとしても、サッカーに情熱を傾けた時間だったり、そこで築いた人間関係だったりは、将来に必ず生きてきます。人生の選択肢は他にもたくさんあるということを、まずは親が理解しておくべきでしょうね」
細貝萌(ほそがい・はじめ)
1986年6月10日生まれ。群馬県前橋市出身。強豪・前橋育英高校で10番を背負った3年時にインターハイで3位になるなど実績を残し、特別指定選手を経て2005年に浦和レッズに入団。ユーティリティープレーヤーとして5年間活躍したのち、ドイツへ渡る。アウクスブルク、バイエル・レバークーゼン、ヘルタ・ベルリン、シュツットガルトを渡り歩いたブンデスリーガでは1部と2部を合わせて公式戦119試合に出場した。トルコやタイのクラブでもプレーし、2021年9月にJ2のザスパ群馬へ移籍。38歳の現在も地元のクラブで戦い続けている。日本代表歴は通算30試合・1得点。前橋市に自ら設立したフットサル場で子どもたちの指導も行い、またCTEPH(シーテフ=慢性血栓塞栓性肺高血圧症)という難病の啓発大使としても活動している。
この記事の執筆者:吉田 治良 プロフィール
1967年生まれ。法政大学を卒業後、ファッション誌の編集者を経て、『サッカーダイジェスト』編集部へ。2000年から約10年にわたって『ワールドサッカーダイジェスト』の編集長を務める。2017年に独立。現在はフリーのライター/編集者。(文:吉田 治良)
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