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映画『どうすればよかったか?』は、統合失調症対応の「失敗例」なのか。簡単には答えを言えない理由

オールアバウト / 2024年12月20日 20時35分

映画『どうすればよかったか?』は、統合失調症対応の「失敗例」なのか。簡単には答えを言えない理由

姉が統合失調症になった20年を記録したドキュメンタリー映画『どうすればよかったか?』は、東京都の映画館で「全回満席」が続いていました。ここまでの話題を集めた理由、またタイトルが問い掛けているものは何か、解説します。(※サムネイル画像出典:(C)2024動画工房ぞうしま)

12月7日より公開中のドキュメンタリー映画『どうすればよかったか?』は、東京都の映画館で週末に「全回満席」が相次いでいました。

ポレポレ東中野では週末の全ての回が満席で当日券を買うことができず、その後の平日の予約でも半数以上の席が埋まっているといった報告がありました。1日1回のみの上映だったヒューマントラストシネマ有楽町やテアトル新宿でも公開2週目の週末は満席で、平日でも満席に近い盛況に。

実際に見た人からの評価も高く、記事執筆時点でFilmarksでは4.2点、映画.comでは4.1点を記録しています。徐々に上映館も増えており、ロングランの期待が高まる本作がここまでの注目を集めている理由は、後述するように「誰の家族にとっても起こり得る問題」を描いていることにもあるでしょう。そして、ドキュメンタリーならではの「視点」をもって映し出していることに、強い意義を感じる内容でした。映画の特徴を詳しく記していきましょう。

統合失調症における対応の「失敗例」である

本作は、統合失調症の症状が現れた8歳違いの姉と、彼女を精神科の受診から遠ざけた両親の姿を20年にわたる映像で記録しています(姉が24歳で統合失調症を発症した時から数えれば25年以上)。本作について、藤野知明監督は以下のメッセージを掲げています。

「姉はたくさん才能を持って生まれましたが、発症してからは、それを十分に発揮することなく、ほとんど独りで生きていました。
我が家の25年は統合失調症の対応の失敗例です。
どうすればよかったか?
このタイトルは私への問い、両親への問い、そして観客に考えてほしい問いです。
撮影も編集も拙いですが
見るに値するものが映っていると思います。」

第三者からすれば「失敗例」という言葉には強い抵抗感がありますが、当事者の家族かつ、その記録をした立場から、そう断言することに迫力を感じます。そして、劇場パンフレットおよび映画の冒頭のテロップでは、以下の文言もはっきりと書かれています。

「この映画は姉が統合失調症を発症した理由を究明することを目的にしてはいません
また、統合失調症とはどんな病気なのかを説明することも目的ではありません」

では、本作は何を描こうとしているのか。それは、藤野監督が言うように「どうすればよかったか?」という問いであり、それは確かに観客にも、藤野監督にも、その両親にも向けられているのです。

出来事だけをまとめれば、単純な答えを出してしまえそうだけど……

その「どうすればよかったか?」という答えは、本作が追う出来事だけを客観的にまとめれば、「じゃあこの時に、こうしていればよかったということだよね」と、あっさり単純な結論を出してしまえることなのかもしれません。

しかし、実際にこの映画を見た後では、客観的にははっきりしているはずの「どうすればよかったか?」という答えを、もう簡単には言えなくなってしまうのです。そのことにこそ、すごみが感じられます。(C)2024動画工房ぞうしま例えば作品の序盤、医学部に進学した姉の統合失調症が発覚し、藤野監督から「深刻」を超えた「絶望的な心境」が語られます。姉を病院の精神科に連れて行く判断をしたはずなのに「姉はまったく問題ない」と父が判断し、母も同じ考えに至ったことなども明かされます。

結果的に藤野監督は、姉の問題を両親に預けて別の場所で生きようとしたことで、「逃げた」とも言えるでしょう。藤野監督が後に両親の判断をとがめる場面では、申しわけないですが少しだけ「あなただって責任を放棄していたのでは?」と、思ってしまったりもしました。

しかし、それまでの過程もあり「昔から説得を試みても何も変わらなかった」ことが理解できるため、単純に藤野監督だけを責めることはできなくなりますし、その気持ちに立ってみれば、観客としても「自分も何もできないのかも」と想像できたのです。(C)2024動画工房ぞうしまそれこそが、ドキュメンタリー映像で本作を見る意義だと思います。極めて当事者に近い視点で、20年にもわたる(実質的には25年以上の)当事者の声に耳を傾ければこそ、客観的な事実を並べるだけでは分からない「どうにもできなかった」心理が伝わります。だからこそ「どうすればよかったか?」と、観客それぞれに考えさせる効果があるのです。

「親が全て先回りをして答えを出す」のは、はっきりとした問題

それでいて、「どうすればよかったか?」のヒントを超えて、一定の「答え」を劇中から見つけられるのも、本作の大きな意義でしょう。筆者が藤野監督の言葉で特に印象に残ったのは、「親が全て先回りをして答えを出すのが一番よくないと思う」でした。(C)2024動画工房ぞうしま劇中の両親は共に研究者かつ医師だったこともあってか、姉の統合失調症について「自己完結」のような判断をしてしまいます。「親が全て先回りをして答えを出す」という問題は、どの家族にも起こり得るものでしょう。それはもちろん、家族が突如として統合失調症、それ以外でも深刻な病気にかかってしまったり、事故に遭ってしまったりしたときの対応にも当てはまります。(C)2024動画工房ぞうしましかし、本作で掲げられた問題はそれだけに止まらず、子どもの進路や将来、もっといえば子どもの気持ち、そして家族の在り方さえも、両親だけで「何かを勝手に分かったような気になる」ことは、とても危険だと改めて認識できるのです。

「あっさりさ」こそが残酷で、そしてかつてない感情を呼び起こす

詳細は伏せておきますが、筆者は映画の終盤で、どうしてもあふれる涙を抑えることができませんでした。

本作で追っている出来事だけを客観的にまとめれば「あっさりと単純な答えを出してしまえる」とも前述しましたが、劇中ではとある場面で、まさにその「あっさりさ」がこそが、家族が過ごしてきた長い長い時間との対比となり、残酷にも感じてしまう一方で、その後に映し出されたことがこれまでとはまったく異なる感情を呼び起こしたからです。(C)2024動画工房ぞうしま本作は藤野監督が自ら言うように、撮影も編集もつたないところが確かにあり、そもそもがホームビデオともいえる(実際にホームビデオでもある)映像で構成されています。昨今の洗練された映像で引き込む作品とは対照的な内容です。パンフレットでは編集面での試みとその苦労が語られてはいるものの、実際に出来上がった映像ではセリフが聞き取りにくい場面もあり、(この言葉も不適切かもしれませんが)映像作品としてのクオリティーが気になったことも事実です。

しかし、藤野監督の言葉以上に「見るに値するものが映っている」ことは間違いありませんし、映画館でたくさんの観客と「どうすればよかったか?」を共に考え続ける体験は、今までのどの映画にもなかったものでした。終幕も予想外のもので、さらに複雑な思索を投げ掛けるものでした。(C)2024動画工房ぞうしまぜひ、もっと多くの人に「どうすればよかったか?」と、「自分ごと」として考えるためにも、見てほしいです。

この記事の筆者:ヒナタカ プロフィール
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「マグミクス」「NiEW(ニュー)」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。
(文:ヒナタカ)

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