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仕事を貫く確固たる私「I (アイ) 」 デザイナー・石岡瑛子に迫った展覧会が話題に

ananweb / 2024年5月14日 20時0分

仕事を貫く確固たる私「I (アイ) 」 デザイナー・石岡瑛子に迫った展覧会が話題に

デザイナー、アートディレクターとして、広告から舞台、映画まで様々な分野で活躍した石岡瑛子。’70年代にはパルコ、角川文庫など時代を席捲した媒体のキャンペーンや、ファッションショーを演出した他、’80年代にはNYを拠点に活躍。美術および衣装デザインなどボーダーレスに仕事の領域を広げ、数々の権威ある賞を受賞。そんな彼女の黎明期ともいうべき1960~’80年代の仕事を中心に、約500点もの作品を公開した展覧会が話題を呼んでいる。

石岡瑛子 I(アイ) デザイン

1938年生まれの瑛子は、働く女性がまだ少なかった時代に資生堂宣伝部に就職してデザイナーとしてのキャリアをスタート。男性の愛玩物としての女性像に疑問を抱いていた彼女は、’66年の「太陽に愛されよう 資生堂ビューティケイク」のキャンペーン広告で、人形のような美人のイメージを覆す健康的で意志的な女性像を打ち出した。

’70年にフリーランスとなり、’73年からパルコのキャンペーンを統括することに。彼女はここで性や国境、人種の枠組みを打ち破るべく、鮮烈なメッセージとともに斬新な表現を繰り広げる。「創作のゴールは、国を超え人種を超え性別を超えたところに存在する」という哲学を持っていた彼女の仕事は海外の巨匠たちの目に留まる。’80年代、NYに拠点を移してからも、ファッション写真界の巨匠アーヴィング・ペンや映画監督フランシス・フォード・コッポラとのコラボレーションを通じて、さらなる飛躍を続けた。

彼女の仕事を貫く確固たる私「I(アイ)」を支えたのは、デザインを生み出すまでの徹底した調査や、1ミリの細部にも妥協を許さない姿勢。制作の現場は常に緊張の糸が張りつめ、刃物のような存在と彼女を揶揄する人もいた。そんな声を意に介さず、「表現者にとって一番大切なのは鍛錬」とバイタリティの塊のような生涯を送った。瑛子が信じ続けた“自分力”は、今を生きる私たちにとっても必要な考え方かもしれない。

巨匠フランシス・フォード・コッポラ監督と瑛子のコラボレーションが実現した映画。『ドラキュラ』で見事アカデミー賞衣装デザイン賞を受賞。
「ドラキュラ」映画ポスター(1992年)

フェイ・ダナウェイを観音像に見立てた強烈なビジュアル。
「西洋は東洋を着こなせるか」PARCOポスター(1979年)

藤原新也とコラボレートしたパルコのキャンペーンでは、インド、モロッコ、ケニアの砂漠のまわりや山岳地域に住んでいる女性たちを撮影。都会の消費文明の最高峰ともいえるパルコが、彼女たちを「原点」と位置づけた発想が革新的だった。
「あゝ原点。」PARCO ポスター(1977年)

Who’s Eiko Ishioka

瑛子は1938年、東京都文京区生まれ。父はグラフィックデザイナーの草分けである図案家で、洗練された家庭で育った。瑛子は父譲りで絵が上手く、中学高校はお茶の水女子大学の付属に通い、高校2年の秋に東京藝術大学の学園祭に衝撃を受けて、デザインを志した。
石岡瑛子 ©Kazumi Kurigami 1983

石岡瑛子 I(アイ) デザイン 茨城県近代美術館 茨城県水戸市千波町東久保666‐1 開催中~7月7日(日)9時30分~17時(入場は閉館の30分前まで) 月曜(5/6は開館)、5/7休 一般1000円ほか TEL:029・243・5111

※『anan』2024年5月8日‐15日合併号より。文・山田貴美子

(by anan編集部)

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