「ロード・オブ・ザ・リング」で語られなかった人物から生まれたドラマ【藤津亮太のアニメの門V 114回】
アニメ!アニメ! / 2025年1月26日 17時45分
『ロード・オブ・ザ・リング/ローハンの戦い』は、語られることのなかった人物の物語だ。原作は『指輪物語 追補編』に記されたエオル王家の槌手王ヘルムにまつわる挿話。それが正攻法のスタイルのアニメーションで映画化された。
本作の3DCGと手描きの長所を合体させた制作スタイルは非常にユニークで、「求められるクオリティ」と「人的リソース」のミスマッチが顕著な今、ひとつの回答であると思うが、それについては、ほかで語ったりもしているので、本稿では本作のドラマがどのように語られていたかについて注目したいと思う。
ローハン王国。ヘルム王の評議会に、アルドン川の近傍に広大な領土を持つ領主フレカが現れた。尊大なフレカと彼のことを信用していないヘルム。フレカはヘルムに自分の息子ウルフをヘルムの娘と結婚させるように迫る。物語はここから始まる。この原作には名前すら記されていない「ヘルムの娘」が『ローハンの戦い』の主人公ヘラである。
わずかな記述しかない人物像を膨らませ、原作の記述――『追補編』の記述は『指輪物語』においては歴史に属する――を踏まえつつ、新たな物語を紡ぎ出す。この作劇のアプローチは例えば、小説を原作にした映画『バラバ』や、マンガそしてアニメ映画『アリオン』などに通じるものだ。
『バラバ』は、聖書でわずかに言及された、イエス・キリストの代わりに釈放された盗賊の物語。『アリオン』はポセイドンの息子(神話の中では馬として伝えられる)を視点人物に、ギリシャ神話を歴史物語として解釈した物語。いずれも本来の伝承の中では大きな存在でない人物に光をあて、そこから大きな物語を浮かび上がらせた。ヘラもまたそういう人物である。
物語の展開は非常にシンプルだ。
フレカは息子ウルフをヘラと結婚させろ主張する。しかしヘルムは、フレカの狙いがローハンの簒奪(さんだつ)にあると見抜き、その申し出を断る。その結果、ヘルムとフレカは、王宮の外で殴り合いの決闘をすることになる。槌手(ハンマーハンド。吹替ではハマハンドと発音)の異名のとおり、ヘルムは持ち前のその強力な拳の一撃でフレカを殺してしまう。
ウルフは復讐を誓って消え去り、やがて軍勢を整え策を講じて、ローハンへと戦争を仕掛けてくる。戦争の中で、ヘラの兄2人は命を落とし、最終的にローハンの民の運命は、ヘラに託されることになる。
ヘラという主人公は3人のキャラクターとの関係性を通じて描かれている。
ひとりめは父親ヘルム。ヘラは父ヘルムを愛しつつも、ヘルムの自尊心の高さと闘争心の強さについては心配がちに見守っている。この彼女の心情は、序盤、遅れてヘルムとフレカとの決闘の場に来たときの、従兄のフレアラフに送る「もう止められないの?」という視線の芝居に表れている。
また彼女は聡明で、ウルフとの戦争に際してはフレアラフとともにヘルムに、慎重になるよう進言もする。しかしヘルムはウルフの軍隊の正面対決を選び、それがローハンを危機に陥れることになる。
ヘルムとヘラの関係で重要なのは、終盤、ヘルムが彼女の前で膝をつくシーンだ。そこでヘルムは、ウルフとの戦いにおける自分の間違いを認める。ヘルムはヘラを守りたいと考えていたが、ヘラはすでに「勇敢で賢く、強い娘」に育っていたのだ。強き王が娘の前で膝をつくという演技と、そこで生まれるヘラとの視線のギャップ(フレームの中の頭の位置の高低差)が、ヘラがもうヘルムに守られる存在ではないことを視覚的に印象付ける。
続けて、その言葉を聞いたヘラはしゃがみ込んで、ヘルムと視線の高さを合わせるのだ。このお芝居が、ヘラの父への愛情の発露なのである。父の反省と娘の愛情を描いたこのシーンを経て、ヘルムは死を覚悟し、ヘラにローハンの民の運命を託すことになる。
ヘルムの文字通りの立ち往生の姿で、手がアップになったとき、本来なら持っていないハンマーを手にした絵がインサートされるのは「ヘルムは、ハンマーハンドとして生き、ハンマーハンドとして死んだ」という作り手のイメージであろう。
父であるヘルムに対し、侍女のオルウィンはヘラにとっての精神的な母親である。それはオルウィンが母親のようにヘラをケアしているからではない。
オルウィンとヘラの重要なのは、ウルフとの戦闘にヘルムたちが出かけていき、残されたヘラと会話をするシーンだ。ここでオルウィンは、かつて男たちがいなかったとき、女たちが盾を持って戦ったというエピソードをヘラに語る。映画冒頭では「もう残っているものはいない」と語られ、忘れ去られた存在であった「盾の乙女(シールドメイデン)」のひとりがオルウィンであったことが言外に明かされる。そしてこのオルウィンの思いがヘラに受け継がれる。
最後のウルフとの決戦のとき、男性の兵士はローハンの民の脱出のために働いていることもあり、ヘラは単独でウルフに決闘を申し込む。そしてこの戦いの最後は、オルウィンが投げてよこした盾で決着がつく。これは「盾の乙女」がここに受け継がれたという意味合いであり、映画『ロード・オブ・ザ・リング』を知っている観客であれば、本作のナレーションがやはり「ローハンの盾の乙女」と呼ばれたエオウィンであることに思い至ることになる。盾の乙女の精神は、オルウィンからヘラを経て、200年後のエオウィンまで受け継がれたのだ。
ヘルム王と2人の王子の死去により、第一家系はここで途切れ、フレアラフが王となったことで第二家系が始まる。ここにひとつの断絶がある。しかし、その一方で本作は、血統に縛られずに「継承されていくもの=盾の乙女の精神」を描いている。この継承者の側面が、ヘラとオルウィンの関係で描かれる。
オルウィンのもうひとつ、ローハンの民の運命を託されたヘラの自覚を促すと役割も担っている。ヘルムからローハンの民を託されたヘラに対し、彼女は、王とはひとりで考え決める存在であると諭す。この言葉は序盤、ヘルム王が王座に座り誰もいない広間で、ひとりで考えごとをしていたシーンと呼応して意味を持ってくる。そして同じようにひとりで王座に座るウルフの姿を照らし返すことになる。
ウルフは、ヘラの幼馴染だ。子供の頃、親にかくれて遊んでいたふたりだったが、あるとき、ヘラがウルフの左目を傷つけてしまう。ヘラは、ウルフに親しみと、自分のしてしまったことの負い目を感じてはいるが、それは男女の愛情ではなかった。ヘラから見ると、優しさから手を差し伸べてあげたい気持ちはあるが、そうではない方向へとどんどん進んでいってしまう存在がウルフなのだ。
ウルフの心情を表しているのは、首元に黒いファーがついたマント。これは父フレカが着ていたものだ。当然、序盤の評議会のときには着ておらず、再登場しローハンに戦争を仕掛けようとするシーンから、このマントを身にまとっている。これはつまりウルフの復讐心の象徴なのだ。
ヘラとの最後の決闘のとき、ウルフは最初このマントをまとっている。しかし戦いの最後の最後のときには、このマントは脱げてしまっている。マントが脱げてしまったウルフは、それまでの険しい表情ではなく、どこか悲しげな、「どこで自分は間違ってしまったのだろう」という表情を浮かべている。
そもそも中盤に王冠をかぶり王座に座るシーンがあるが、そこでウルフはただひとりだ。民が皆脱出した王都、焼けてしまった王宮、そこでただ王を名乗ることの虚しさ。ここでウルフが鏡を覗き込む芝居があるのは「俺がほしかったものはこんなものなのか」という自問であろう。
そして父の仇であるヘルム王が死んだことで、彼はまったく目標を見失い、さらにさらに「虚無」へと向かって進んでいくことになる。そんな彼が復讐心のマントを脱ぎ捨て、ふと我に返ったとき、眼の前には、自分と結婚したかもしれない女ヘラが、花嫁姿で剣を振るっている。それはあまりに皮肉な展開だが、それがウルフの選んだ人生の果てだったのだ。
本作は『ローハンの戦い』というタイトルだが、その実質は『ヘラの戦い』である。そしてその戦いを通じて、ヘルムとの「親子の愛情」、オルウィンとの「精神の継承」、ウルフとの「人生のすれ違い」という3つのドラマを重ね合わせて描いたのが本作だったといえる。
【藤津 亮太(ふじつ・りょうた)】
1968年生まれ。静岡県出身。アニメ評論家。主な著書に『「アニメ評論家」宣言』、『チャンネルはいつもアニメ ゼロ年代アニメ時評』、『声優語 ~アニメに命を吹き込むプロフェッショナル~ 』、『プロフェッショナル13人が語る わたしの声優道』がある。最新著書は『ぼくらがアニメを見る理由 2010年代アニメ時評』。各種カルチャーセンターでアニメの講座を担当するほか、毎月第一金曜に「アニメの門チャンネル」で生配信を行っている。
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