マイケル・ホーガン「私たちは今、クラフトワークの世界に生きている」

AOL ミュージック / 2012年4月19日 16時40分

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「私たちはクラフトワークの描いた未来に生きているのだろうか?」
ドイツのエレクトロニック・ミュージックのパイオニア、クラフトワークがニューヨーク近代美術館で8日間の公演を行い、アート界へ進出した今、上記のような疑問は目新しいものではなくなった。



しかし、クラフトワークの描いた未来とは、具体的には何だったのだろう?

1970年代から80年代初期のクラフトワークが現在の音楽に対して与えた影響は大きい。ヒップホップの父であるアフリカ・バンバータが初期作品「プラネット・ロック」で彼らの作品をサンプリングしたことに始まり、コーチェラのダンステントに出演するDJ、そしてリアーナやニッキー・ミナージュ、ケイティ・ペリーなどトップ40の楽曲のシンセサイザーにもその影響が垣間見える。

(ちなみにファットボーイ・スリムのサンプリングを多用した「Praise You」を聴いた時、私は「時代は変わった。デジタルテクノロジーを応用しない音楽を人々が聴くことはもうないだろう」と感じたことを憶えているが、1998年にリリースされたこの楽曲でさえも、クラフトワークの革新的なアルバム『アウトバーン』が発売されてから25年経っていた)

クラフトワークのラルフ・ヒュッターは、最近行われた<ニューヨークタイムズ>のインタビューで、「私たちは情報を捕まえるアンテナ、相互に情報を与える送信機のようなものだ」と答えている。しかし、クラフトワークの評価は、第1人者だったという点にある。ソウルトレインのようなディスコが全盛で、またロックバンドがアリーナを揺らしていた時代に、彼ら(当時のオリジナルメンバーは現時点ではヒュッターのみ)コンピューターのような音楽を作ろうとしていたのだ。

その動機はなんだったのだろう?

ひとつには、彼らには何かしらの差別化要因、つまりギミックが必要だったということだ。コンピューターのような音でポップミュージックを制作していたのは彼ら以外には存在しなかった。そして1970年代のドイツにとって、過去を振り返るより未来を見据えていた方がよっぽど楽しかったという点も動機としてあっただろう。過去は政治的な大惨事、そして当時は緊張と分断の日々だったため、未来だけが良いものとして存在していたのではないだろうか。しかし、未来は実際には良くならなかった。だが、その未来について警鐘を鳴らすという意味で、地獄のような社会生活を経た4人のドイツ人よりも上手に鳴らせる存在が他にいなかったというのも彼らがスペシャルな存在になれた理由だろう。

クラフトワークは、1978年にリリースした「マン・マシーン」で、「疑似人間」と「超人間」という2つの可能性を提示した。ツイッター上でのくだらない論争や、Googleグラスの提示する未来が存在するこの時代を考えると、彼らのビジョンは正しかったと言える。最近のTEDのスピーチでは、社会学者アンバー・ケースが、「我々は全員サイボーグだ」と論じている。スマートフォンなしでは議論や運転もできないような我々が、その意見に反論するのは難しい。

また、性行動でも急激な変化が訪れており、今や人間対人間ではなく、人間対コンピューターになりつつある。米テレビ局HBOのテレビ番組『Girls』のクリエイター、レナ・ダナムは25歳だが、「私と同年代の男性はポルノを頻繁に見ているわ」と<ニューヨークタイムズ>のインタビューで語っている。そしてこのようなフルカラーのファンタジーを日常的に摂取することが、現実の人間関係に複雑な影響を与えている。

そんな中、土曜日の晩にクラフトワークの魅力的なステージを観た。巨大な3Dアニメーションが投影されたスクリーンの前で、4人の男性がにこりともせず演奏していたが、気が付いた点が2つあった。1つは、クラフトワークは正しかったということだ。テクノロジーの影響を受け、人類は何か新しい、奇妙な存在へと変化しつつある。私たちは今その変化の途中にいるのだ。そして個人的にはその旅は今始まったばかりだと感じている。

もうひとつは、私はその変化を恐れていないということだ。実際は興奮すら覚えている。SF作家や悲観論者たちによって語られる面倒くさい意見も多々存在するが、人間の脳が非常にパワフルなコンピューターであるということであるならば、常に人間には「人でありマシーンである」という「マン・マシーン」の性質が備わっているとういことで、これによって私たちとサバンナの動物の間に差異が生まれているということなのだ。

そして、デジタルテクノロジーを使用して私たちがどこまでいけるのかという限界を探るか、それとも過ぎ去った日々が戻ればいいと願うのか、どちらかを選ばなければならないというのであれば、私は迷わず前者を選ぶだろう。

結局のところ、クラフトワークの「かつて」先鋭的だったスタイルは、現在では非常に親しみのある、快適なものとして私たちの目に映る。今私たちを不安にさせている様々な変化も、いずれ懐かしい存在になるということは間違いないだろう。

言い替えれば、「すばらしい新世界」は、古き良き日々になるということなのだ。

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