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百恵と淳子、80年代は女優に勤しんだ淳子

アサ芸プラス / 2013年2月7日 10時0分

 百恵・友和コンビの映画は、第1作の「伊豆の踊子」(74年、東宝)に始まり、文芸路線が基調だった。ドル箱の興行成績を誇ってはいたが、10作目の記念でもあり、あえてストーリーを一般公募するという試みがなされた。

 そして「ホワイト・ラブ」というタイトルが採用され、スペインがロケ地に選ばれる。小谷は過酷な撮影だったと回想する。

「6月のスペインは日が長く、夜の9時まで明るいんだ。俺も若かったから朝から晩まで撮りまくっていた。そのハードさに加え、地元の暑さとスペインのオリーブ油が合わなかった百恵ちゃんが腹痛でダウンしてね。それを友和君がいたわっていた印象があったね」

 ある日、百恵のショットに対して友和が注文をつけたことがあった。百恵の左肩には、歌番組では目立ったが、かなり大きなBCG注射の跡がある。穏やかな口調ながら、左からの撮影に対して逆側を押した。

「こっちからのほうが目立たない‥‥ですよね?」

 小谷は友和の意見を取り入れ、また従来のコンビ作よりも友和の出番を多く描いた。こうしたことから信頼を得た小谷は、ロングランで続く友和主演のドラマ「はみだし弁護士・巽志郎」(テレビ朝日)の監督を続けている。

「子供が生まれた後も、2人だけで2度のスペイン旅行をしたって聞いた。それだけ思い出の地になってくれたことがうれしいね」

 ちょうど10年前、友和の50歳の誕生パーティに呼ばれ、久しぶりに百恵に会った。

「監督、久しぶり!」

 屈託のない笑顔でハグしてきた百恵は、いかにも幸せそうであった‥‥。

 そんな百恵が引退した80年以降、桜田淳子は歌手よりも女優業に比重を置いた。出身の秋田が舞台となった「イタズ」(87年、東映)では、マタギ(熊撃ち)を生業とする男の娘を演じ、数多くの助演女優賞を獲得している。

 監督を務めた後藤俊夫は、ヒロインには淳子しかいないと熱烈にオファーした。秋田の農村に家を借り、春・夏・秋・冬と撮影は続けられた。

「もちろん秋田弁は使いこなせるし、彼女の芝居に力があることもわかっていた。私のオファーに快く役を引き受けてくれ、脚本に対してもしっかりと打ち合わせをやってくれた。だからクランクイン後は、ほとんど注文をつけることはなかったですね。ラストで山道から転落する場面があるんだけど、運動神経のいい彼女は、すり傷の1つも作らなかった」

 実家に近いため、淳子の母親が重箱に入った弁当を差し入れてくれたこともあったという。

 後藤は役所広司主演の「オーロラの下で」(90年、東映)でも淳子をヒロインに起用。制作費10億円という日本・ソ連(当時)の合作で、興行的にも大ヒットを記録した。

「これからどんな女優になっていくんだろうかと楽しみでしたけど、直後に合同結婚式で活動しなくなったのが残念だった」

 90年代以降の桜田淳子に多く寄せられた「惜しむ声」である。

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