長嶋と松井“4番の遺伝子”継承までの21年間「イチモツが収まっていないと」

アサ芸プラス / 2013年4月19日 9時59分

 長嶋は松井の入団直後、「巨人の4番」として松井を育てるため、「1000日構想」をプランとして持っていた。

 つまり、3年間みっちり鍛え上げていけば、立派な巨人の4番打者になれると踏んでいたのだ。

 そのために自宅に呼んだり、遠征先のホテルで深夜に「素振り教室」を開校した。

 時には全裸になってバットを振ることもあった。

 それはなぜか。長嶋はこう言ったという。

「スイングした時に、イチモツが左右にぶれずに、キチンと下を向いて、収まっていないと、いいフォームではない」

 これこそ、“ミスター語”で言う「さっと構えて、ククッと挟み込んで、シューッと振る」という理想のフォーム。まだ若手だった松井だが、その言葉でも十分についていけるだけの読解力があった。

「長嶋監督は『空気を切る』ということをしっかり教えてくれました。いいスイングをすると、“鋭い音”がしますし、悪いスイングだと“鈍い音”がする。毎日やっていると、その音を聞き分けられるようになりました」

 入団初年度は、よみうりランドの合宿所で暮らしていた松井は、東京ドームでの試合が終わると長嶋監督の家に行き、素振りをして、監督から「OK」のサインが出るまで、それこそ真夜中になるまでバットを振り続けてから帰宅する毎日だった。

 それだけに、疲労困憊もあってか、“巨人流”の集合時間である約束時間の30分前の集合に遅れても、長嶋だけは理解を示していた。その“寵愛”を受けて、松井もその思いに報いるように努力した。

 天才が努力をすれば、成果が出ないほうがおかしい。

 長嶋の1000日構想に呼応するように、入団3年目の95年8月24日横浜戦で初めて巨人の4番に座った。

 この時の長嶋は「大丈夫。これからですよ」と成長する愛弟子に対して温かい目を向けるのであった。

 そして“長嶋道場”でその素材が開花していくのは、それから3年後の98年。34本の本塁打を打って本塁打王に輝いた時であった。

「どうだ、ゴジ。座りがよくなったろう」

 と言って長嶋がほめてくれたという。

 だが、人前では絶対にほめようとはしなかった。将来の日本球界を背負う男になるには、「厳しく英才教育をしなければならない」という、かつてみずからが教わったことを実行していたようにも見える。そして、「いい材料を磨くのは一貫性をもって最後まで貫く」という長嶋の信念が、松井にしっかりと受け継がれていったのである。

 長嶋はメジャーに渡った松井のもとを1度だけ訪ねたことがある。03年のことだ。この時、長嶋は松井を自分が泊まっているホテルに呼んだ。

「どうだ、いつものヤツをやるか」

 と声をかけると松井は、

「見ていただけますか」

 とにっこり笑って答えたという。

「メジャーに渡ってから自分でも、長嶋監督が言われていることが少しずつ、わかってきました」

 と松井は振り返るが、メジャーに行ってからのチェックポイントに、松井は長嶋家の地下室で素振りした日のことを思い出していたのだ。そのいつもの慣例の素振りを終えた時、長嶋は「立派じゃないか」と言ってニヤリとほくそ笑んだ。2人だけにしかわからない長嶋の言葉に、松井はメジャーでやっていけるものを感じ始めていたのだ。

スポーツライター 永谷脩

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