天才テリー伊藤対談「中西学」(2)専修大のシゴキは並じゃなかった?

アサ芸プラス / 2020年2月28日 9時56分

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テリー 中西さんのプロレスラー人生、自分であらためて振り返ってみて、どうですか。

中西 約28年、ほんと箸にも棒にもかからんような男が踏みつけられたり、はいつくばったりしながら、ようここまでやってこれたな、と思いますね。

テリー そもそも、プロレスラーになろうと思ったのは、いつなんですか。

中西 幼稚園の時です。当時は新日本プロレスのテレビ中継が夜8時からあったので、それを見ていて。

テリー 夜の8時って、幼稚園児にしてみたら寝ていてもおかしくない時間じゃないですか。

中西 ええ、めちゃくちゃ眠いんですよ。でもその頃の外国人レスラーが日本人の選手を血だらけにしている試合を見ていたら「こんなことやってんのや。プロレスって、どんなスポーツ選手よりもすごいわ!」と思うようになりまして。

テリー ええっ、幼稚園の頃に? 普通なら「こんな血だらけのスポーツ、絶対に嫌だ」って思うはずなんですけれどね。

中西 いや、めちゃくちゃ魅力的でしたね。

テリー もともと血の気が多いタイプだったとか。

中西 血の気が多いどころか運動神経は全然ないし、いつもホラばっかり吹いているオオカミ少年みたいな感じでしたから(笑)。しかも中学までは帰宅部でしたし。

テリー へぇ、今の中西さんから想像もつかないな。

中西 やっと高校でレスリング部があるところへ行ったんです。スポーツ歴が全然ないから、最初はドンくさいし息もすぐあがるし、ミソクソにやられました。「こんなんでプロレスラーになれるんかな」と思ってたんですけれど、やっているうちに力がついてきて、3年生の時にはなんとか長州力さんや馳浩さんのいる専修大学からスカウトが来るまでになれました。

テリー すごいなぁ、やっぱり才能があるんですよ。専修大学のレスリング部といえば名門中の名門ですからね。

中西 専修大のレスリング部は重量級が強いという伝統があって、自分もそれにうまく乗っかって、技と力をつけてもらいました。

テリー 練習も厳しかったでしょう。

中西 そうですね、コーチもいるんですけど、基本、先輩方が後輩を指導するという大学なので、1年の時からしっかりとしごいてくれはって。

テリー わ~、怖そうだ。

中西 特に入学したばかりの頃は、京都の田舎から出てきた、右も左もわからんし常識もない、殴られないとわからんような子でしたから。レスリングから礼儀まで、体の痛みで覚えていったような感じです。

テリー 昔はコンプライアンスも何もあったもんじゃないから、さぞ大変だったんだろうなァ。どういう理由で殴られるんですか。

中西 例えば「目つきが悪い」みたいなことです。目つきはもともと‥‥と言いたいけれど、絶対に言えません。で、逆にニコニコしていると、「何笑うてんねん!」と。

テリー どっちにしてもダメじゃないですか。

中西 そうなんです、こちらも「何しても殴られるんやったら、別にいいわ」とあきらめました。

テリー でも、場や人間関係によっては、一概に否定できないところはありますよね。

中西 はい、先輩方はそういう形のコミュニケーションで、僕をかまってくれていたんだと思います。

※対談日は引退試合前

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