テリー伊藤対談「竹田恒泰」(2)陛下とお会いする機会は?

アサ芸プラス / 2013年12月25日 9時58分

テリー 大喪の礼のあとはどうされたんですか。

竹田 奥深く研究するようになったのは大学を卒業してからなんですね。

テリー 慶応で憲法学を学ばれたんですよね。

竹田 そうです。まさか憲法の教諭になるとまでは思ってなかったんですけども。きっかけになったのは皇室典範の議論ですね。小泉政権の時に女系天皇論議というのがありまして、それが最初の本(「語られなかった皇族たちの真実─若き末裔が初めて明かす『皇室が2000年続いた理由』」)を出すきっかけでした。

テリー あの本は私、買って読ませていただきました。あの頃、女性天皇を容認するような世の中の空気でしたね。それに反対しておられたので、骨太の人だなあと思って。

竹田 今読むと、20代の時に書いた本ですので、ちょっとこっ恥ずかしい感じなんですけども。

テリー 竹田家ですと、天皇陛下とお会いする機会はどれくらいあるんですか。

竹田 父は旧皇族というだけではなくて、JOC(日本オリンピック委員会)の会長をやっていますので、その絡みで陛下に拝謁の機会は多いと思います。

テリー 竹田さん自身は?

竹田 私はほとんどないですね。これまでに数度お目にかかったことはありますけども。菊栄親睦会と言って、旧皇族と現皇室との親睦の会があるんですが、全員が呼ばれるのは父の代までで、そのあとは本家の長男だけになって、私は呼ばれないんです。

テリー ヒゲの殿下(寛仁親王)とは親しいんですよね。

竹田 そうですね。ヒゲの殿下は私からしたら師匠でして、最初の本を出すにあたって全部チェックしていただきましたし、それから先も、いろんな雑誌とかに原稿を書く時も全部殿下にチェックしていただきました。そうするともう血の雨が降ったような感じで、真っ赤な直しが返ってくるんですよ。しかもそこに罵声が書き込まれていまして、「バカ野郎、何だこの表現は」とかですね(笑)。その時に、ここまでは書いていいとか、この表現はしてはいけないとか、いろいろと叩き込まれました。

テリー 本当に師匠ですね。

竹田 それはもう、どなり声がよみがえってくるぐらいの。

テリー 亡くなられたのは残念だねえ。あと、高円宮〈たかまどのみや〉(憲仁親王)もねえ。

竹田 若くしてお亡くなりになられましたからね。お元気でご存命だったら、いろいろとご活躍の場があったと思うんですけど、たいへん残念ですね。

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