“日本のリヴァプール”博多スーパースター列伝<第1回>井上陽水(1)

アサ芸プラス / 2013年12月27日 9時58分

 その街は「日本のリバプール」と呼ばれ、全国のスカウトマンが“原石”を探しにやって来た。日本でも稀有なスターの産地、それが「博多」である。70年代のフォーク&ロックに始まった潮流はアイドルや演歌にも幅を広げ、今なお宝庫として君臨する。そんな歴史の第一歩を刻んだ〈巨人〉こそ、ここに記す井上陽水である──。

 81年12月6日、井上陽水は海援隊、南こうせつとともに福岡・九電記念体育館のステージに立った。会場を埋めつくした5600人の観客に向け、バックの安全地帯とともに「闇夜の国から」(74年4月)や「夢の中へ」(73年3月)を披露する。

 この「九州ニューミュージック・フェスティバル」と名づけられたイベントは、地元・RKB毎日放送の開局30周年を祝したものである。実現に奔走した野見山実は、博多の音楽シーンに欠かせぬ看板ディレクターだった。

「実はこの日が陽水のテレビ初出演だったんです。福岡発のローカル番組にもかかわらず、TBSを通じて全国ネットでオンエアされました」

 当時の陽水はテレビ出演だけでなく、イベント的なライブに出ることも珍しい。それはひとえに、野見山に対しての“恩義”にほかならなかった。

 69年4月、それが初めて陽水と会った日である。野見山はラジオの深夜番組「スマッシュ・イレヴン」を始めたばかりで、プロになりたい若者たちに門戸を開いていた。

「番組が終わった夜中の1時過ぎに『曲を聴いてほしい』とデモテープを持ってきたんです。あの大きな体にゴム草履をはいて、ボサボサの髪だったから威圧感がありましたね」

 当時はカセットテープではなくオープンリールが主流。野見山が自宅に持って帰ると、いかにも下宿で録音したものらしく、チンチン電車などの雑音のほうが耳に飛び込んでくる。それでも、その奥からかすかに聴こえる歌詞とメロディに「おもしろそうだな」と思った。

 野見山はRKBのスタジオで録音をやり直させ、わずかなオリジナルを親交のあったCBS・ソニーの営業担当に渡す。

「当時の陽水は歯科大をめざして三浪の身だったけど、博多でパチンコばかりやっていましたから。これで歯科医はあきらめて、東京に行って歌手になれると思ったようですね」

 博多には「照和」という伝説の音楽喫茶がある。チューリップ、海援隊、甲斐バンドがデビューするきっかけとなった場所だ。よく混同されがちだが、陽水はこの店でアマチュアの頃を過ごしていない。田川育ちの陽水は、博多のミュージシャン仲間もほとんどいなかったという。

 そして上京した陽水は「アンドレ・カンドレ」という名でデビュー。所属したのは、ホリプロダクションである。

 レコード制作の担当として入社して間もなかった川瀬泰雄は、ある日、自分のデスクに大きな男を見つける。たまたま数日前に深夜のラジオで耳にした「九州で人気の」と紹介されていた陽水だった。

「持参したデモテープを聴いて、いいメロディだと思ったし、ビートルズの匂いがした。彼に『好きなの?』と聞いたら、つっぱった感じで『別に』と言ったのを強烈に憶えています」

 そうは言いながらレッスン室の鍵を渡すと、何時間もビートルズを熱唱している。現在も「ビートルズ研究家」の肩書きを持つ川瀬が横に立ち、どんなコアな曲にもハモリを入れる。

「東京はすごい。サラリーマンがビートルズをハモっちゃうんだもんなあ‥‥」

 感嘆した陽水との“二人三脚の日々”が始まった。

◆アサヒ芸能12/24発売(1/2・9合併号)より

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