大映ドラマのヒロインたち 名優たちの中で培われた女優力

アサ芸プラス / 2012年2月10日 10時54分

80年代につながる「大映ドラマヒロイン」の歴史は、70年代における山口百恵の成功なくして存在しない。歌や映画でも活躍したが、百恵が10代にして国民的なカリスマとなったのは、金曜9時の「赤いシリーズ」があればこそだった─。

80年10月5日、山口百恵(53)は武道館のステージに白いマイクを置き、7年間の芸能活動に終止符を打った。以来、1度たりとも表舞台に立つことなく、伝説を守り続けている。
 70年代に鮮烈な輝きを放った百恵を、最も多く撮影した写真家・篠山紀信は「時代と寝た女」と評した。デビュー当初は数ある「アイドル歌手」の1人にすぎなかったが、やがて、老若男女を問わず、他を圧倒する人気を獲得。その原動力が、運命の激流に巻き込まれるヒロインを演じた「赤いシリーズ」である。
 その前身となる「顔で笑って」(73年10月~/TBS)で、春日千春プロデューサーは初めて「女優・山口百恵」と向き合う。主演の宇津井健の娘役に抜擢し、また主題歌も“父娘デュエット”で飾った。
「初めて会った時は、まだ頼りなさげな感じ。ただ、『顔で笑って』はホームドラマだったからセリフの量も少なく、そんなに心配することはなかった」
 田宮二郎の「白いシリーズ」に対抗した赤の第1作は「赤い迷路」(74年10月~/TBS)である。主演に宇津井、2番手に松田優作、そして百恵という強力な布陣だった。
 前作とは一変し、父親である宇津井は妻を殺され、犯人を追う精神科医の役。その娘である百恵扮する明子には出生の秘密が隠された「大映ドラマ」としての要素に満ちたサスペンスになった。優作は百恵の叔父にあたる貴重なキャスティングである。
 とはいえ、記念すべき「赤」の第1作には、思わぬ障害が待ち受ける。
「優作さんは当初の設定よりも役柄が後退してしまった。そのため、みずから『最後は死なせてほしい』と訴え、演出も自分で担当した。犯人が明らかになった後、中野良子の腕に抱かれて息を引き取る名場面になりました」
 出世作「太陽にほえろ!」のジーパン刑事に続いての“殉職”である。こうした芸達者たちに伍することで、百恵の意識は急激に高まったと春日は言う。演技経験のとぼしさから、当初は事務所側と「セリフは2行まで」と取り決めていた。
「ところが、あれよあれよという間に3行、4行、さらには台本1ページのセリフも完全に覚えられるようになったんです」
 序盤は15%前後だった視聴率も、終盤には20%を超えて一応の成功をみる。
 続く「赤い疑惑」(75年10月~/TBS)からは、いよいよ公私ともに黄金コンビとなる三浦友和が登場する。百恵は大学助教授(宇津井健)を父に持つ17歳の娘役。父の大学で放射線事故に巻き込まれ、白血病にかかってしまう。さらに出生の秘密、恋人の光夫 (三浦友和)が本当は異母兄弟であったなど、のちに韓流ドラマにも多大な影響を与えた「大映ドラマの手法」を確立している。
「平均視聴率で23・4%、最高で30%を超え、ここから『赤いシリーズ』は常に30%台の番組になりましたね」
 山口百恵は、10代のアイドルとして最も視聴率を稼げるスターとなった。ただし、その八面六臂の活躍は「赤い疑惑」における八千草薫の途中降板、同じく「赤い運命」(76年4月~/TBS)における名優・志村喬の降板と、波乱を含んでいた。

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