早世のマドンナたち① 田中好子(2)

アサ芸プラス / 2012年6月29日 11時0分

「全員集合」には出たくない!

 結果的に「年下の男の子」がヒットし、キャンディーズはアイドルグループの頂点に躍り出たが、危うく“早期解散”のプランもあった。篠崎は前任のチーフマネジャーから、配置換えの際にこう言われた。

「もし、もう少しやって売れなかったら解散。それでスーだけ独り立ちさせるから。スーは民謡も歌える子だから大丈夫」

 確かにスーは小4で民謡研究会に通い、伸びのある高音はメンバー随一だった。もっとも、民謡歌手に転向させるというプランは渡辺プロも持ち合わせていなかったと思えるが、1つのパーソナリティとしては武器になったであろう。

 さてキャンディーズは歌だけでなく、バラエティでも絶大な人気を獲得する。特にコントへの取り組みはアイドルの域を超えており、デビュー当初は「8時だヨ! 全員集合」(TBS )、解散までは「みごろ! たべごろ! 笑いごろ!」(テレビ朝日)が活躍の舞台だった。

「スーさんについてお話があります」

 それは74年の夏、広島にあった「ナタリー」という海沿いの遊園地でのこと。キャンディーズは同園のCMに出た関係で、月に2回はプールサイドでショーを開いた。そのステージが終わった後、下を向いて泣きじゃくるスーの横で、ランが篠崎に訴えたのだ。

「スーさんが『全員集合』には出たくないって言ってます」

 理由を聞くと、名物だった体操のコーナーで、ドリフのメンバーから「スーはお尻が大きい」とからかわれたと言うのだ。

「ドリフも悪気があって言ったわけじゃなかったけど、年頃だから傷ついたことは確か。そんなことも含めて、彼女たちは歌で一本立ちさせてあげたいと思うようになりました」

 篠崎は自宅アパートをファンに開放し、新譜が出るといち早く彼らに聴かせ、その反応を重視した。こうした結束は、日本初の組織型ファンクラブである「全国キャンディーズ連盟」につながり、78年4月4日の解散コンサートまで熱波となって続いた。

 アイドルとして真っ白に燃えつきたスーだったが、しばらくの休業を経て、80年から女優・田中好子として活動を再開させる。その背中を押したのは、後に若くして骨肉腫で亡くなった弟の言葉だった。

「僕はお姉ちゃんがテレビに出ている姿が1番好きだ」

 田中好子は以来、公私ともに「命」と向き合う形になる。女優としての代表作に原爆の二次被爆を描いた「黒い雨」(89年/東映)や、娘(深田恭子)がHIVに感染する「神様、もう少しだけ」(98年/フジテレビ)などがある。

 そして最後の主演映画となった「0 からの風」(07年/ウィル・ドゥ)も、飲酒運転事故により息子(杉浦太陽)を失う母親の役を演じ「おしん」(83年/NHK)で姉弟役で共演した塩屋俊だった。

「年齢も同じだった田中さんと、24年ぶりに監督と主演女優で再会しました。もともと商業用の映画ではなく、協賛企業の寄付金だけで作った映画だから田中さんのギャラも苦心しましたが、そういうことを気にせず出演していただいた」

 そして田中は、女優人生の総仕上げとして鬼気迫る演技を見せた─。

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