「ミスター・長嶋茂雄」を育んだ佐倉ものがたり(4)“ゴミ屋敷”騒動の真実

アサ芸プラス / 2016年11月27日 17時56分

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 80歳にして「野球教室」を開くなど、生まれ故郷の佐倉市を大切にする長嶋にとって、先頃の“ゴミ屋敷”騒動は、心を痛める出来事だった。

〈長嶋家を強制解体に!〉

 という見出しが躍った女性週刊誌が発売されたのは、10月6日のこと。

〈600平方メートルを超える広大な敷地内には足の踏み場もないほどの雑草が生い茂り、樹木は伸び放題。鬱蒼とした蔦が幾重にも絡みついた家屋はすでに腐りかけており、裏庭は異様な湿気が漂っている〉

〈家屋内には大量のネズミがいるし、水場にボウフラが湧くので夏場は蚊だらけ。あっ、庭の中は気をつけてください! 蛇がうじゃうじゃいますので〉

 衝撃的だったのは、覆い尽くした蔦の写真と、そのキャプションである。

〈長嶋が高校卒業まで過ごした生家。今は見るも無惨な状態になっている〉

 長嶋義倫は、写真を見ながら、怒り心頭に発した。

「この写真は家ではありません。裏の物置小屋です。中には、ご用済みになった農機具などが入っています。表通りからは、二階建ての瀟洒な家が見えるはずなのに、そのことにはふれず、明らかに隣家の敷地から写真を撮り、それを“生家”としたところに意図的なものを感じます」

 根本正一郎が物置小屋にも案内してくれた。根本は近くに住む親戚として、しばしば長嶋家に足を運び、芝刈り機で雑草を刈ったり、隣家の敷地に及ばないように木々の枝を伐採していた。

「ほら、だいぶきれいになったでしょ」

 根本が指差した物置小屋は、さすがに一人の手で処理できるものではなく、記事が出てから親戚や関係者の手で絡まった蔦が取り払われ、赤いトタン屋根が見えるまでになっていた。リヤカーや一輪車などの農機具が入った小屋の内部は、老朽化が進んでいたが、ネズミはいなかった。裏庭に出ても、蛇に出くわすことはなかった。

 なぜ物置小屋が悲惨な状態になったかは、少し説明が必要かもしれない。

 わたしが初めて佐倉市臼井の長嶋の生家に兄の武彦を訪ねたのは、巨人監督復帰が囁かれた1992年春。長嶋が巨人入団翌年に建てた“御殿”には表札がなかった。何度表札をつくり直しても、すぐに盗まれるからだった。

 当時、兄の武彦は62歳。夫人を大腸ガンで亡くし、家の中は手が行き届かぬようになっていた。そのため、翌年、“御殿”を壊し、家を新築したのである。

 武彦には一男一女があったが、それぞれ独立し、家を出た。1人残された武彦は肺炎をこじらせ、2011年に帰らぬ人となり、家は無人と化したのである。

 しかし、根本は心配していない。

「家の跡取りである武ちゃん(武彦)の長男は、高校の英語教師をしており、目が回るような忙しさらしく、たまにしか佐倉に来れず、物置小屋にまで手が回らなかった。子供たちの進学が一段落すれば、ここに戻ってくると話していますから、きちんとやってくれるでしょう。先日も、ご近所に『お騒がせしてすみません』とお詫びの挨拶をしていましたから」

 女性週刊誌の後追い記事も出て、“ゴミ屋敷”騒動に巻き込まれた長嶋だが、こう笑い飛ばしている。

「だいじょうぶ。放っておけば、メディアというのはいずれ静かになるもんですよ‥‥」

松下茂典(ノンフィクションライター)

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