桑名知子が明かす「ストップモーション」の呪縛

アサ芸プラス / 2012年10月24日 10時54分

 あぁ私のハートはストップモーション‥‥40代以上の御仁なら、このフレーズは忘れられないだろう。昭和歌謡の息吹が残る79年デビューの桑江知子(52)が、あの名曲に対する思い、そして現在の歌謡を語る。

「本当はバラード歌手を目指していたけれど…」

──「私のハートはストップモーション」がデビュー曲にして大ヒット。率直なところ、当時はどのように感じましたか。

「あの曲は化粧品会社のCMソングで、『ストップモーション』というのはキャンペーンのコピー。だからその言葉は必ず入ることになり、竜真知子先生の詞が先なんです。そして都倉俊一先生に曲を書いていただいて。ただ、戸惑いもありました。というのも、私はバラード歌手を目指していたから。でも曲はニューミュージックと歌謡曲の間くらいの感じ。正直なところ、B面の『たずねびと』のほうが個人的にはしっくりくるような気がした。今考えると生意気なんですけどね(笑)」

──この大ヒットで、一挙にスターダムを駆け上がった。当時は歌番組で顔を見ない日はないほどでした。

「よくそう言われるのですけど、有名な歌番組に実はたくさん出ているわけじゃないんですよ。『ザ・ベストテン』も一度きり、それも『もうすぐベストテン』というコーナー。それだけ曲が独り歩きしていたんでしょうね」

──あ、そうでしたか。その影響で、あの「ストップ──」の、と言われることが多いと思うんですが。

「一時期、ライブなどで歌うのに躊躇する気持ちがあったのも事実です。他にもいい曲、聴いてほしい曲がいっぱいあるのに、って」

──それが、今は変わってきたということですか。

「10 年ほど前ですかね。私が育ったのは福岡ですが、生まれは沖縄。母が島唄を口ずさむのを聞いて育った。でもポップス志向が極端に強かった私は、興味を持たなかった。それがキャリアを積むにつれ、さまざまなジャンルに興味を持つようになって。やがてDNAですかね、沖縄の歌に目覚めた。そうなった時、気づいたんです。『ストップ──』があるから私は歌ってこられた、と。それからは、ある種の『呪縛』から解き放たれたんです」

──昭和歌謡の代表曲の一つをキチンと受け止めることができた、と。

「そうですね。それまでも、歌番組やステージに呼んでいただくと『ストップ──』を歌ってくれという要望が多かったのは事実。そうすると、同じアレンジに飽きちゃうんですよ。で、ライブなどではアレンジを変えたりして。それはそれでいいんですけど、生まれたままの『ストップ──』を聞きたいというお客さんもたくさんいる。そういうお話を聞くと『あぁそうだな。あのアレンジを含めて曲なんだもん』って。そう感じて以降、歌謡ショーなどでは、なるべくお客さんの望むアレンジで聴いてもらうよう心がけてもいます」

──昭和歌謡黄金期を駆け抜けて今があるわけですが、そんな時代をともにした「戦友」たちとは、現在も交遊はありますか。

「庄野真代さんとは、コンサートをご一緒させていただいてもいます。それと、当時はあまり話さなかったけど、最近の歌謡ショーなどでお会いして仲よくなるケースは多いですね。初対面なのにやはり親近感が湧く。同世代では堀江淳さんや石井明美さん、森川由加里さん‥‥特に堀江さんが企画好きなので(笑)。食事会を開くこともあります」

──今後も昭和歌謡とはイイ関係でいられますか。

「ええ、今力を入れている沖縄音楽はもちろん、幅広いジャンルにチャレンジしていく中で、(昭和歌謡には)これからもファンの方に望んでいただけるなら、積極的に関わっていきたいですね」

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