1988年に発売された「世界標準キーボードの原器」を手に入れた
ASCII.jp / 2022年9月22日 12時0分
ハードウェアとしてのキーボードに、極めて強い思い入れや高度な技術的関心があるわけではないが、昔からコンピューターと人との関係をベースとした入力操作装置としてのキーボードには、強い興味がある。どちらかというとミーハーな筆者は、昔からキーボードの入力時のサウンドやクリックのフィーリングの方に強い関心があった。
まだまだパーソナルコンピューターが、非力でWindowsパソコンの画一的な世界になる以前の1980年代の日本には、多くの設計思想の異なるパソコンやそれらに最適化されたユニークなレイアウトのキーボードが溢れていた。よく言えば多様性の世界、悪く言えば機種間のハードやソフトの互換性のない混沌とした時代でもあった。
しかし、当時も世界に目を向けて見れば1981年に発表されたIBM PCとその互換機が圧倒的なシェアであった。そして1987年には、それらIBM PCと互換の後継機種として新しいテクノロジーを搭載したIBM PS/2が発表された。長く各社独自のパソコン文化を歩んできた日本も、1990年のDOS/V発表を機に世界と同じIBM PCの世界に統合され、現在のWindowsパソコンの世界に舵を切ったのだった。
IBM PS/2と同時に発表された英語キーボードをルーツにして、ナチュラルに日本語を拡張したキーボードが1988年に日本国内でも発表された。日本語キーボードの5576-001、5576-002、5576-003の3機種はその後登場し、現在の日本語キーボードの原器となった5576-A01のベースとなったモデルでもあった。
3つのキーボードの中でも、5576-003はブラザーのキースイッチを採用し米国のPS/2スペースセーバーキーボードと同様に、テンキーのないコンパクトなタイプだった。筆者も当時購入し何年か愛用していたが、うかつにも断捨離してしまって今は手元にはない。
最近はネットオークションを探しても見つけることはまず不可能、見つかったとしても当時の定価の2倍〜3倍の6万円以上の出費を覚悟しなければならない人気のキーボードの頂点機種だ。
今回、偶然にも1980年代から現在までずっと一緒にいろいろな仕事をしてきているDOS/Vの基本設計エンジニアだった某氏に話したところ、なんと今もしっかり保有しているという。早速連絡して脅かして、しばらく貸し出してもらことになった。
早速届いた5576-003は使わなくなって長い間倉庫に保管していたらしく、全体に薄汚れしていた。早速外観だけは毛足の長いキーボード掃除用のブラシで大まかにホコリを取り払い、水道水と白いメラニンスポンジで表面をクリーニングしなかなかきれいになった。さすがに某氏も、貸し出しのままなし崩し的に盗られてはまずいと思ったのか、背面には真新しいテプラで「返却先」が大きく貼り付けられていた。
当然ながら5576キーボードは、いずれのモデルもUSBポートなどというモノは出現以前で、パソコン本体につなぐインターフェースは丸いPS/2ポートだ。キーボード本体側は、フラットなイーサネットの様なユニークなプラグが取り付けられている。キーボード本体には、そのプラグを接続するポートとキャップで覆われたPS/2マウスポートがある。また背面には内蔵スピーカーがあるが、これはPS/55のシステムユニット以外では動作しないはずだ。
最高に気に入っている点は クリック感のあるキータッチとコンパクトな外観
5576-003キーボードを最高に気に入っている点は、なんと言ってもクリック感のある確実なキータッチとテンキーなしのコンパクトな外観だ。キー入力時のサウンドは、本体反響ノイズの少ないソリッドなカチカチ音。左ドッグレッグ型のエンターキーのすぐ上には、後退(バックスペース)キー、下側には右シフトとCtrlキーが配置されている。唯一残念なのは、複数の日本語処理キーの増加により左Altキーがないことくらいだろう。
5576-003のキーボード本体を正面や側面から眺めてみると、これぞ本物と言える「シリンドリカルステップスカルプチャー」キーボードの典型的デザインだ。多くの特徴は、米国のPS/2キーボードから受け継ぎ正統進化したモノだ。米国内では日本国内よりもはるかに少ないとは思うが、省スペースキーボードの需要もある。
そんな市場向けに発売されているキーボードに「SpaceSaver」と呼ばれる製品がある。筆者はIBM PCのキーボードを供給していたレックスマークの後に、事業を継承したUnicompの製造によるPS/2用のSpaceSaverコンパクトキーボードも愛用している。5576-003より一回り大きな北米大陸流SpaceSaverは、IBM PC/AT後期のキーボードとして開発された歴史的キーボードであるModel-M(1390131)の流れをくむ貴重なモデルだ。
筆者のメインモバイルPCであるThinkPad X1 Nanoが実測931gなのに、頑丈に作られたキーボード本体はSpaceSaverと名乗りながらもその実測値は1776gもある。さまざまな軽量化をしたブラザー工業製の5576-003でも、実測1353gだった。
キーボードの世界は、パワーアンプの世界とは異なり必ずしも重い方が正義ではないが、相対的な質量差は入力時の指先に返ってくるタクタイル感や爽快感には、大きく影響する。実際に文字入力をしばらくしてみると、さまざまなハードウエア的要素が微妙に文字入力時の感性に影響を与えているのが理解できる。
米国IBMのSpaceSaverキーボード、国産でブラザー工業のキースイッチを採用した5576-003のいずれもが、今では超レガシーな「バックリングスプリング」(座屈バネ機構)と呼ばれるキースイッチを採用している。
今回、筆者宅にあるSpaceSaverキーボードと借用中の5576-003を分解して、キースイッチの中味を見てみた。キーキャップはたった1本の強力なスプリングによって支えられている。指先でキーを押す荷重は現代のキーボードより遥かに重い。さらに力を加えてキーを押し下げていくと、閾値を超えると同時に内部のスプリングが折れ曲がり、荷重が消え一気に抜けるように底打ちをする構造だ。
未だに多くのパソコンホビーストの一部が、バックリングスプリング方式に惹かれる理由はこのメカニカル極まりないシンプルで心地よい指先快感と独特のサウンド、堅牢なスプリングによるタクタイル感にあると思っている。
余談だが、IBMには5576-003キーボードの流れを継ぐ5576-A01という名キーボードがある。残念ながら製造コストが高く、コンシューマPCのAptivaという新機種を発表する際に標準キーボードとしてより低コストの5576-B01というキーボードが開発された。
当時5576-A01を高く評価していた関係者は大反対したが、コストには勝てず発表され静かな入力音とソフトなキータッチは、モノの本質を見る目のない新しいユーザー層に歓迎され、AptivaはベストセラーPCとなった。それ以降関係者は「座屈型」ではなく「挫折型」キーボードと揶揄したことがあった。大きく脇道にそれたが話を本題に戻そう。
キーキャップを引き抜くには、ごく一般的なキープラーや小振りなアーミーナイフなどがあれば十分だ。SpaceSaverキーボードも、5576-003もキープラーでキーキャップを引っ掛け上方向に少し強く引っ張ると簡単に取り外せる。昨今のキーキャップと多少異なり、SpaceSaverや5576-003のキーキャップは二重構造になっており、表層の文字の印刷されている上層のキャップを交換することで、世界中の言語に素早く対応できる仕組みだ。
そして、続いてキーボード基盤に固定されているキースイッチも、簡単に取り外すことが可能だ。最終的にキースイッチ本体、キーキャップベース、キーキャップの3つの構成部品に分解することが可能だ。
ThinkCentre M630e Tinyに接続して 約30年の空白を埋めるための道のり
さて今回のコラムは、別にレガシーで素晴らしいキーボードを分解して解説することが目的ではなく、今から34年昔の1986年に発売されたキーボードである5576-003を、現在の筆者のメインパソコンであるThinkCentre M630e Tinyに接続して、約30年の空白を埋めることだ。ちなみに5576キーボードは、Windows 2000以降のWindows環境ではまったくサポートされておらず、基本的にはWindows 11パソコンに接続しても使えない。
まず最近のWindows 11パソコンに接続するために最初にやるべきことは、5576-003のPS/2プラグをUSBプラグに変換することだ。変換アダプタは多くの周辺機器メーカーから発売されているので、評価の良いお気に入りを選べば良いだろう。筆者は評判の「変換名人」の「PS/2 接続キーボードとマウス→USB変換アダプタ 日本語/英語キーボード用」という商品を、Amazonco.jpで500円以下で手に入れた。PS/2マウスも変換して同時に使えるベストセラー商品だ。
幸いにも筆者宅にはレノボのUSB有線マウスがあったので、PS/2→USB変換をしたのは5576-003キーボードだけだった。5576-003キーボードは、JIS配列のPS/2キーボードなのでWindows 11の設定操作で「時刻と言語」を選び「日本語の項の言語オプション」を選択。キーボードのレイアウト変更をし「英語キーボード(101/102キー)」に変更し再起動する。基本的にこれで一部のキーを除き、普通に日本語入力が可能となる。
実際に今回この原稿は、念願の5576-003キーボードで書いているので入力感は快適なのだが、日本語入力のオン・オフがキーボードから選択できない。ローマ字かな漢字入力をするには、画面最下段にあるタスクバーの文字入力アイコンをマウスでクリックして「あ」と「A」を毎回切り替えないと駄目なようだ。これでは、実用的に原稿を書くにはかなりの無理がありそうだ。
いろいろネットを調べて見たら、やはり同じようなことで困っている人が多いようで、すぐに簡単な解決方法が見つかった。筆者の常用原稿書きテキストエディターである、秀丸の製作者が提供してくれている「秀Caps for Windows」(Ver11.9)というキーボードユーティリティを併用することで、任意のキーをFEPのオン・オフに割り当て設定することができる優れものだ。
筆者は、「右Alt」で「漢字ON」、「右Ctrl」で「漢字OFF」に設定して、今のところ極めて便利に使わせて頂いている。しかし実際にここ2週間ほど、5576-003キーボードをWindows 11で使ってみた感想は、なかなか複雑だ。
もちろんキー入力のフィーリングは、筆者の理想に近い完璧さだが。Windows環境では絶対にマウスは使う必要があり、TrackPointキーボードユーザーにとっては、マウスのための余分なスペースやマウス操作の度にキーボードから手を離すことに、大きな抵抗があるのが現実だ。
Windowsから見た場合は、英語キーボード(101/102キー)か日本語キーボード(106/109キー)の違いはあっても、操作するキーボードはいずれも日本語JIS配列なので、設定でキーボードレイアウトを切り替える手間さえいとわなければ、ユーザーにとっては使いよい二重環境だ。しかし最終結果は、もうしばらく併用してから考えたい。
今回の衝動買い
・アイテム:5576-003 日本語キーボード ・購入:生産販売とも終了品 ・価格:2万7000円(1990年ごろの価格)
T教授
日本IBM社でThinkPadのブランド戦略や製品企画を担当。国立大芸術文化学部教授に転職するも1年で迷走。現在はパートタイマーで、熱中小学校 用務員。「他力創発」をエンジンとする「Thinking Power Project」の商品企画員であり、衝動買いの達人。
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