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開かずのMO――25年以上前のDTPデータを発掘してひらいてみる

ASCII.jp / 2024年7月22日 9時0分

月刊アスキーのDTPデータのMO。

なぜ、印刷会社に送った入稿データを見たくなったのか?

 月刊アスキーの創刊号(1977年7月号)から1982年12月号までの内容がオンライン閲覧可能になったと前回お伝えしたわけだが、月刊アスキーのバックナンバーといえば、もう1つ、書いておきたいことがそのままになっていた。すでに1年半も前のことなのだが、月刊アスキーの入稿データを読み出すことをやったのだ。

 入稿データというのは、雑誌の1ページずつ文字や図版のレイアウトをした、印刷会社に持ち込むDTP(デスクトップ・パブリッシング)データのこと。1990年代まで、本や雑誌のデザインといえば、手作業で印刷されるイメージを作ることが行われていた(いわゆる版下)。それが、コンピュータの画面の中でデザインできるようになったのがDTPである(注1)。月刊アスキー編集部では、入稿データを、毎号MO(長期間保存が可能な磁気メディア)にコピーして保存していたのだった。

 なぜ入稿データを保存していたのかといえば、あとから単行本などで使うことを想定していたからだ。それが、本が出てから古いものは25年以上、単行本化などの用途もすっかり終わって長期保存状態になっていた。イメージとしては「開かずのMO」という感じになっていた(開けてないだけなのだが)。それを、私は、あるときまとめて読みだしてみたいと思っていた。紙の本という最終成果物が残っているのに、なぜ読みたいと思ったのかというと、私は「印刷」というものに根本的に惹かれる人だからだ。印刷フェチと言ってもいい。

 それは、小学生のときに謄写版(いわゆるガリ版)のインクの匂いを嗅いだときに「これだ!」と思ったときから始まった。「謄写輪転機」でバンバン刷り出すのは本当にもう快感だった。さらに後になるが学研の「謄写ファックス」という原稿をドラムに巻いてフィルム原紙に放電して穴をあけていく凄い機械もあった。いま考えると人生のどの時代でも印刷することに萌えていたといえる(注2)。

 1970年代には「軽オフセット印刷」というものが広がって、個人でも商業的な印刷物にひけをとらないような印刷品質のものが発注できるようになった。1982年、私は『東京おとなクラブ』という同人誌(?)を作ることになる。創刊号は5000部、そのあとは、コミケや一部の書店で売るだけの同人誌なのに毎号1万部を完売していた。出版は楽しいと思った。

 プログラマ時代にやった仕事で、日刊工業新聞の自動組版(レイアウト)システムというのがあった。人々は、新聞記事を「畳み」とか「流し」といった暗黙のルールにしたがって読んでいる。それを自動化して新聞大のベロンとした樹脂製の版に出力するしくみだった。Varian 77というコンピュータを使って、私の担当は、東証の株価データを受信して株式欄を作る部分だったが、いま思うととても興味深いシステムである。1980年代の前半のことだ(注3)。

 こんな私の印刷大好き人生において、月刊アスキーのDTPデータというのは、心の中でずっとひっかかる思い出の断片のようなものになっていた。

Mac OSとQuarkXPressのバージョンの問題が立ちはだかる

DTPデータとは別に誌面で使用した写真のポジや紙焼き(プリント)も出てきた。月刊アスキーは伝統的にこうした素材はきれいに管理されている。

 調べてみると、月刊アスキーは、1995年11月号~2008年10月号のDTPデータが、MO、およびDVD-Rの形で保存されていることが分かった。ASCII.jpの責任者K氏に相談して、その段ボール3個を倉庫から引っ張りだしてみる。しかし、最初から想定されていたことだが、そうした昔のデータがいまのパソコンでやすやすと読めるわけではなかった。25年の間に、デザイナーたちが使っていたマシンもソフトウェアも環境がすっかり変わっている。

 ネットで、印刷所やデザイン会社で過去のDTPデータを読んでくれるところはないかと調べてみたが、なかなか対応するところを見つからない。日本電子出版協会(JEPA)のSさんに聞いてみたが「むずかしいのではないか」とキッパリ答えが返ってきた。電子出版は、一度紙の本で作ったものを電子化することがあるから、そういうサービスがあるものと勝手に思っていた。Macintoshの本体は誰かが持っていそうだが、1990年代半ばに使われたMac OSのバージョンとDTPソフトのバージョンが、まるで暗号のように壁になってなかなか進まない。

 活版印刷の時代なら文字どおり活字を並べて組んだ版を何十年も使って、岩波文庫などに「旧版の活字の摩耗が著しく判読不能になってきたため新版とした」といった意味のことが書かれていたりする。もちろん、フロー型メディアに近い雑誌とストック型の書籍の違いでもあるわけだが。

 しかし、ふだんの行いがよいからであろうか?  1月ほどしてTwitter(当時)でこのことをつぶやいていると「Mac OS 9.xx、QuarkXPress x.xx の環境なら用意できるかもしれません」と反応してくれた人がいた。ゲーム系の編集・ライターで新宿のVIDEO GAME BAR 16SHOTSのオーナーでもある安部理一郎氏である(注4)。本当に救いの神という感じで、パッと道が開けたような気分になる。

 もっとも、実際に読み出しの作業をやらせてもらうのは、諸般の事情によりその4ヵ月ほど後になるのだが。

ゴロゴロに段ボールを積んで新宿三丁目に向かう

 2023年2月某日、VIDEO GAME BAR 16SHOTSのお店で、MOを読む作業をやらせてもらうことになった。お店にはカウンターやテーブルのある店内のほかに団体様用の個室があり、そこにマシンやMOドライブを用意していただけるとのこと。

 実は、VIDEO GAME BAR 16SHOTSには、いちどお客として出かけたことがあった。ただし、それはコロナをはさんで移転前のお店で、現在の店舗におじゃまするのは初めてである。現在のVIDEO GAME BAR 16SHOTSは、新宿三丁目駅から数分の靖国通り沿いのビルの中にある。

 旧東京厚生年金会館(現在はヨドバシカメラの本社ビルが建っている)の裏側のほうにある駐車場に車を置き、MOの入った段ボールをコロコロに積んでお店まで向かう。MOは、重くはないのだが月刊アスキーも何冊か一緒に持っていったのだが、これが重い(1冊が1kg以上ある)。

 私は、初代iMacのあとアップルのコンピュータを所有してなかったのと、DTPソフトもQuarkXPress の宇宙人が出てきて光線銃を撃つイースターエッグくらいしか触ったことがない。結局、手取り足取りというか、ほとんどやっていただくことになってしまった(本当にわがままばかりで申し訳ありませんでした。お世話になりました=>16SHOTSさま)。

ヨドバシカメラといってもお買い物はできない本社前を通過。
VIDEO GAME BAR 16SHOTSの店内。ゲーム世代には置かれているもの貼られているものたまらない店内だ。

 以下、実況中継的に遠藤(――)と安部氏のやりとりである。

―― いちばん古いのは、95年でした。

安部 95年のDTPはだいぶ早いですね。

―― 『MacPower』はもっと早くかったです。この頃の月刊アスキーは、紙の版下とDTPが混在してた気がします。

安部 表紙のデータが入っていませんね。表紙は版下入稿の可能性ありますよね。

―― 「ゴナE」(※書体)が大好きなので、表紙の特集タイトルなどの文字はずっとゴナEにしてもらっていました。

安部 この頃は、ゴナはDTPで使えませんでしたからね。最近、ゴナが出る、写研がついに提供するというニュースがありました(※2024年秋までにOpenTypeとして公開される43書体にゴナEも含まれている)。

―― 96年の1月号を本も持ってきたので読んでみましょう。

安部 MOをガヂコンと入れて……。

―― おっ、読んでますね。

安部 よかった、マウントしましたね。

―― この環境、ずっと維持してきたんですか?

安部 数年に一度ぐらいしか使わないですね。もっと昔のDTPデータ、使いそうですけど。

―― ですよねぇ!?

安部 それが、ないんですよね。結局、ページ数にもよりますが現物の本を見ながら作り直したほうがいいんですよね。

―― 同じものは作っちゃう? そういうものなのですか!

 なんと、昔の入稿データが必要になったら読み出すのがいちばんという考えは、シロウト考えだったようだ。こうした環境を使って古いソフトを動かすことはあっても、DTPデータを読み出すニーズはないのだそうだ。餅は餅屋、それが経験的にも正しいのだろう。そんなやや肩透かしをくらいながらも作業を続けさせてもらう。

―― あっ、これ、表紙と特集タイトルが違う。表紙は「Windows95ゲームはこんなにすごいぞ!」、記事は「パソコン雑誌が書かないWindows95ゲームの秘密」で「DOSは死んだか?」とか書いてある。マイクロソフトに気を使ってか? こんな細かいことやっていたか(※そんなこともすっかり忘れている)。

安部 あっ、やっぱりフォントがないですね。

―― ですね。でも、見て見て。当たり前って言えば当たり前なんだけど、同じページです。

安部 おー! 出ましたね。

―― いいですね。

安部 この色の違いもすごい。カラーマネジメントはあったんでしょうけど。

―― どうなんでしょう?

安部 「35社は」とあるところ詰め詰めなんだ。すごい詰めてる。

―― 文字と文字の間が詰まっている。

安部 いまどきないですね。

―― いまはウェブの影響とか言われて文字をパラパラに並べる文化になっちゃってますからね。

安部 デザイナーさんが、カタカタカタカタって手作業で詰めていた時代ですね。

Mac OS 9.2が立ち上がった。
96年1月号「パソコン雑誌が書かないWin95ゲームの秘密」という記事。左が紙の本。フィルムと違ってデジタルデータ自体が退色することはないわけなのだが、色が違っている。
特集の中ページ。見えにくいが赤い中身だしに「35社は」とある。DTPソフトの画面はだいたいこんな感じになっている。

―― これ。写真はどういう状態で貼ってあるんですか?

安部 この状態で印刷所に渡して、当時だと、印刷所にオペレーターさんがいて、オペレーターさんがデータを印刷可能な形式に作り替えてたと思うんですよね。

―― ああ写真のスキャンなんかも巻いてやるのをお願いしたりしてましたからね。

安部 ドラム式のスキャナでね。

 DTPデータの写真の部分は、いわゆる“アタリ”としてどの写真か判別できる低解像度のものがはめ込まれているようだった。淡い期待として高解像度のきれいにスキャンされた画像データが、一緒にMOに入っていたりしないかとも思っていたが、残念ながらそういうことはなかった。それまで、本ちゃんで印刷する前に印刷機を回して校正刷りというのがあったが、イスラエルの会社やコニカミルタの簡易校正プリントが出てきたのも思い出した。

―― このページ、色が出てないですね。

安部 ファイル開くときに補助プロファイルを要求されたんですよ。それがないからカラーが飛んじゃったのかもしれないですね。

―― 当時のデザイナーに聞かないと分からないですね。

安部 デザイナーの方も覚えてないんじゃないかな。

―― 社内デザイナーと外部のデザイン事務所にもお願いしていましたからね。

安部 そうか、600ページ以上ですね。広告の人も大忙しだな。

―― 半分が広告なんですね。

安部 半分きりなんですか?

―― 第三種郵便(※出版物を低価格で郵送できるしくみ)の規定で広告が半分を超えられないんです。だから、もう本文を作れないというバランスで、それ以上は広告入れられないみたいになっちゃうんですよ。

安部 なんと。

DreamCast。この頃、アスキーはセガとともにCSKグループの一員で、私もほんのちょっとだけこのマシンのプロジェクトに駆り出されていた。名刺の裏側にはDreamCastの渦巻きロゴが入っていた。
MindStormsの最終回とある。アスキーのEC部門がLEGO MindStormsを正式輸入の前に並行輸入して販売していた。どの程度連動していたかは不明。
1996年3月号の特集「デジカメショック!」。カシオのQV-10、リコーのDC-1に続いて各社からデジタルカメラが登場した時期。まさにショックだった。
1998年12月号。

 次々と紙の本を持ってきたものについてMOを読み込ませて表示してみる。当たり前だが、本と同じレイアウトがMacBookの画面に表示されるのは、なんとなく25年前に編集部のデザイナーのMac画面を見るようなタイムトリップ感に襲われる。

 1998年12月号の頃には、さすがに表紙もDTP化していたようだ。最大部数を刊行した号で、平凡社の『世界大百科事典』の体験版がついている。月刊アスキー編集部は、NECのPC-CD101(最初期の外付けドライブ)のデモソフトを作らせてもらったあたりからCD-ROMと縁があり、『辞・典・盤』という複数社の辞書を1枚に収録したCD-ROMで、かなり稼がせてもらっていた(現在某社社長のN氏の企画)、その集大成的な企画。テンコ盛りの号で売れたが、この後、月刊アスキーに限らずだが、パソコン雑誌が真っ先にインターネットの影響を受けていくことになる。

―― これいきますか? 特集「2020年の未来環境」。

安部 あっ、桃井はるこちゃん。

―― 連載してましたからね。これは特集の中ですが。

安部 2020年から届いたメール。「はじめまして、IPV6の時代、私は2020年の桃井はるこです」、凄いですね。

―― IPv6は、ぜんぜん早く来ましたけどね。

安部 記事全部そうなんですが、なかなか凝ってますね。

―― 256号記念号というのもあるかもしれません。これは「かなり当たっていた」と登大遊氏がデジ庁で発言したという企画です。しりあがり寿さんは完全に2020年を言い当てている。唐沢さんが、ひどいなあ、「大伴昌司(ウソ)」、凄すぎます。

安部 はははは。

1998年10月号(256号記念号)の特集「2020年未来環境」
しりあがり寿さんには、連載『部長は4bit』の特別編を書いていただきました。2020年のオフィスのようすを90%的中。大友克洋の『AKIRA(アキラ)』の東京オリンピックの件を思わせる。
香港を代表するマンガ家の利志達氏にも連載『我的國』の特別編を書いていただいた。「手で描くってどんな感じだろう、不思議だな」、こちらはだいぶ近づきつつある?

MOへのDTPデータの書き出しは相当に大変だったことが判明

 今回、読めたDTPデータをPDFに書き出してみようとも思っていた。しかし、前述のようにフォントの問題があったりプロファイルの問題があったり、それらをすべて解決するのは容易ではないように感じられた。そもそも、MOを読みだしてPDFに変換して書き出すとなるとおそろしく時間がかかり、Postscriptエラーで止まるページが出てくることが予想され、生成されるPDFもだいぶ古いので使い勝手は微妙とも言われてしまった。

 それでも、「やってみましょうか?」と言っていただいて試みたところ、MOの読み出しでいきなりエラーが発生。25年前のMOをもとにした作業はやはり困難を極めるのだった。そのエラーに対して、「2000年頃ガシガシ使っていた戦友」だというドライブだけあって裏技でなんとか何ページか書き出してもらうことができた。本当にお手間をとらせてしまい申し訳ありませんでした。

 これをやっている最中に、誰かに「テレビ東京の開かずの金庫みたいですね」と言われたのだが、私も、2度ほどあの番組は見たことがある。ずいぶん立派な金庫だが中身がカラッポだったり、中の引きだしから何か事務机のカギのようなものが出てきたり。

 我々の作業は、1日では終わらず再度VIDEO GAME BAR 16SHOTSを訪問させてもらいMOの中身を確認していく作業は深夜まで続いた。どちらかというと、25年前のDTPデータの発掘という作業はというのは、「開かずの金庫」というよりも歴史的な絵画の修復をしたり、未解決事件の証拠品を分析するような仕事のたぐいのようなのだ。エラーが出たり、不明なことがあったり。そんなやりとりの間にいま頃になって教えられたことが1つあった。

 それは、いまMOを読みだしてPDFにすることも大変だが、当時、入稿データを整理してMOに書き出すこと時間もかかるし大変だったはずだということだ。いまさらながらお疲れさまでしたと言いたい。

ご想像された方もおられると思うが本を開くたびに「おー」などと声が上がり手がとまる。ソニーの3.5インチフロッピーマビカの広告。
1995~1998年はパソコン雑誌が全盛。初代iMacが発売された頃には、こんなキャンペーンがあったとは私も知らなかった。
16SHOTSさんにて作業中の風景。

アスキー日本語TeXとEWBと井芹昌信さんのこと

 この原稿を書いている最中に、ここで書き留めておかなければならない出来事が起きてしまった。『MacPower』のDTP化が早かったなどと書いたが、アスキーで出版物の組版といえば、「アスキー日本語TeX」と「EWB」(エディターズ・ワーク・ベンチ)について触れるつもりでいた。

 私は、同人誌を作るためにワープロ専用機を買って電算写植していたし、最新の新聞の自動組版まで経験していた。なので、1985年にアスキーに入社したときに編集部のスタッフ全員の机の上にOASYS 100Jがあってフロッピー入稿していると言ってもまったく驚かなかった。しかし、それは所詮シロウトの自己満足のようなもので、アスキーの書籍編集部では、「TeX」と「EWB」というものが活用されていると知って衝撃を受けたのを、いまでもありありと覚えている。

 TeXとは、『The Art of Computer Programming』で有名なコンピュータサイエンティストのドナルド・E・クヌース氏が、まさに同書執筆時に作り上げた組版システムである(注5)。どのような組版指定でも数式であろうとも、実に、エレガントに書き手が満足いくまで自分で表現することができる。

 アスキーは、このTeXを日本語化。また、エンジニアやアカデミック系でない一般の編集者でも容易に使えるようにしたEWB(エディターズ・ワークベンチ)というツールを開発して、実際の書籍制作に投入して成果をあげていたのである。KADOKAWAグループとなってからも、圧倒的な生産性の高さと品質に手放せないという書籍編集者の声を聞いた。

 そのアスキー日本語TeXやEWB(エディターズ・ワークベンチ)を、信念を持って推進された、当時、アスキー書籍編集部編集長・出版技術部部長の井芹昌信(株式会社インプレスR&D元代表取締役)さんが、この6月に亡くなられたのだった。井芹氏は、アスキーでの技術系書籍はもちろんだが、インプレスでインターネット関連のメディアに尽力された。2017年に『iNTERNET magazine Reboot』で寄稿させていただいたのが仕事上の最後のお付き合いだった。あらゆる印刷もTeXも、ネットもWebも、そしてメディア機械としてのコンピュータも、すべて同じ地平の上にのっているようなところがある。

 

注1)1986年11月号の『月刊アスキー』の特集が「デスクトップ・パブリッシング」だった。ただし、このときはまだ「DTP」という略語は定着しておらず、記事では「DP」としている。 注2)ご家庭では理想科学工業株式会社の「プリントゴッコ」で毎年年賀状を作りまくったという人が多いでしょう。印刷といえば、私の世代ではマンガ同人誌である(それより前は文芸やイデオロギー系でしょうか)。初期には、「肉筆回覧誌」で同人たちが郵送や手渡しで肉筆原稿そのものを回覧する。郵送では切手の表面に糊を塗って送り消印を洗い落とすといったテクニックが使われている現場を見たことがある。やがて、「リコピー」のような湿式の陽画ジアゾ系青写真が使われるようになるが、青写真ではその現像液を調合して青以外の色を発色させることも行われた。ちなみに、2023年度の国立科学博物館の産業技術史資料情報センターの重要科学技術史資料に「リコピー101」が選定されている。 注3)新聞で樹脂版が使われるようになる前は、HTS(ホットタイプシステム)といって、鑽孔テープを読み込んでグツグツと煮立った鉛からリアルタイムで活字を鋳造して組版することが行われていた。なお、私が関わったコンピュータを使った組版などはH(=ホット)に対してCTS(コールドタイプシステム)と呼ばれていた。 注4)VIDEO GAME BAR 16SHOTS:https://www.16shots.jp/

 

注5)Wikipedia(英語)によると1972年に旧版のモノタイプから写植による第2版のゲラを受け取ったときに失望して、TeXの開発を思い立ったとのこと。モノタイプは、上記新聞組版の注釈で触れている鑽孔テープを読み取ってグツグツ煮立った鉛からリアルタイムで活字を鋳造して組版するしくみである。そのHTSにおいて、ライノタイプと並ぶモノタイプの活字や組版の美しさにコモディティ化した写植が劣っていたというのはありえることだ。これは、Helvetica(ヘルベチカ) という書体に対してWindowsなどパソコンOSに似て非なるArial(アリアル)といった代替フォントが入っていたようなことだろうか? それによって、少しずつ版面は違ってくる。

 

遠藤諭(えんどうさとし)

 株式会社角川アスキー総合研究所 主席研究員。MITテクノロジーレビュー日本版 アドバイザー。プログラマを経て1985年に株式会社アスキー入社。月刊アスキー編集長、株式会社アスキー取締役などを経て、2013年より現職。趣味は、カレーと錯視と文具作り。2018、2019年に日本基礎心理学会の「錯視・錯聴コンテスト」で2年連続入賞。その錯視を利用したアニメーションフローティングペンを作っている。著書に、『計算機屋かく戦えり』(アスキー)、『頭のいい人が変えた10の世界 NHK ITホワイトボックス』(共著、講談社)など。

Twitter:@hortense667

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